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OMOI-KOMI - 我流の作法 -

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バッタを倒すぜ アフリカで (前野ウルド浩太郎)

2025-04-17 20:15:41 | 本と雑誌

 

 日本経済新聞の書籍紹介の欄で書評家の東えりかさんが取り上げていました。

 前野ウルド浩太郎さんの著作は初めてです。本書は、7年前に出版し新書大賞を受賞した「バッタを倒しにアフリカへ」の続編とのこと、エネルギッシュなタイトルも刺激的です。

 期待どおりインパクトのあるエピソードが数多く紹介されていましたが、その中でも特に印象に残ったところをいくつか書き留めておきます。

 まずは、「論文作成の現実」についてです。
 学術論文では当然なのでしょうが、記述内容はどんなに些細なことであってもすべて実際に確認されていなくてはならないという “探求への真摯さの程度” には改めて驚かされました。「卵母細胞は毎日、徐々に大きくなる」「メスは自力でオスを蹴っ飛ばすのに苦労する」といった一行にも満たない記述の裏には、解剖や実験にもとづく測定数値があり、それを得るために多大な時間と労力を費やしているのです。
 このあたり前野さんはユーモアたっぷりに紹介していますが、現実の作業は、相手が「生き物」だけに想像以上に厳しいものだったでしょう。

 こういった前野さんの研究に向かう真摯な姿勢は、念願の論文掲載後、研究者たちからの反応を期待する姿にも表れていました。

(p537より引用) また、学会やセミナーなどで研究を紹介すると、色んな質問を頂戴できるようになった。論文を発表するだけではいけないのだ。もっと自分から話しかけていかなければ孤独感は拭い去れない。自分が行動しなければ、自分を満足させることはできない。私は甘えていただけだった

 自分の研究を多くの人たちからの声を受けて磨き上げ、さらに高みにある次なる未知を解明していこうという前向きな情熱は素晴らしいものです。

 しかし、本書を読んで最も感じ入ったところですが、前野さんの読者を楽しませるテクニックはかなりのものですね。
 話のテンポの絶妙さやユーモアの挟みどころも見事ですし、さらには、特定年齢層のマニア(オタク?)向けに「特級呪物」「ガンダムRX78-2」といったアニメやコミックの小ネタをあちこちに埋め込む遊び心もなんとも心憎い演出だと思います。

 まったく研究者にしておくには何とも惜しい逸材ですね。

 

 

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平城山を越えた女 (内田 康夫)

2025-04-14 16:50:54 | 本と雑誌

 かなり以前に読んでいた内田康夫さん “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。

 ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “シリーズ全作品制覇” にトライしてみようと思い始めました。

 この作品は「第42作目」です。今回の舞台は “奈良”

 奈良は、仕事関係で出張に行ったことはなかったと思いますが、遥か昔の修学旅行やプライベートでの旅行では、大仏、興福寺、春日大社、唐招提寺や斑鳩あたりにも訪れています。またゆっくり散策してみたい町ですね。

 ミステリー小説ですからネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、この作品、いつもの浅見光彦シリーズの展開や幕引きとは一味違っているように感じました。ひとつの事件を取り巻く絡まった糸がかなり後半に至るまで引っ張られ、その後、急転直下で謎解きに向かうのですが、エンディングは今ひとつすっきりしない・・・。
 もちろん、好みの問題でもありますし、そういった作り自体を否定するものではありません。これだけの作品を重ねているシリーズなので、いろいろなパターンがあるのは当然ですし、マンネリよりはむしろ多様な姿は望ましいことなのでしょう。

 さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら” です。

 次は、43作目の「「紅藍の女」殺人事件」ですね。

 

 

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雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら (東畑 開人)

2025-04-11 07:05:26 | 本と雑誌

 

 いつも聴いている大竹まことさんのpodcast番組に著者の東畑開人さんがゲスト出演していて紹介していた本です。

 臨床心理士として、メンタルの悩みを抱える本人はもとより、突然にそういった身近な人のケアをし始めた人たちのカウンセリングに携わっている東畑さんの話はとても興味深い内容なのですが、それらの中から特に私の関心を惹いたところをいくつか書き留めておきます。

 まずは、東畑さんが語る「こころのケア」の話に登場する基本概念、「ケア」と「セラピー」についてです。

 ケアとは何か?
 ・ケアとは傷つけないことである
 ・ケアとはニーズを満たすことである
 ・ケアとは依存を引き受けることである

 では、セラピーとは何か?
 ・傷つきと向き合うのがセラピー
 ・セラピーとはニーズを変更することである
 ・セラピーとは自立を促すことである

 そして、ケアとセラピーとの関係は?
 ・ケアが先で、セラピーが後
 ・ケアがないところでのセラピーは暴力になる

(p58より引用) ひたすら自分と向き合え、あなたが頑張れと言われると、死んじゃうよね。
 セラピーは、ケアが十分に足りているときにのみ可能になります。
 傷だらけのときに、傷つきと向き合えと言われたならば、身動き取れなくなります。

