故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

シーボルト事件 発覚

2013年08月10日 12時15分08秒 | 幕末史

今朝は起きたのが5時15分。どうしたものだろうか、だんだんと起きる時間が遅くなっている暑さで体力が落ちているのか?仕事の疲れだろうか? 最近はお腹周りも丸くなったような、勤めに行くようになって歩きの時間も少なくなっているのも影響しているのだろうか? そんなんで今日の歩きは50分で6,000歩弱。帰宅後は花壇の作成に汗を流した。取りあえずブロックを組んで囲って、花崗土を敷き詰める。周りのタイルは何時の事になるやら。

 

今日はシーボルト事件が発覚した日だ。文政11年(1828)8月10日の事である。

シーボルトが、幕府禁制品である日本地図などの持ち出しを図ったが、船が暴風で坐礁し発覚し出国停止に。1年の取調べの後追放処分になった。文政11年(1828)オランダ商館付の医師であるシーボルトが帰国する直前、所持品の中に国外に持ち出すことが禁じられていた日本地図などが見つかり、それを贈った幕府天文方・書物奉行の高橋景保ほか十数名が処分され、高橋景保は獄死した。シーボルトは文政12年(1829)に国外追放、再渡航禁止の処分を受けた。樺太東岸の資料を求めていた景保にシーボルトがクルーゼンシュテルンの『世界周航記』などを贈り、その代わりに、景保が伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』の縮図をシーボルトに贈った。この縮図をシーボルトが国外に持ち出そうとしたのである。  追放になったシーボルトは安政5年(1858)の日蘭修好通商条約の締結により追放が解除となり、翌年、安政6年に長男を伴い再来日し、幕府の外交顧問となっている。

 

で、今日はこの辺で。じゃ~またネ



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