

(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(1級)問題より
【72】源頼朝は義経追討という大義名分で全国に守護・地頭を置きましたが、
最初の但馬守護に任じたのは、誰でしょうか。
源頼朝は全国に守護職を配置します。源頼朝の信任が厚い安達親長(あだち
ちかなが)が、但馬守護職に任ぜられました。安達氏の祖・安達藤九郎盛長は、伊豆に
流罪となった源頼朝に従ったという武将です。その流れをくむ安達親長が、鎌倉幕府の
有力御家人の一人として但馬の地を治める守護職となったのです。親長は出雲の守護職
も兼任していましたが、承久の変で後鳥羽上皇に与したため解任されます。
その後任は、但馬国太田荘(但東町)を領していた太田昌明が守護職になります。太田
氏の守護職が110年続き、鎌倉幕府が滅び室町幕府の時代になって但馬守護職は山名
師義(やまなもろよし)となるのです。その後、豊臣秀吉に滅ぼされるまで山名一族の
但馬支配の時代が続きます。
答えは 【安達親長】 です。
『大鵬』
じいちゃんが中学生の頃といったら「巨人・大鵬・卵焼き(きょじん・たいほう・たま
ごやき)」って流行語があったんよ。子供も大人もみんなに人気のある代名詞だったの。
その頃の大相撲は若乃花、栃錦の時代から大鵬、柏戸の時代に代わったころだったの。特
に大鵬の安定した強さはとても人気を得るものだったね。それに、ウクライナ人の父を持
つ樺太生まれの大鵬は、外国人の顔立ちです。今と違い、全部が全部日本人関取の中で、
目立つ顔立ちとそのスマートな取り口で、物凄い人気だったね。
大鵬、柏戸両横綱の千秋楽優勝決定戦は、たいがい大鵬の勝ちで優勝が決まる圧倒的な強
さだったの。幕内優勝も32回で、つい最近まで破られなかった大記録の持ち主だったん
だよ。そんな大鵬のラジオでの相撲放送を聞いて、じいちゃんの中学生時代は過ぎていっ
たんよ。