OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

ローマ人の物語‐賢帝の世紀 (塩野 七生)

2008-09-30 23:00:48 | 本と雑誌

 先に読んだ「ローマ人の物語‐終わりの始まり」はマルクス・アウレリウスの時代が中心でしたから、少し時代を遡ったことになります。
 五賢帝時代の中期、トライアヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウスの物語です。この3人の皇帝は、それぞれに個性が全く異なっていて、その対比と連続がなかなか興味をそそりました。

Trajanus  まずは、トライアヌス
 ネルヴァの後継のトライアヌスは初めての属州出身の皇帝でした。塩野氏は、ここにローマ帝国と後代のその他の帝国との性質の違いが典型的に表れていると指摘します。

 
(上p29より引用) 勝者であるローマが敗者の属州を支配しつづけるのではなく、属州までも巻き込むことによって一大「共同体」を創成していったのがローマ帝国だが、皇帝たちの出身地の移行の過程に、それが最も具体的な形で示されているからである。

 
 ローマは、このトライアヌスの時代に最大版図を築くことになります。
 そして次のハドリアヌスになって、今度は帝国維持の防衛策に大きく舵をきったのです。

Hadrianus  ハドリアヌスは、拡大された帝国をくまなく視察巡行し、帝国維持のための手立てを次々とうっていきます。

 
(中p116より引用) 以後のハドリアヌスの巡行も、このやり方で進められるのだ。つまり、視察の地域がどこであろうとやらねばならないことと、その地域独自の問題の解決という二つの併行で。・・・
 そして、ハドリアヌスによるこの二つの問題の解決に共通して見られるのは、軍団基地内部の責任体制の明確化である。

 
 この責任感が、属州出身の兵士たちに同じ属州出身のハドリアヌスが根づかせようとしたローマン・スピリットであったと著者は言います。

 さて、その他、本書で私の興味を惹いたフレーズをご紹介します。

 まずは、最近読んだ「トヨタ」の本に書かれていた「トヨタの強み」の源泉を髣髴とさせるような記述です。

 
(下p43より引用) ローマ人は、思わぬ幸運に恵まれて成功するよりも、情況の厳密な調査をしたうえでの失敗のほうを良しとする。ローマ人は、計画なしの成功は調査の重要性を忘れさせる危険があるが、調査を完璧にした後での失敗は、再び失敗をくり返さないための有効な訓練になると考えているのである。

 
 「ローマ人のPDCA」ですね。

 もうひとつ、「ローマ法」について。
 広大なローマ帝国を支えたものとして、道路に代表される社会インフラとともに、制度規範としての法律・法令が挙げられます。

 
(下p177より引用) ローマは、誰にでも通ずる法律を与えることで、人種や民族を別にし文化を共有しなくても、法を中心にしての共存共栄は可能であることを示した。

 
 「ローマ法」といえば、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスによる「ローマ法大全」が有名ですが、それに先立ち、ハドリアヌスによるローマ法のリストラがなされていました。
 これもまた、帝国維持の実効的な手立てのひとつでした。
 
 

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逆説の町 (日本の町(丸谷 才一・山崎 正和))

2008-09-28 11:58:36 | 本と雑誌

Nagasaki  丸谷氏・山崎氏の対談の面白さの源は、両氏の対象に対する切り口の多様さ・斬新さにあります。

 「長崎」の章で発揮された歴史的な切り口からのやりとりです。

 
(p114より引用) 丸谷 そう、長崎をうんと特殊な地域とすることによって、徳川三百年の封建体制がきちんと出来た。そこのところは、はっきり言えるような気がする。
山崎 つまり日本を閉じるために開いた町という逆説があるんですね。

 
 確かに、江戸時代、長崎出島に海外との接点を限定することにより、その他日本全体を覆う鎖国政策を維持したと言えるのでしょう。
 このあたりの考え方・発想には納得感を感じます。

 もうひとつ、長崎という町の特殊な性格についての山崎説です。

 
(p119より引用) 山崎 ですから、そんなふうに、外国文化をたえず受けいれていて、それが日常的になってしまうと、外国そのものが、刺戟として感じられなくなりますね。緊張感がなくなってしまう。ですから、長崎という特別の世界の中では、国際性は何もなかったという逆説が成り立つと思うんです。
丸谷 つまり、すべて日常のことだった。

 
 長崎といえば「国際的」という通念に対して、シンプルな切り口で異を唱える、こういう知的な刺激を発することは結構難しいことだと思います。
 私のような凡人は、なかなか割り切った立論ができないものですし、すぐ些細な例外を気にしてしまうものです。

 さて、対談集の中からの最後のご紹介は、 「弘前」をテーマにした章での山崎氏と丸谷氏とのやりとりです。

 
(p173より引用) 山崎 言葉の話にまた戻りますが東北の言葉は、もちろん私にはよくわかりませんけれども、だいたいにおいてしっかりした語源があって、いわゆる方言じゃなくて、むしろ昔の古典的な日本語が保存されているという感じですね。・・・さらにあえて論理を飛躍させますが、だいたい東北は地名がきれいですね。
丸谷 それは確かだ。それはね、また論理を飛躍させるけれど、(笑)結局、大和言葉とアイヌ語と出会ったときの衝突感なんです。それがすごいんだと思いますね、おそらく。