 この順序性と塩梅が重要で、このプロセスを経ることで “信頼” や “安心感” が醸成されるのです。
 そして、ケアのあとセラピーで一歩進んだら、またケアが登場します。このスパイラルでこころが回復していくのだと言い、昨今のセラピー偏重を生む “自己責任論” に対し「ケア」の重要性を東畑さんは強調するのです。 

 ふたつめ、東畑さんは、こころのケアの方法として「きく」と「おせっかい」を挙げています。
 そのうちの「おせっかい」についての勘所です。

(p214より引用) ①ニーズを満たすのが助かるおせっかい、ニーズ以外のものを押し付けるのは余計なお世話。
② 環境を変えるのが助かるおせっかい、本人を変えようとするのは余計なお世話。
おせっかいにはこの二つの軸がある。

 こころのケアに入る前に「即物的なおせっかい(環境整備)」が必要だということです。それなしでは “心のケアを受け入れる状態” に至らず、むしろ “きこう(聞こう・聴こう)とすることが、かえって相手を傷つける” ことになってしまうのです。

 さらにもうひとつ、「ケアしている自分をケアする技術」について。
 「贅沢」「勉強」「休養」「友達」と続いて、最後に東畑さんが挙げたのが「ふりかえり」です。自分がやっているケアをふりかえること、その結果 “よくなっていることを認識できればいい” のですが、その感覚の実際について東畑さんはこうコメントしています。

(p306より引用) よくなっているところ「も」ある。
 この「も」が本当に本当に貴重だと思うんですよ。・・・
 もちろん、無理にポジティブになる必要はありません。
 ケアとはネガティブなものと向き合うことなのだから、変にポジティブに解釈することは相手を否定することだし、自分に嘘をつくことになってしまう。これは有害です。
 でも、晴れ間が覗いた時間があったこと「も」事実なんですね。そういう現実は現実として、きちんと評価し、受け取るべきだと思うんです。

 「完璧」は目指しません。この「・・・も」という僅かな晴れ間がとても大切な励ましになるんですね。

 さて、とても多くの気づきが得られた本書ですが、読み通して、最も心に残ったくだりを最後に記しておきましょう。

(p310より引用) こころのケアとは、ケアする人が傷ついてしまう営みでもあり、同時に癒される営みでもある。
 傷ついているこころにかかわる。そのとき、ケアする人はときに傷つけられます。
 傷は傷を呼ぶ。
 なぜなら、傷つけることを通じてしか、自分の痛みを伝えることができないときがあるからです。

 こういった「傷つけあい」を経て、“わからない” から “わかる” 関係に至り、結果、生まれた信頼や安心感が「ケア」の本質のように思いました。

 

 

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黒の狩人 (大沢 在昌)

2025-04-08 13:20:28 | 本と雑誌

 このところ気分転換に読んでいるミステリー小説は、読破にチャレンジしている内田康夫さんの“浅見光彦シリーズ”に偏っているのですが、時折、以前よく読んでいた大沢在昌さんの作品の中から未読作にもトライしています。

 先日、“狩人シリーズ” の現時点での最新作「冬の狩人」を読んでみて結構面白かったので、今度はこのシリーズにも手を伸ばしてみようと思いました。
 というわけで、まずはシリーズ第1作目 “北の狩人” 、第2作目 “砂の狩人” を読み終わり、今度は第3作目の本作という次第です。

 エンターテインメント作品なのでネタバレになるとまずいでしょうから内容には触れませんが、この作品も十分楽しめました。

 物語の展開という点では、かなりの部分まで多くの登場人物が次々と起こるエピソードに絡んできて、正直 “ごちゃごちゃ”し過ぎている感じがしましたが、それらを一気に収束させた最後の見せ場の作り方は流石ですね。それも主人公のキャラクタ設定の秀逸さの賜物です。

 あとは、大沢さんお得意の物語のカギを握る “特別ゲスト” 。この作品でも面白い役柄設定が冴えていましたし、主人公との人間関係のあやも読みどころでしたね。まあ、ラストシーンについては、いろいろと評価がわかれるところかもしれませんが・・・。

 さて、本作で3作目、シリーズ化されているとそろそろマンネリ感が出t来てもおかしくないのですが、この調子なら、次の “雨の狩人” にも突入ですね。

 

 

 

 

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老人をなめるな (下重 暁子)

2025-04-05 11:31:23 | 本と雑誌

 いつも利用している図書館の書架をつらつらと眺めていて目につきました。

 私も世の中的にいえば “老人” と呼ばれる年代に突入してしまったので、タイトルにも親近感を抱きますね。

 著者の下重暁子さんは、NHKのアナウンサーとして活躍後フリーとなり、現在では文筆家として多彩なジャンルの作品を世に送り出しています。
 本書は、そんな下重さんの得意なテーマのひとつである “高齢化社会” を扱ったエッセイで、“明日は我が身” だからというノリもあって読んでみました。

