故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

丸亀の絵描き大西雪渓

2013年04月04日 16時54分59秒 | 歴史

今朝は久しぶりに南へ南へと歩き、善通寺市与北町から丸亀市垂水町経由で郡家町と廻ってみた。水仙と芝桜が、またこのお家、お花に飾られて艶やか。最近は本当にこういうものを見て美しい・綺麗だと思うようになった。年のせいだろうか?「勝手に写真を撮り、ごめんなさい。」

 

だから、こういう看板ってか張り紙を見ると「行ってみよう」という気分になってくる。4月21日(日)10時から。関心のある方は是非どうぞ。

 

大西雪渓の筆塚と その説明。筆塚は明治17年、三条町の久留島修平氏の寄贈で神野神社に建立されたが、平成2年に生家跡の大西邸前に移築された。

 

大西雪渓は文化10年(1813)に現在の郡家町大林の生まれで、京都の円山派中島来章に学んだ。山水花鳥を得意とし人物画は独特の洞察力を表している。明治22年には屏風絵「松鶴図」を宮内庁へ献上している。山陽以西の至る所に作品が残っているとの事である。  台座には文章が書きこまれているが私には読めそうにない。宮内庁より絵の献上により若干金を賜う?ご褒美が出たことだろうか?この地方で初めての画家ということもあって弟子も多く、門人の中には高畠一渓・富田観星・三好応岸・塩田遊圃・草薙篁斎らがいる。明治23年8月に78歳で亡くなっている。

 

四国職業能力開発大学校の校門前に「入学式」の立て看板が! 若者は希望を胸に、明日に向かってこの門を入るのか。未来に希望を・夢を・若さで行動を。

 

って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ


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