 
 民俗学・言語学・歴史学・・・、多様で豊富な知識を材料に、自分なりの新たなコンセプトを創発していく、そういうやりとりができることは素晴らしいものです。

  インプット→処理→アウトプット。私は、どのプロセスも全くもって未熟です。
 
 
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廃墟の美 (日本の町(丸谷 才一・山崎 正和))

2008-09-27 13:08:56 | 本と雑誌

Otaru  この本も書棚から引っ張り出してきた本です。
 丸谷 才一・山崎 正和両氏による「日本の町」をテーマにした1980年代の対談集です。

 題材になったのは、日本の8つの町。

  • 金沢―江戸よりも江戸的な
  • 小樽―「近代」への郷愁
  • 宇和島―海のエネルギー
  • 長崎―エトランジェの坂道
  • 西宮芦屋―女たちがつくった町
  • 弘前―東北的なもの
  • 松江―「出雲」論
  • 東京―富士の見える町

 
 宇和島以外は、私も訪れたことのある町(東京は今住んでいる町)ですが、お二人の慧眼には感心しきりです。
 正しく本質を捉えているのか、思い込みに過ぎないのかはともかく、感じた印象をひとつのコンセプトとして言葉にまとめる見事さは、(当然ですが)私など到底足元にも及びません。
 
 たとえば、「北陸の京都」と言われる金沢について、京都生まれの山崎氏が興味深い「金沢・京都比較文化論」を開陳します。

 
(p16より引用) 山崎 京都人にとって文化というのは自家用品じゃない、自分で消費するものじゃないんですよ。人に売るものなんですね。・・・
 観光都市に対立する概念としての文化都市というのは、要するに自家消費用の文化で行くといってるわけでしょう。京都人にとっては、文化即観光、観光即文化ですね。ところが金沢の人にとっては、文化と観光は対立概念だというのが大変おもしろいとわたしは思いました。

 
 また、小樽をテーマにした対談では、東京と横浜、大阪と神戸といった双子都市の比較で、札幌と小樽の関係を山崎氏はこう指摘します。

 
(p50より引用) ところが小樽は、それ自体が近代都市で、その発展として札幌が出来てきたというつらさがありますね。札幌がどんどん大きくなっていくと、小樽の持っていた機能を全部継承してしまう。ということは、裏返せばすべて吸い上げられてしまうということで、どうも小樽は札幌に骨の髄までしゃぶられてしまった。

 
 さらに、小樽の「廃墟としての美」を、運河の保存とその観光化によって生まれ直させようと、二人の話が弾みます。

 
 
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古往今来 (司馬 遼太郎)

2008-09-25 22:12:37 | 本と雑誌

Kuukai  司馬遼太郎氏の小説やエッセイは一時期よく読んでいたのですが、最近はご無沙汰しています。
 今回の本は書棚を眺めていて、気になって手に取ったものです。書棚にあるわけですから以前読んだ本のはずなのですが、どんな内容だったのか全く記憶がなかったので・・・。

 中身は、新聞や雑誌で発表された昭和50年代以前の随筆を集めたもので、司馬遼太郎氏ならではのフレーズを垣間見ることができます。

 たとえば、京都の東寺を題材にした「歴史の充満する境域」というエッセイの冒頭です。

 
(p52より引用) 東寺はその雄大な塀で象徴される。塀の中はまことに空おそろしいところがある。歴史が充満していて、これを個々にいえば建築史、美術史、思想史、荘園史、あるいは兵乱や一揆の歴史などが、騒然と詰まってひしめいているようでもある。

 
 東寺の別名が「教王護国寺」であることは知っていましたが、その命名が、「密教の官寺をもつことにより王を教え国を護る」という空海の理想を込めたものだとは、遅まきながら本書で教えられました。(おそらくは遥か昔、日本史では習ったのでしょうが、今となっては、忘却の彼方です・・・)

 新幹線で移動していても、南の車窓に東寺の塔が見えると京都に着いたことを実感しますし、近鉄で南から京都に入るときもやはり東寺の塔がシンボルになります。以前、時おり行く出張先が京都の西九条にあったので、司馬氏が書かれている東寺の塀のそばを通っていました。街中にあるだけに、その存在感は際立ちます。

 その他にも、私も訪れたことのある地方をとり上げたエッセイもありました。

 その中のひとつ、鹿児島の知覧にまつわる文章です。
 知覧は、特攻隊の基地としても有名ですが、「南薩の小京都」と呼ばれる武家屋敷群が残った美しい家並みの町です。

 
(p192より引用) 文明というのは秩序美がその核になければならぬとすれば、古き薩摩の士族文化はむしろ文明とよばるべきものである。その名残りを感じさせてくれるのが知覧の武家屋敷の街衢といってよく、さらにその文明の象徴を求めるとすれば、青さびてはるかに連なるこの石垣こそそれではないか。