 で、結果ですが、正直なところ、かなり期待外れでしたね。

 “私は、他の人たちとは考え方が違うんだという思い込み” が、強烈な自己主張という形でちょっと表に立ち過ぎていたようです。
 エッセイなら、著者ならではの “感性” が、とりあげたモチーフの捉え方のオリジナリティとともに伝わってくるのですが、そういったテイストの小文でもなく、時事評論なら、しっかりと事実把握を行ったうえで、自分だけの脊髄反射的な感覚ではなくもう少し多面的な観点から掘り下げた論考を展開するべきでしょうが、そういった深みも感じられません。

(p193より引用) 家庭内のことだから、詳しい事情はわからない。あくまで一般論だが、私は親を殺す子供も、子供を殺す親も、基本は同じだと思う。どちらも社会性が極端に欠如している。

 といったコメントは、個別かつ複雑な人間関係が背景にあるセンシティヴな要因を「あくまで一般論」と断りつつも乱暴に捨象していますし、「身勝手な殺人者には生涯強制労働を」とか「親は引きこもりの子供を放り出せ」といった見出しは、下重さんが付けたものではなく編集者による勇み足なのかもしれませんが、あまりにも短絡的な書きぶりです。

 これでは、歳を重ねた下重さんの日頃の愚痴を単に語り放っただけの本だと評さざるを得ませんね。とても残念です。

 

 

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恐竜最後の日: 小惑星衝突は地球をどのように変えたのか (ライリー・ブラック)

2025-04-02 07:18:15 | 本と雑誌

 

 日本経済新聞の書籍紹介の欄でサイエンスライターの竹内薫さんが取り上げていました。

 ちょっと前に、いつも利用している図書館の新着本の棚で目には入っていたので、さっそく改めて借りてきました。

 恐竜絶滅の原因は最近では “隕石衝突説” が定説に近い位置にあるようですが、本書では、隕石衝突後 “生物が絶滅に至るプロセス” と、その直後からの “再生のプロセス” を具体的に描き出して解説しています。

 興味深い内容が満載だったのですが、その中でも特に印象に残ったところをいくつか覚えとして書き留めておきます。

 まずは、「隕石衝突の生命史上のインパクト」について。

(p14より引用) 地球の生命史は、「偶然性」というたったひとつの事象によって、不可逆的な変化を経験した。もし小惑星の衝突が起こらなかったり、もっと遅かったりしていたなら、あるいは、もし衝突したのが別の場所だったならば、衝突後の数百万年の間の出来事は、まったく別のシナリオに沿って展開していたことだろう。・・・ただそうなると、このように時間や時の流れに思いをめぐらせるような種が生まれることもなかったはずだ。この日は恐竜たちだけでなく、私たち人類にとっても、きわめて重要な一日なのである。

 そうですね、このとんでもない稀有な確率で起こった一瞬の出来事が地球のすべての生命の在り様をここまで変えてしまったという事実は、「恐竜の絶滅」という事象にとどまらないメタ認知の重要性を改めて強く意識させますし、“今、この瞬間” の大切さも再認識させますね。

 そして、もう一ヵ所、隕石衝突による大量絶滅から1000年ほど経て、「新たな再生が始まりつつある生物界の姿」に言及したくだりです。

(p156より引用) ある種が存在すれば、そこには相互作用や役割が生じるため、それがほかの種の誕生や繁栄の助けになることも多い。多様性から多様性が生まれるのであって、生態系の空きは必ずしも必要ではないのだ。大量絶滅によって現状が大きく変わり、チャンスが生まれることもたしかにあるが、じつは、進化の勢いを後押しするのは生物同士の相互作用なのである。空いているニッチに生き物たちが否応なくはめ込まれて、過去と同じ関係性が何度も築かれるというような不自然な環境はありえない。・・・いまここで織り成されているのは、まったく新しい世界なのである。

 多様性を掛け合わせた「新たな進化のプロセス」が進み始めました。

 著者は、さらに、こうコメントしています。

(p157より引用) 自然選択とは、常に変化を起こす原動力であるが、それが機能するためには多様性が必要だ。

 さて、とても刺激に富んだ内容の本書ですが、その構成で最も特徴的なところとしてボリュームのある「付録」の記述が挙げられるでしょう。本編とは別に、「科学的背景について」と題した補論を追記し「本編の各章ごとに補足説明を詳細に加える」といった作りになっています。

 本編の記述は、テーマの性質上、学問的に十分な裏付けが担保されている事実に加え、専門家の間でも議論が分かれている仮説や著者の知識をベースに想像力を駆使して記述している部分が混在しています。これは、「科学という骨格を物語で肉づけしたもの」ともいうべき著者による読者の読みやすさへの配慮でもあるのですが、やはり学術的な観点では曖昧さを容認したものとも言わざるを得ません。

