故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

丸亀城の外堀跡と大久保利通が襲われた日

2013年05月14日 17時07分54秒 | 歴史

今朝の歩きで見つけたものを。これは汐入川の「土居橋」。 この場所も橋の欄干の4分の3位は埋め立てられて民家や畑になっている。藩政時代は城の外堀であったところ。

 

県道33号線(旧国道)を跨ぎ、北へ行くと完全に公園化された外堀。堀川の面影はなく、地下に水路は埋まってしまった。

 

説明石には⇒『ここは、渡し場へ通じる要路で広い汐入川には立派な橋が架かっていた。また、川の西岸付近は旧藩時代の建築を司る作事奉行をはじめ、作事に関する役人や大工、左官達が詰めていて建築や修理用材木が貯蔵されていた。これを領民たちは「お作事」と呼んでいた』  読みにくいのでそのまま文。

 

今日は、大久保利通が襲われた日

明治11年(1878)5月14日、紀尾井坂(東京都千代田区紀尾井町清水谷)で暗殺されたので「紀尾井坂事件」という。また「大久保利通暗殺事件」とも。犯人は石川県の士族島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一・杉村文一および島根県の士族の浅井寿篤の6名。中心的存在は島田一郎である。島田は加賀藩の足軽として第一次長州征伐、戊辰戦争に参加しており、明治維新後も軍人であったが、征韓論に共鳴しており、明治6年政変で西郷隆盛が下野したことに憤激して以後、国事に奔走することになった。島田らが大久保暗殺時に持参していた斬奸状は次の5罪を挙げている。

1、 国会も憲法も開設せず民権を抑圧している。

2、 法令の朝令暮改が激しく、また官吏の登用に情実・コネが使われている。

3、 不要な土木事業・建築により国費を無駄使いしている。

4、 国を思う志士を排斥して内乱を引き起こした。

5、 外国との条約改正を遂行せず国威を貶めている。

午前8時ごろ、大久保は麹町の自邸を出発して、明治天皇に謁見するため、二頭立ての馬車で赤坂仮皇居へ向かっていた。午前8時30分頃、紀尾井町清水谷で襲撃された。大久保は馬車から引きずり降ろされ、全身に16箇所の傷を受け斬殺された(享年49)。島田らは刀を捨てて、大久保の罪五事と、他の政府高官(木戸孝允、岩倉具視、大隈重信、伊藤博文、黒田清隆、川路利良)の罪を挙げた斬奸状を手に自首した。

 

今日も暑い。畑や家のゴゾゴゾに汗がびっしょり。 では、この辺でじゃ~またネ



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