 
 同じ所に立ち、同じものを見ても、教養のバックボーンが異なるとこうも感慨が違うのかという思いがします。(情けない限りです・・・)

 さて最後は、フランス文学者で評論家の桑原武夫氏を語った随筆でのフレーズです。
 桑原氏流の対談に臨む興味深い姿勢が紹介されています。

 
(p245より引用) 対談の場合は、別なスイッチをひねり、相手を尊重するというより、複数で何事かが生れないかという期待のもとに、それにふさわしい次元を仮設する。・・・自分と相手の精神、思想、教養を物として対話もしくは対談という装置のなかに入れることによって、そこで成立するかもしれない変化に対し自分自身がのぞきこんで驚きを用意しているという、そういう態度で終止しているように思われる。結局はどういう変化もおこらなかったというときに氏は軽い失望を感じ、逆に多少の変化がおこれば氏はあとまでそれについての知的昂奮を楽しむ。

 
 最近の言葉で言えば、桑原氏は、「創発」を生む対話を求めていたということでしょうか。
 
 

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史実を歩く (吉村 昭)

2008-09-23 14:02:04 | 本と雑誌

Ii_naosuke  吉村昭氏の作品は、以前数冊読んだことがあります。
 テーマ選定の鋭さ、描写の緻密さ等、作品に対する一本気な姿勢が感じられて、私の好きな作家のひとりです。

 本書は、いくつかの作品の執筆に関わる吉村氏ならではのエピソードを氏自らが紹介したものです。改めて、吉村作品の厚みの根源を知らしめられます。

 まずは、歴史小説を執筆するにあたって、吉村氏の「事実への執着の強さ」を物語る言葉です。
 作品「桜田門外ノ変」の一場面の描写において、吉村氏の事実へのこだわりが端的に表れています。

 
(p84より引用) この場面の描写で、雪のことが気になった。・・・雪はいつやんだのか。・・・
 歴史研究者には雪のやんだ時刻などどうでもよいことだが、関を主人公に小説を書く私には、どうしても知っておかねばならぬ事柄であった。

 
 本作品のこの部分に限らず、「破獄」「長英逃亡」等々、作品すべての記述について、吉村氏は、可能な限り現場を訪れ、関連史料にあたり、関係者の方の話を聞くという地道かつ物凄い労力を費やしているのです。

 もうひとつ、吉村氏の作品に対する真摯さを物語る印象に残ったエピソードをご紹介します。
 先の「桜田門外ノ変」の執筆にあたって、2度原稿を書き直すに至った内情を語った部分です。

 
(p164より引用) 尊王攘夷論の根底にあるのは水戸藩領の海岸線だということを知った私は、初めてその社会思想を具体的に理解し、確実に手につかむことができた。
 それに気づかず文字をつらねてきた私の小説は、なんの意味もないのを知った。
 私は、二百五十二枚の原稿用紙を手に書斎から庭に出た。・・・
 いったいなにをしているのだ、と私は自らをなじるような思いであった。人には知られたくない、情けないような恥しい気持であった。泣き笑いという言葉があるが、私はにが笑いしながら原稿用紙を焼却炉に投げ入れ、百円ライターで火をつけた。

 
 表層に顕れる事実はもとより、その時代背景・思想背景も徹底的に調査し自らの頭で理解する、その納得のいく理解に至ってはじめて、吉村氏は筆を起こすのです。

 
(p61より引用) 私は、歴史上著名な人物を主人公にする小説を書くよりは、全く世に知られてはいないが、歴史に重要な係わりを持つ人物を調べ上げて書くのを好む。

 
 歴史に生き歴史を動かした人々すべてに対するあたたかな敬意。
 「調べ上げて」ということばに吉村氏らしさを感じます。 
 
 

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うなづき (コンサルタントの「質問力」(野口 吉昭))

2008-09-21 13:01:09 | 本と雑誌

 本書では、「質問力」を向上させるための具体的な方法を数多く紹介しています。
 その点、How To本としては分りやすいものです。

 たとえば「聞く態度」の重要性を説明している章では、「うなづきと短い質問」を具体的なHow Toとしてあげています。

 
(p29より引用) うなづきと短い質問というと、なんだかとても簡単なことのように思えるが、そうではない。相手の話をきちんと聞いていないと、適切なタイミングでうなずくことはできない。もちろん的を射た質問もできない。

 
 また、質問力を高める具体的なツールの例としては「蝶ネクタイチャート」が特徴的です。

 ボトムアップ型のロジックツリーで収集した情報から課題解決のための目標をつくり、ブレイクダウン型のロジックツリーでアクションプランに落としていく、こういった一連のプロセスをサポートするために「蝶ネクタイチャート」が役立つと説明しています。

 
(p84より引用) コンサルタントの仕事とは、バラバラだった課題を一つにまとめることで目標を明確にし、今度はその目標を実現するための展開を図る。収集して拡大させる作業だと言える。だから蝶ネクタイチャートが使えるのだ。