 その点への対策として、「付録」において、本編の記述の「根拠ごとの区分」を明確にしたというのです。珍しい構成ですが、これは、著者の “科学的記述に対する良心の現れ” として意義のある姿勢だと思います。

 そういった目新しい工夫も併せて、興味深い内容が満載の刺激に溢れる良書でした。

 

 

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伊香保殺人事件 (内田 康夫)

2025-03-30 13:35:42 | 本と雑誌

 かなり以前に読んでいた内田康夫さん “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。

 ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “シリーズ全作品制覇” にトライしてみようと思い始めました。

 この作品は「第41作目」です。今回の舞台は “伊香保(群馬)”

 伊香保には、かなり昔になりますが、近場の温泉地ということで、(たぶん)同期入社の研修後の親睦会で訪れた記憶があります。(正直、かなり朧げです)
 プライベートでも、家族ドライブで立ち寄ったことがあるように思うのですが、こちらも定かではありません。こどもたちと「ガラス細工の体験」をしたのが、伊香保だったような記憶が・・・。

 この作品、ミステリー小説ですからネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、シリーズのなかではちょっと変わったテイストのように感じました。
 最後の光彦の謎解きがすっきりと全貌を顕かにせずして幕が引かれましたが、ただ、それでも中途半端な尻切れトンボという感じは抱かなかったですね。こういったエンディングもありかも・・・、という “湯煙の里の情感” が漂うような物語でした。

 さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら”です。

 次は、42作目の「平城山(ならやま)を越えた女」ですね。

 

 

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芸能界を変える ─ たった一人から始まった働き方改革 (森崎 めぐみ)

2025-03-27 07:01:27 | 本と雑誌

 

 いつも利用している図書館の新着本の棚で目についた本です。

 人気タレントと大手テレビ局におけるコンプライアンス問題が大いに話題になっていますが、従来から “芸能界の特殊な慣行” についてはその存在は黙認されていたというのが現実の姿でしょう。

 本書の著者の森崎めぐみさんは、俳優であり、一般社団法人日本芸能従事者協会代表理事という立場で、不適切な労働慣行や各種ハラスメントが横行する芸能界における法的ルールの確立に尽力してきました。

 本書には、芸能界の実態を示す森崎さんたちが実施した調査結果や直接体験した実例が数多く紹介されているとともに、その解決策の提案・改善事例等も随所に記されています。

 しばしば “芸能界の特殊性” という言を耳にしますが、その背景には、「芸能関係の労働者」と企業や芸能事務所との多様かつ不可思議な関係の存在があります。芸能事務所に雇用されたタレントもいますが、業務委託契約やフリーランスといった「個人事業主」との位置づけにある人も多いようです。このために、これらの「個人事業主」は、雇用された労働者を対象にした各種労働法制の “枠外” におかれてしまうのです。

 もう一点は、制作側である発注者と受注(受託)側の実行者間の「歪な力関係」やそこに存する「不透明な意思決定プロセス」が挙げられるでしょう。この正常化は厄介です。弱い立場の受注者が発注者側の理不尽な実態に異を唱えることは、今以降の自らの仕事を失うという大きなリスクを覚悟せざるを得ないからです。

 理不尽さの解消、それが “ひとり” では出来ないならば「グループ(集団の力)」で対抗する、さらには「公的なルール(法律・指針・制度制定)」等で強制する、こういった具体的アクションに森崎さんは先陣を切って取り組んでいったのです。

 本書を読んで、「そうなのか」と認識を新たにした点がありました。

 コロナ禍の最中 “不要不急” の論調の影響で文化・芸能活動は甚大なダメージを受けました。そこで顕かになった諸々の芸能従事者の前近代的労働待遇の改善ステップにおいて、思いの外、厚生労働省・文化庁等の官庁・官僚が、森崎さんらの活動に呼応して機能したようです。

(p113より引用) こうしてコツコツと孤独に勉強しながらひらめいたり絶望したりを繰り返していたある日、厚労省から突然メールが来ました。労災保険を審議している会議で、これまでの事故の概要や今後についての要望を発表してほしいという内容でした。 

 これがきっかけで、「特別加入労災保険」の制度化が図られましたし、その他にも「契約ガイドライン」の発出(文化庁)や「フリーランス・事業者間取引適正化等法」の制定、メンタルヘルスケアの充実等、数々の対策が展開されました。

 もちろん、これらの顕在化したアクションも緒についたに過ぎず、実効を上げるにはまだまだ動きが鈍く不十分な対応も残っているのが現実だとは思います。
 それでも、少しずつでも見直されているという事実は、関係者のみなさんの地道な活動の大きな成果であり、今後の対策の充実・拡大に向けた明るい希望でもありますね。

 

 

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琵琶湖周航殺人歌 (内田 康夫)