 
 コンサルタントの質問の究極の目的は、コンサルタント自身の理解のためではありません。
 よい質問によって、クライアントの気づきを促しクライアント自らの改善のアクションを呼び起こすためのものです。

 最後に、著者が「質問力」のひとつの要素としている「仮説思考」について、その落とし穴について触れているフレーズをご紹介します。

 
(p98より引用) 仮説を立てながら、仮説を捨てる、これができる人は非常に少ない。一度貼ったレッテルは、なかなか剥がせないのだ。

 
 これに続く400mハードルの為末大選手のことばは、(よく言われていることではありますが、)印象的です。

 
(p99より引用) 固定観念に縛られることの怖さは、陸上の世界でも言えることです。・・・本来は柔軟な思考の持ち主でも、少しでも情報を軽視したり、先入観に囚われたり、慢心した瞬間に、頭の堅い人物に変身します。正しい方法を探り出すことは大切ですが『これで間違いない』と思ったときから、敗北は始まっている。常に現実を見据え、考え続ける努力をしている人だけが、柔軟な思考を持ち続けられる・・・

 
 一流アスリートが感知した日々の努力の本質です。
 
 

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語彙と語感 (コンサルタントの「質問力」(野口 吉昭))

2008-09-20 13:33:36 | 本と雑誌

 最近とみに目に付く「○○力」と銘打った新書です。

 まずは、冒頭「はじめに」で、「いい『質問』の効用」についてこう切り出します。

 
(p3より引用) いい質問は、いい空気を作るし、いいコミュニケーションを作る。いい質問は、相手を元気づけるし、楽しくさせる。いい質問は、相手を動かし、成果を出すプロセスを作る。
 いわばいい質問とは、「動機づけ」の結節点であり、エネルギーの素なのである。

 
 本書では、コンサルタントである著者が、コンサルタントに不可欠な能力としての「質問力」について、著者自身の経験を材料に具体的に解説していきます。

 
(p21より引用) 質問力を磨くということは、整理し、体系化し、本質を探究し、解を見つけることを意味する。それはこの商品開発における、「ニーズ(顕在化している要求)を整理し、求められる本質のウォンツ(潜在的な欲求)をシーズ(知恵や技術)で創出すること」と非常によく似ているのだ。

 
 著者は、コンサルタントに必要な質問力として、「仮説力」「本質力」「シナリオ力」の3つを挙げています。

 その中の「本質力」についての説明です。

 
(p169より引用) 本質力は、「見える化」「論理的」「絞り込む」ことを通し、語彙力、語感力によって磨き上げられ、最終的にはこの文脈を凝縮する力に帰結する。「ワンメッセージ化」の力である。

 
 この説明で耳新しかったのは、「語彙力」「語感力」というフレーズです。
 本質をより具体的に把握するためには、たとえばソムリエがワインの評価を語るときのような豊富なイメージ力・表現力が必要だというのです。そして、それを支えるのが「語彙力」であり「語感力」であるわけです。

 私も、どちらかというと鈍感な方で、語彙力にも乏しいので型にはまった表現しかできません。大いに反省するところです。

 ちなみに、本書で紹介されている「語彙数推定テスト」をやってみました。さすがに「大学生レベル」よりは上でした。
 
 

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日本史はこんなに面白い (半藤 一利)

2008-09-17 21:19:18 | 本と雑誌

Toyotomi_hideyoshi  「週刊文春」誌や「文藝春秋」誌の編集長を歴任した作家の半藤一利氏が、16人のゲストの方々と日本史上の人物やエピソードをテーマに語り合った対談集です。
 
 対談相手の方々もそれぞれ一家言あるつわものなので、興味深く読み進めることができました。語られる説は、語るご本人の思い込みもあるものですからすべてが真実であったかといえば疑問符がつきます。しかしながら、各人の知識と想像力を駆使した仮説構築力には素直に感心してしまいます。
 
 そういった仮説の中で、たとえばというものをひとつ。
 
 作家の井沢元彦氏が考える「秀吉の朝鮮出兵の背景」についてです。

 
(p77より引用) 信長と違っていたのは、天下統一を完成したがために、それまで雇っていた傭兵が20万人ぐらい余っちゃったことです。・・・
 ぼくは、これが秀吉が朝鮮へ出兵して大失敗した、最大の理由だと思うんです。・・・そこにはもっと現実的な経済上の理由があった。要するに時代は違うけど日露戦争のときと同じで、軍事バブルで拡大した人員のリストラをどうするか。その解決策が、海の向こうへ出ていくことだった。

 
 全部で16ある本書の対談の中で、私が特に面白く感じたのは、日本の戦中・戦後期を舞台にしたものでした。
 特に、元外交官の多賀敏行氏との当時の米国の「暗号解読力」や日米の「翻訳水準」に関する話題、作家の北康利氏との「白洲次郎が活躍した戦後憲法誕生にかかるエピソード」等です。
 
 また、エッセイスト鴨下信一氏との対談でのやり取りも印象的です。
 第二次大戦から朝鮮戦争直後の日本に対して、

 
(p228より引用) 鴨下 やっぱりこの国はあのころから変わったんですよね。それにしても、敗戦直後の話というのはエアポケットですね。書かれていないこと、いわれていないことがたくさんある。
半藤 日本人はみんな嫌なんでしょうね、負けたときの話というのは。
鴨下 そのためにいっそう誤解と漏れ落ちが多くなった。せめていまのうちに、自分が覚えていることぐらいは伝えておきたい。わずか数年でしたけど、経験した者にとっては、あれはほんとうに長くて不思議な時代でしたから。

 
 ただ、半藤氏自身一番楽しかったのは、評論家の川本三郎氏との対談だったのではないでしょうか。
 「チャンバラ映画」の往年の名優たちが次々と登場して、それにまつわるお二人の薀蓄がぶつかり合っていました。
 
 

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戦略の具体と虚無 (戦略の本質(野中 郁次郎 他))

2008-09-15 13:47:35 | 本と雑誌

Churchill  本書で紹介されているいくつもの戦闘の解説の中から、(一貫性はないのですが、)気になった部分をご紹介します。

 まずは、技術レベルの戦略に関して、バトル・オブ・ブリテンの勝敗を決する要素のひとつとなった当時の最新技術「レーダー」についてです。

 
(p139より引用) レーダーの技術開発に従事した科学者の間では、完璧さを追求しないことがモットーとされた。すなわち、最良の完璧なものは、けっして実現できない。次善のものは、実現できるが、使うべきときまでには実現が間に合わない。したがって、三番目によいものを採用して、できるだけ早くその実現を図るべきである。・・・レーダーの開発、実用化は、こうしたプラグマティズムの産物でもあったのである。

 
 差し迫った窮状に対するための極めて現実的な対応です。
 このあたりは、トラブルが起った場合の「暫定対処」「本格対処」の考え方に似ています。ともかく、まずはともかく可能な方法で止血をして、並行して根本対策を講じるやり方です。

Macarthur  次のご紹介は、「機会損失の責任」について。
 材料は、朝鮮戦争時のトルーマンとマッカーサーとの関係です。
 1951年4月11日、マッカーサー元帥はトルーマン大統領より国連軍総司令官・極東軍総司令官の解任を通知されます。この背景には、両者の意思疎通の悪さとそれによる認識の齟齬がありました。

 
(p275より引用) 軍事合理性の限界という観点から見るとき、ここには、ポリティックス(政治)と軍事、中央と現場との間に横たわるより本質的な問題の所在を確認することができる。すなわち、何かをなすことによって生じた失敗と、何もしないことによって生じた失敗をどのように識別するかということである。何かをなして失敗した場合は検証されるが、何かをさせなかった場合の結果はどのように検証されるのであろうか。実行されなかったことの誤りを実証するのは難しい。成功したかもしれないことをやらせなかった場合の機会損失は、誰が責めを負うべきなのだろうか。

 
Vietnam_war  最後は、ベトナム戦争を主導したマクナマラ国防長官の言葉です。

 
(p377より引用) 「われわれは正しいことをしようと努めたのですが、そして正しいことをしていると信じていたのですが、われわれが間違っていたことは歴史が証明している

 
 判定者を「歴史」に求めなくてはならないような判断だったのか、結果論かもしれませんが、そこには疑問があります。
 むなしい言葉だと思います。
 
 

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毛沢東の「弁証法的発想」 (戦略の本質(野中 郁次郎 他))

2008-09-14 14:05:35 | 本と雑誌

Mou_taku_tou  私が参加しているセミナーで参考資料として配布された本です。

 先に出版されている「失敗の本質」と同様、いくつかの戦闘を材料にして、今回は、「勝利を導き出す戦略に共通性はあるのか」をテーマにその解明を試みたものです。

 まずケースとしてあげられているのが、毛沢東が率いる中国共産党軍と蒋介石の国民党軍との戦いです。
 この戦いは、「遊撃戦」という新たな戦闘概念を創出した毛沢東による「反『包囲討伐』戦」でした。

 著者は、本ケースの研究を通して、毛沢東の事象の本質把握の方法論を「弁証法」であると結論付けています。

 
(p106より引用) 例えば、攻撃と防御については、二つの視点がある。第一の見方は、攻撃とは単に攻める、防御とは単に守ることであると考え、両者は対立的なもので、相互に転換できないものと考える立場である。このような機械的な視点からでてくる主張は、「消極的防御」である。一方、弁証法的視点では、攻撃と防御は対立しながら相互に依存し、場合によっては転換できるものであると考える立場である。つまり攻撃と防御は明確に分離できないものであり、攻める時には守りが必要だし、守るときも攻めることがあり得る。一定の条件がみたされれば、攻守は相互に転化できるものなのである。このような視点から「積極的防御」が主張される。