2025-03-24 07:10:08 | 本と雑誌

 かなり以前に読んでいた内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。

 ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “シリーズ全作品制覇” にトライしてみようと思い始めました。

 この作品は「第38作目」です。今回の舞台は “琵琶湖(滋賀)”

 滋賀県は、数えきれない回数、上り下りの新幹線では通っていますが、ゆっくり降りて探訪したことはありません。仕事では、草津に以前勤めていた会社のお客さまの拠点があって2・3ヵ月に1回程度の頻度で訪問していたころもありました。ただ、琵琶湖も遠目に湖面が目に入った程度ですね。

 ミステリー小説ですからネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、この作品は、このころの大量創作ものにしては結構楽しめました。ストーリーや謎解きについては極々平凡ではありますが、光彦を取り巻く登場人物のキャラクタ設定が多彩で、なかなかに上手く配されていたように思います。良かったですね。

 さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら”です。

 次は、39作目の「御堂筋殺人事件」ですが、その次の40作目「歌枕殺人事件」と併せて以前読んでいます。なので、少し飛んで41作目の「伊香保殺人事件」にトライしましょう。

 

 

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争いばかりの人間たちへ ゴリラの国から (山極 寿一)

2025-03-21 07:04:58 | 本と雑誌

 いつも利用している図書館の新着本リストで目についたので手に取ってみました。

 山極寿一さんの著作は今までも「ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」」「虫とゴリラ」「京大式 おもろい勉強法」「動物たちは何をしゃべっているのか?」等々何冊か読んでいます。そして、読むたびに、山極さんの真っ当な思索にいつも数々の気づきをいただいているのですが、本書からもそうでした。
 それらの中から、特に印象に残ったところをいくつか覚えとして書き留めておきます。

 まずは、「人類の社会性」が誕生した経緯についての山極さんの理解。

(p118より引用) 人間が多産なのは、おそらく森からサバンナへ出てきた時代に高い捕食圧に直面して子ども死亡率が高まったためであり、それを現代まで受け継いでいると考えられるのだ。しかも、脳が増大するようになってから、脳の成長に摂取したエネルギーの大半を回すようになったため、子どもの身体の成長は遅くなった。そのため、人類は成長の遅い子どもをたくさん抱えなければならなくなって、母親以外の育児の手が必要になった。それが男女の経済的分業と家族の成立をもたらしたと私は考えている。まさに人類は、狩ることではなく、狩られることによって複数の家族が寄りあって暮らす社会性を発達させたのである。

 「人類は狩猟されることによって進化した」という考え方は、ある種ショッキングですね。

 さらに、人どおしが争う「戦争」は、この発達した社会性に根源があると山極さんの論考は進みます。

(p121より引用) 戦争の由来は人類の祖先が危険の多い環境で手を取り合って生き抜くために作り上げた、共感に基づく強い集団への帰属意識にあることがわかる。

(p122より引用) 戦争は人類の攻撃性を狩猟生活が高めた結果ではない。狩られる生活のなかで人類が生存のために生み出した、特殊な集団意識とコミュニケーションの産物なのである。

 “共感に基づく集団への帰属意識の強さ” の裏返しとしての「他の共同体へ向ける敵意」が戦争という過度な暴力を作り出したという考えです。

 こういった「戦争の起源」を探求している山極さんは、同時に「戦争を起こさない思考スタイル」についても紹介しています。

(p143より引用) 人間は他の動物にはない能力を持っています。
 1つは他人の目から見た自分を想像できること。もう1つはいろんなグループの中で自分を演じられる自分がいること。この2つの能力から世界を平和にする提案をします。

 具体的には、それは「人との付き合い方」の工夫です。

(p146より引用) 付き合い方を意識すると、相手にそんなに負担を感じさせないですみます。それが人間社会のルールみたいなもの。あんまり溝をつくらない、あんまり絆を重くしない。だから、親友ができなくてもそう悲観しなくてもいい。親友はいなくてもいいんです。・・・
 絆を重くせず、かろやかに人と付き合いましょう。味方をつくらないのだから、敵もできません。それは、平和をつくる礎になります。

 山極さんが語る「絆を重くしない」という提言にはとても納得感があります。こういう “気持ちのゆとり” や “オープンマインド” は心地よさそうですね。

 ただ、現代の人と人との “付き合い” は、リアルな場に加えてSNSに代表される “バーチャルな空間” での関わりが大きなウェイトを占めており、この仮想空間内では、いとも簡単に “他人と絡む” ことが可能になっています。さらに、そこでの “匿名性” は、無責任性を増幅したりひとりの人間が複数の人格を演じたりすることも容易にしています。
 敵味方が流動しつつ安直に色分けされる社会、虚実が入り混じったこの新種のコミュニケーション空間で、人と人との付き合い方の練度をいかに高めていくか。こういった不安定な環境下での “相互信頼の形成” が、まさに今日的な課題といえるでしょう。