 
 この立場では、敵を破るための戦略ステップとしての「積極的退却」というオプションも重視されます。退却と見える行動を次の攻撃の布石とするのです。

 本ケースの解説では、毛沢東の思考方法や具体的行動が細かく説明されていますが、その中で、興味をひいた「毛沢東の実戦を通した知恵を磨く方法」をご紹介します。

 
(p123より引用) 戦闘の後には、時間があればだったが、-作戦ののちには必ず、二度の会議を開いた。一度は指揮者だけのもの、もう一度は指揮者と兵士とともどものもので、そこではその戦闘または作戦の分析をおこなった。・・・そうした合同の会議では、どの兵士もどの指揮者も、完全な言論の自由をもっていた。たがいに批判してもよろしく、根本計画の各部分や、その実施された方法については批判してもよろしい。・・・そしてわれわれは、すべての封建的な悪習を根絶やしにし、軍隊を民主化し、兵士のあいだに自発的な軍規が生まれることを、ねらった。

 
 広く関係者を集め自由な意見表明により具体的反省を行なうというやり方は、失敗を形式知化し、自発的な改善を促すための効果的な方法です。
 
 

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賢慮型リーダー (戦略の本質(野中 郁次郎 他))

2008-09-13 16:16:50 | 本と雑誌

Sadat  本書の姉妹編である「失敗の本質」においては、その分析スキームに組織論的な観点が見られました。
 他方、今回の「戦略の本質」においては、著者のひとり野中郁次郎氏を中心に主張されている「知識創造理論」における最近の成果が活用されているようです。
 その考えでは、「場」や「リーダーシップ」といった要素が重要視されます。

 本書の終章「戦略の本質とは何か」でまとめられている10番目は「戦略は『賢慮』である」という命題です。
 「賢慮」とは、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」で示されている3つの知識、「エピステーメ(普遍的・客観的な知識(形式知))」「テクネ(実用的な技能(暗黙知))」「フロネシス」のうち、最後の「フロネシス(実践的知恵(高質の暗黙知))」の今日的用語だそうです。

 著者は、この「賢慮」をもつリーダーが、重層構造を持つ戦略を総合的にマネジメントできると主張しています。

 
(p453より引用) 賢慮型リーダーは、個々のダイナミック・コンテクストの直視から、どの側面が検討に値するのか、どの側面は無視してよいのかを察知する、状況認識能力をもつ。これは問題は何かを把握する問題設定能力であり、いわゆる達人の能力と通底する。問題解決の大半は、実は問題設定によるものなのである。

 
 そして、戦略の本質についてこう結論づけています。

 
(p459より引用) 戦略の本質は、存在を賭けた「義」の実現に向けて、コンテクストに応じた知的パフォーマンスを演ずる、自律分散的な賢慮型リーダーシップの体系を創造することである。

 
 「リーダー」についての解説においては、第二次大戦期のイギリスのチャーチル、ドイツのヒトラーが比較対照的に登場しますが、私にとっての新たな知識となったのは、第四次中東戦争におけるエジプト大統領サダトの戦略思想についてでした。
 
 サダトに関しては、元米国務長官キッシンジャーの回顧録の中でのことばが紹介されています。

 
(p321より引用) サダトは、占領地の奪還のためではなく、エジプトの自尊心を回復し、外交の柔軟性を増やすために戦争をしたのであった。開戦時において、戦争の政治目的を、かくも明確に認識していた政治家はまれであった。ましてや、戦いの後で、穏健路線を造り出すための戦争となれば、なおさらまれなことであった」

 
 サダトの目的は、固定化しつつあった中東情勢を流動化させ、アメリカのイスラエルへの外交介入を招来することでした。
 そして、その目的は見事に成功したのでした。

 
(p324より引用) 最高指導者の国家目標、戦略構想から第一線将兵の戦術・戦法・戦技に至るまで、有機体のような一貫性を保持して展開されたのが、サダトの限定戦争戦略であった。

 
 ただ、(本書の執筆趣旨とは異なるのですが、)やはり紛争の解決手段として、それが限定的なものであったとしても「戦争」に訴えることには大きな抵抗感がありますね。
 
 

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アルハンブラ物語 (W・アービング)

2008-09-10 08:39:10 | 本と雑誌

Alhambra  著者のワシントン・アービングは1783年ニューヨークに生れました。
 本書は、1826年在スペインアメリカ公使館書記官としての約3年間のスペイン生活の間に記した紀行文のひとつです。

 物語の舞台はアルハンブラ。
 ご存知のとおり、スペイン南部アンダルシア地方のグラナダにあるイスラム王朝ナスル朝の宮殿です。

 アービングは、幼いことからアルハンブラには憧れを感じていたようです。

 
(p66より引用) アルハンブラは私が少年の頃からのあこがれの世界で、宮殿の名はどれほど私の夢をふるいたたせてくれたことだろう。私はハドソン河の岸辺にねそべって、時がたつのも忘れてグラナダの戦いや、古いスペインの物語の本を読んだものだ。

 
 その夢が実現されてグラナダを訪れ、幸運にもアルハンブラ宮殿の一室に滞在して書き上げたエッセイがこの「THE ALHAMBRA(アルハンブラ物語)」です。

 本書は、アルハンブラでの暮らしの中での体験・まわりの人々との交流を綴った随想と、アルハンブラにまつわる伝承・昔話の紹介との2つのコンテンツで構成されています。
 当時のアンダルシア地方の人々の気質や暮らしぶりが垣間見られる随想部分も楽しいのですが、アルハンブラ宮殿を舞台とした昔話の数々はさらに秀逸です。
 アルハンブラはイベリア半島におけるイスラム王朝の宮殿として作られ、イスラムがキリスト教国に駆逐されその栄華に終止符をうちました。その波乱に富んだ歴史は、数々の昔話の格好の題材になったのでした。

 本書を読んで、アルハンブラを訪れる旅行者も多いそうです。

 私も、(本書を読んでではないのですが、)20年ほど前、旅行でアルハンブラを訪れたことがあります。
 異国情緒漂うイスラム風建築の宮殿ももちろん印象に残っていますが、宮殿の丘のふもと、グラナダの街の風情もそれに劣らず興味深いものでした。狭い路地を歩くと中庭のあるイスラム風の家屋を目にすることができました。小さなお店でスペインの絵皿を買ったことも思い出します。

 このあたりは、「グラナダのアルハンブラ宮殿 ヘネラリーフェ離宮 アルバイシン地区」として世界遺産にも登録されています。私が、歩き回ったのはそのアルバイシン地区だったようです。

 
 

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皇帝の資質 (ローマ人の物語 29/30/31(塩野七生))

2008-09-08 16:19:48 | 本と雑誌

Marcus_aurelius  哲人皇帝といわれたマルクス・アウレリウスですが、その治世の多く期間、彼の居場所は、決して得意とはいえない不慣れな戦場でした。
 度重なる戦役を経験し、マルクスは、軍事活動における自らの役割を確立していきました。

 
(中p112より引用) 指揮者たちは、いずれも軍事のベテランである。ただし、ベテランでありプロであるだけに、何をしたら自分の能力を最高に発揮できるかを知っている。しかし、戦争とは集団行動だ。・・・わたしが心せねばならなかったことは、国家にとっての利益を最優先したうえで、誰をどの分野で活用するかを決めることであった。その際に注意したのは、託された分野でその人物が、彼の能力を充分に発揮できるための条件を、最高司令官であるわたしが整えてやることだったのである。

 
 この姿勢は決して哲学者のものではありません。マルクスは、実践により、現実社会のリーダーとしての資質を備えていったのです。

 とはいえ、歴史は、マルクスを五賢帝の「最後の皇帝」としています。
 マルクスは賢帝の時代を後世に引き継ぐことには失敗したのです。自らの子を後継者に選び、その結果、ローマ社会を悪政と内乱に導くこととなったのです。

 この失敗について、塩野氏はこう指摘しています。

 
(中p177より引用) マルクスが傾倒していた哲学は、いかに良く正しく生きるか、への問題には答えてくれるかもしれないが、人間とは、崇高な動機によって行動することもあれば、下劣な動機によって行動に駆られる生き物でもあるという、人間社会の現実までは教えてくれない。それを教えてくれるのは、歴史である。

 
 その時々で善意で行なったことが結果として報われない・・・。
 本書のあちらこちらで感じられる塩野氏の歴史観について、自らこう語ります。

 
(下p108より引用) もしかしたら人類の歴史は、悪意とも言える冷徹さで実行した場合の成功例と、善意あふれる動機ではじめられたことの失敗例で、おおかた埋まっていると言ってもよいのかもしれない。

 
 

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終わりの始まり (ローマ人の物語 29/30/31(塩野七生))

2008-09-07 12:00:00 | 本と雑誌

Marcus_aurelius_kiba  塩野七生さんの本は、以前にも「マキアヴェッリ語録」「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」等を読んでいるのですが、今回手にした本は、塩野さんの代表作「ローマ人の物語」の中の1冊です。

 第1巻から読み通すパワーがないので、まず選んだのは個人的に最も関心のある「マルクス・アウレリウス」が登場する巻でした。
 彼の「自省録」は私の読んだ本のなかでも印象に残っているもののひとつです。

 マルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius Antoninus 121~180)は、在位161~180年、ローマ五賢帝の最後の皇帝で、ストア学派の哲学者としても有名な人物です。

 五賢帝の時代は「ローマの平和」の最盛期でした。トラヤヌスの拡大政策により最大版図となったローマは、次のハドリアヌスにより防衛策への転換がなされました。

 
(上p68より引用) 一般の市民が誰でも雨傘を用意するくらいならば、指導者などは必要ないのである。一般の人よりは強大な権力を与えられている指導者の存在理由は、いつかは訪れる雨の日のために、人々の使える傘を用意しておくことにある。ハドリアヌスが偉大であったのは、帝国の再構築が不可欠とは誰もが考えていない時期に、それを実行したことであった。