(p211より引用) そして今また、急激な変化の時代を迎えている。それは携帯電話やインターネットによるコミュニケーション革命である。人間は対面し、相手の存在を感じ取れる社会の肌触りの中で道徳を育ててきた。それが感じられないこの新しいコミュニケーション世界のなかで、道徳ははたして人間社会の規矩として持ちこたえられるだろうか。こころの準備ができないまま巨大なコミュニケーションのニッチを構築してしまった今、私たちはこころと社会の在り方を進化の視点から再び見つめ直す必要があると私は思う。

 山極さんもこう語っていました。

 

 

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罪を犯した人々を支える ─ 刑事司法と福祉のはざまで(藤原 正範)

2025-03-18 07:33:47 | 本と雑誌

 いつも利用している図書館の新着本の棚で目についた本です。

 私の実生活の中では馴染みの薄いテーマですが、「闇バイト」のように誰もが犯罪者になる可能性が高まっている今日、その犯行後の矯正の問題はますます重要性を増してくるでしょう。そのあたり、少しでも現状を頭に入れておこうと思い手に取ってみました。

 著者の藤原正範さんは長年にわたり家庭裁判所調査官として少年犯罪に向き合ってきたとのこと。藤原さんの実務経験と裁判傍聴等から得た多くの実例をもとに、司法と福祉の現代的課題を指摘してくれています。
 それらの中から、特に印象に残ったところをいくつか覚えとして書き留めておきます。

 まずは、「更生」についての藤原さんの思いを表しているくだりです。

 本書で藤原さんが第1章で提示している刑事裁判例は、窃盗、詐欺といった比較的軽い犯罪が対象です。その分、裁判手続きは多くの場合機械的に進められるのですが、この点に藤原さんは問題点の萌芽をみています。

(p77より引用) 更生とは、裁判の結果送り込まれる刑事施設で自分を見つめ直し人間性を回復することだ、という言説はフィクションである。人の立ち直りは自分自身を大切にしたいと思うことが出発点である。刑事司法手続きの中に、人を大切にする気持ちを育む機能は内包されていない。

 具体的には、

(p202より引用) 刑事裁判で検察官は、犯行動機や背景を捜査結果に基づいて一見客観的に語るが、最後は、お決まりの「規範意識が甚だしく欠如」という言葉に表されるとおり、被告人自身の資質や性格に犯罪の原因があると断定する。裁判官は、判決で「被告人に有利な事情を最大限考慮しても本件への非難は免れない」と結論付ける。刑事裁判の一連の流れは犯罪ではなく犯罪者を憎むシステムとして機能し、その憎むべき人を社会から遠ざける結果に至る。

 というのが実態だと藤原さんは語ります。

 そして、次は「各種犯罪統計」からわかった「福祉ニーズ」に係る課題についてです。
 藤原さんは、昨今の犯罪の傾向を、
  1.罪を犯す人の高齢化
  2.障害を抱えた人の増加
  3.生活困窮者の累犯者化
の3点に集約し、それぞれの実態と解決の方向性を記しています。
 たとえば「生活困窮者の累犯者化」についてはこういったコメントが続きます。

(p135より引用) もちろん、貧困が犯罪の大きな背景であることは今さら強調することではなく、昔から言われていた。そして、刑事司法手続きの本流を流されるということはその人の貧困をますます深刻化させるのである。貧困の克服は本人の自己責任なのだろうか。刑事司法手続きがさらに貧困を加速させても、それを含めて刑罰であると言うのだろうか。
 そんな困難を乗り越えられる超人的パワーの持ち主ならば、そもそも罪を犯すことはないだろう。犯罪と貧困の悪いスパイラルを断てない累犯者の問題を社会全体で受け止め、その解決方法を探さなければならない。

 「貧困」や「格差」における “自己責任論” が招く現代日本の課題が現出した一面ですね。

 さて、本書を読んでの感想です。
 本書で藤原さんは「社会生活における “弱者” の累犯」を抑止する取り組みの重要性を一貫して訴えています。

(p203より引用) 私は、犯罪を生み出すのは社会であり、社会の傷として犯罪が生み出されると考えている。・・・
 私は、こんなふうに思うのだ。罪を犯すのは、そこに至るまでの人生の中でさまざまな事情からうまく生きることができなかった人たちである。そのさまざまな事情の中にある社会の責任は決して小さなものではない。さらに、犯罪の結果強制される刑事司法手続きは、そのさまざまな事情をまったく解決せず、それどころか、本人の心のダメージを広げ、それを修復する手助けをせず、手続き終了後は放り出すように社会に戻すのである。

 この「社会と法律と犯罪との関係性」についての指摘はとても重要ですね。

 ごく普通の生活者ですら、厳しい日々を強いられている今日、“罪を犯した人たちの社会復帰” を支援する取り組みは、高齢化社会に急速に移行しつつある我が国においては喫緊の課題のひとつであるとの認識を新たにしました。
 とても示唆に富む著作でした。