 
 従来の定説は、ローマ帝国の衰退は五賢帝の最後マルクス・アウレリウスの死後はじまったというものでした。
 確かにアントニヌス・ピウスの時代は、大きな外征も不要なほど平穏な時代だったようです。

 
(上p104より引用) 「秩序ある平穏」のアントニヌス・ピウスの時代から一転して、難問山積の時代に変わるのがマルクス・アウレリウスの治世であるからだった。

 
 しかしながら、本書で提示された塩野さんの問題意識は、ローマ帝国の衰退は、マルクス・アウレリウスの在位中、さらには先代のアントニヌス・ピウスの時代からその萌芽はあったのではないかという考えでした。

 
(上p105より引用) 皇帝マルクスの直面した「難問の数々」なるものを分析してみれば、四分できると思うからである。
一、天災のように、誰にとっても予測は不可能である問題。
二、アントニヌス・ピウス治世下の23年間もまた問題意識が持続していたならば、予測は可能ではなかったか、と思われる問題。
三、もしもマルクスが、次期皇帝であった18歳から40歳までの間に実地の体験を積んでいたならば、こと起った後にしろ対処の方策も変わっていたのではないかと思われる、戦略と戦術上の問題。
四、時代の変化。

 
 二、三に分類される難問については、マルクス・アウレリウスの対応次第で結果が変わっていたのではないかという仮説です。

 マルクス・アウレリウスに対する批判は、マルクスに対し謀反を起こしたカシウスの手紙にも表れています。

 
(中p91より引用) 哀れなローマ帝国よ。すでに持っている資産の保持しか頭にない者どもと、新たに資産家になることしか考えない者どもに苦しまされているのだ。哀れなマルクスよ。偉大なる徳の持主ではあるが、寛容な指導者という評判を欲するあまりに、貪欲な者どもが闊歩するのを許している。

 
 

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銀座のプロは世界一‐名店を支える匠を訪ねて (須藤 靖貴)

2008-09-06 15:22:25 | 本と雑誌

Ginza  以前、「銀座の達人たち」という本を読みましたが、本書も同じような系統のものです。
 「食」「飲」「美」「匠」「装」「趣」の6つの世界で、銀座の名店を支える名人31名が登場します。

 その中で私の印象に残った名人の言葉をいくつかご紹介します。

 まずは、まさにプロ中のプロらしい台詞です。

 「レストラン銀圓亭シェフ萩本光男氏」の言葉。

 
(p29より引用) できない人ほど手を抜く。できない人は恐さを知らない。本当のプロはおっかなくて手を抜けないんです。手を抜いたら、ろくなものはできません。料理だけでなく、何事も同じだと思いますけどね

 
 「南蛮1934バーテンダー永島明氏」の言葉。

 
(p98より引用) お金をいただく以上、七十だろうが二十歳だろうが、プロはプロです。ですから年を重ねれば極められるというものではないんです。バーテンダーの仕事は一生修業です。だからおもしろい。

 
 続いて、先に読んだ「銀座の達人たち」にも登場した「ライオン七丁目店副支配人海老原清氏」の謙遜と真実の言葉です。

 
(p76より引用) 名人の極意を乞うと、スマートな笑顔から意外な答えが返ってきた。
「注ぐのは、慣れれば誰にでもできます。大事なのは裏の仕事です。ビールの味はそれで80パーセント決まるんですよ」

 
 最後は、名人ならでは厳しさが感じられるフレーズです。

 「審美堂宝石鑑別鑑定士君島勝氏」の言葉。

 
(p203より引用) 「自分でもカットをやると、カッターの苦労がわかってしまうでしょう。すると先ほど言った許容範囲が甘くなってしまう。統括として厳しく言えなくなる可能性が出てくる。まあいいか、という気持ちでは、完璧な輝きは生れません。
 人の気持や苦労を慮る感情は尊いものだが、より研ぎ澄まされた仕事には邪魔になることもある。

 
 「渡辺木版画店浮世絵摺刷師渡邊英次氏」の言葉。

 
(p246より引用) 「摺りが楽しいという感覚が消えました。なに一つ疎かにしないという厳しさが芽生えたのかもしれません。師匠に威厳があったのも、そういうことなんですね。三十代で気づくのは遅いんですが」
しばらくして、「このごろ、よくなった」と師匠に言われたという。

 
 本書に登場している名人・達人は、「自分の技は盗んで覚えろ」といったタイプの方々ではありません。
 自分の技能を次代に伝える大切さを意識しています。そして同時にその困難さも感じているようです。

 もうひとつ感じたことがあります。
 「名人・達人は、その素晴らしさを理解しているお客に支えられている」ということです。
 名人・達人は決して「お客の声」を蔑ろにしません。誰が何と言おうと「わが道を行く」というような頑固で偏狭な考えはもっていません。むしろ謙虚で柔軟です。
 その姿勢が、名人の技に普遍的な価値を与えているのだと思います。
 
 

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