 

 

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60代からの資産「使い切り」法 今ある資産の寿命を伸ばす賢い「取り崩し」の技術 (野尻 哲史)

2025-03-15 11:31:13 | 本と雑誌

 

 いつも利用している図書館の新着本リストで目について手に取った本です。

 タイトルに「60代からの」とありますが、私も60代半ばを過ぎ、まさに本書のターゲット層にドンピシャのライフステージに至ってしまいました。
 なので、まずは、こういった “How To本” で基本を頭に入れておこうと読んでみたのですが、著者の野尻哲史さんの解説はとても分かりやすく、示されたアドバイスも具体的で大いに参考になりました。

 本書での野尻さんのアドバイスの要諦は、資産の取り崩し期における「資産活用」の薦めです。そして、その際に留意すべきポイントは「収益率配列のリスク」の存在だと指摘しています。

(p121より引用) こうした収益率の並び方が資産残高に影響するという考え方は、海外では Sequence of returns risk と呼ばれて、よく知られています。・・・
 これは資産運用そのもののリスクではありませんが、お金と向き合う個人としてはとても放っておけないリスクです。資産運用では、長期投資をすれば収益率が収れんして平均に近づくことが知られていますが、資産活用ではたとえ収益率が同じでもその並び方によって、そこには別のリスクが潜んでいるのです。これは資産運用だけを知っていてもわからないリスクだと思います。

 この「収益率配列のリスク」を踏まえると、「定額」で引き出し続けると、収益率の並びが、前半に好調なパターンと後半に好調なパターンとでは最終的な資産残高に大きな差が生じてしまうのです。そして、その差を抑えるための提言、言い換えると「定額引き出し」のアンチテーゼとして野尻さんが提示しているのが「定率引き出し」という手法です。

 ちなみに、この手法には資産残高の減少にともない引出額も減少するという懸念が指摘されるのですが、これに対しては、引出率を段階的に高めるという「予定率引き出し」という変化形の対応策も提示されています。

 すなわち、資産活用期における具体的な資産の引き出し方法は、「定額」ではなく「定率」を基本とすべきということになります。

 このあたりの「引き出し方法」の考え方を、野尻さんは

(p167より引用) 定額引き出し、定率引き出し、定口引き出し、余命をうまく使った予定率引き出しなどをうまく組み合わせることが重要で、それが「資産活用」の重要なポイントになる

 と総括していて、これらの方法を退職後の「資産活用」のフェーズに当てはめると、

  ・前半は「率」による引き出し、後半は「額」による引き出し

という組み合わせが野尻さんのお薦めのやり方のようです。

 そして、こういった “引き出し方法の工夫” で、
  ・取崩額=引出額ー運用による増額
という関係式の「取崩額の圧縮」、すなわち「資産の延命」を図るというわけです。

 本書の最後に、野尻さんは「資産活用層の社会貢献」として “高齢者の消費促進” を訴えています。
 私も今まさにその入口に立っているますから、少しでも「日本経済の活性化」に貢献したいのですが、先立つ “資産形成” が何とも心もとないという有様です。

 となると、「退職後やってはならない行動」の典型である “素人の資産運用” にチャレンジしますかねぇ・・・。
 ただ、現下のトランプ政権による猫の目のように日々変転する政策は、資産運用という観点では “先行き不透明な投資環境” をもたらすだけで、それこそ株式投資は「博打」以外の何物でもなくなってしまいます。何とも悩ましいですね。

 

 

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消費される階級 (酒井 順子)

2025-03-12 07:00:35 | 本と雑誌

 

 いつも聴いている大竹まことさんのpodcast番組に著者の酒井順子さんがゲスト出演していて紹介していた本です。

 酒井さんは、以前「負け犬の遠吠え」で大いに有名になったエッセイストですが、それも、もう20年も前なんですね。

 本書もその酒井さんによるエッセイ。最近のSNSでも頻繁に見られる “マウンティング” や “過度な公平要求” 等をはじめとした「今日的な階級問題」の実態を材料に、酒井さん一流の感性でウィットに富んだ小文に仕立て上げています。

 なるほど、といった刺激や気づきに溢れた内容でしたが、それらの中から特に私の関心を惹いたところをひとつ書き留めておきます。

 「男性アイドルは無常の風の中に」とのタイトルの一文より、「ジャニー喜多川事件」の影響について言及したくだりです。

(p202より引用) ジャニー喜多川氏が築いた帝国が崩壊した後、日本の男性アイドルの世界は、変わっていくことでしょう。芸能界の特殊さも少しずつ薄れ、世間と同様の常識や法律や倫理観や人権意識が通用する世になっていくに違いありません。

 と酒井さんはコメントしていますが、ここでの “芸能界の特殊性” は、「芸能系マスコミの世界」を舞台に、いまだに悪弊を覗かせ続けているようですね。

 ポリティカル・コレクトネスやコンプライアンスといった耳新しい言葉が存在感を増しつつある世の中ですが、ひと皮剥くとその下層には、本書の其処此処に登場している “女性差別” “謂れのない序列化” “男性視線” “男女別役割分担論” といった前近代的遺物がまだまだ幅を利かせています。

 こういう “ムラ社会の住民” は、昨今のSNS界隈の様子を鑑みるに、まだまだ多数派なのかもしれません。

 

 

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神戸殺人事件 (内田 康夫)

2025-03-09 10:23:09 | 本と雑誌

 かなり以前に読んでいた内田康夫さん “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。

 ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “シリーズ全作品制覇” にトライしてみようと思い始めました。

 この作品は「第37作目」です。今回の舞台は “神戸”

 神戸には、小学校のときの六甲山での林間学校をはじめとして、もちろんプライベートでも何度か訪れています。
 ただ、“神戸” の記憶で極め付きはかなり以前の会社時代のものです。神戸を仕事で訪れたのは、1994年12月、阪神・淡路大震災の1ヵ月前でした。震災時は、訪問先のビルがあった長田地区の被害は甚大で、センターに勤務されていた方々、ご家族の多くが被災されました。
 あれから30年、震災当日の朝、会社に出て目にした「ほの暗い街並みのあちらこちらで炎があがっているテレビ映像」は今でもしっかりと覚えています。

 さて、本書に戻りましょう。ミステリー小説ですからネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、この作品、シリーズの中でも稀なほど粗雑な設定だったように思います。ここで粗雑というのは、事件の背景、特に犯人の動機が稚拙だとの意味です。さらには “謎解き” に登場した反則技の小道具も、推理の楽しみに逆行していて光彦らしくありませんでした。残念でしたね。

 あと、ついでにもう一言。本作を読んでともかく印象に残ったのは、浅見光彦が事件の関係者と会って俄然興味を持った際の “言葉” でした。相手の苦しみを踏みにじるようなとても「傲慢」な宣言には大いに驚きました。これにはガッカリです。こちらの方が効いたかもしれません。

 さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら” です。

 次は、38作目の「琵琶湖周航殺人歌」ですね。

 

 

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中東危機がわかれば世界がわかる (中川浩一)

2025-03-06 09:47:30 | 本と雑誌

 

 いつも利用している図書館の新着本の棚で目についた本です。

 イスラエルとハマスとの間の「ガザ紛争」に代表されるように、中東紛争は拠って立つところにより、その善悪、正否の判断は全く異なります。
 それらの争点を俯瞰した視座から捉えるには中東地域における歴史的・政治的は背景の理解が不可欠なのですが、私の場合、そのあたりの知識は、遥か昔の学生時代の「世界史の教科書」レベルでしかありませんし、その僅かな知識も恥ずかしながら急激に減衰しています。

 著者の中川浩一さん外務官僚として在イスラエル日本国大使館、対パレスチナ日本政府代表事務所等、現地での豊富な勤務経験を有しています。その中川さんによる「中東政治状況の入門書」は基礎的な知識から整理し直すにはとても有用でした。

 いくつもの重要な指摘の中から、特に私の印象に残ったところをひとつ覚えとして書き留めておきます。

 現時点、進行形の紛争である「ガザ紛争」にも直結する「パレスチナ問題への日本の関わり方」についてです。
 この紛争における対応の欧米主要国の基本スタンスは「イスラエル支持」ですが、日本の拠って立つべきスタンスについて中川さんはこう指摘しています。

(p176より) 日本は他のG7と中東における国益が異なるのです。日本は、中東への原油依存度が群を抜いて高い。イスラエル、パレスチナ双方からの信頼を得なければならない立場です。

 “バランスが重要” との考えですが、このところの日本政府の対応は、少なくともアラブ諸国からは「イスラエル寄り」に見えるでしょう。

 アメリカがパレスチナ問題に消極的だったバイデン政権からトランプ政権に移行し、早速「停戦・人質解放」が進み始め、さらには「ガザの住民全員移住」といった奇天烈?ともいうべき提案もなされました。
 もちろん、発信源がトランプ大統領である場合は、その言説もアクションも流動的で不確定要素大ですから、日本の基本的対応は、パレスチナやアラブ諸国も反応も踏まえつつ、今まで以上に地に足の着いたものである必要がありますね。

 現実的にはある程度の政治的配慮がなされるとしても、ともかく何より関係各国・組織が「人道上の問題」の解決に最優先で取り組むことを期待しますし、アラブ諸国とも一定の関係性を築いてきた日本としてもその進展に大いに寄与して欲しいと思いますが、さて、どうなるでしょう・・・。

 何はともあれ、まずは何とか、人々の安寧が一刻も早く図られますように。

 

 

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