完璧(かんぺき)

2012年01月29日 | 私の思い
(雪が融けたと思ったら、また夜半から深々と降り続く・・・写真と本文関係なし)

24日の施政方針演説を読んでいまして感じます。
野田首相は演説冒頭真っ先に、《「与野党が信頼関係の上に立ってよく話し合い、結論を出し、国政を動かしていくことこそ、国民に対する政治の責任であると私は信じます」。これは、4年前、当時の福田総理がこの演壇から与野党に訴えかけられた施政方針演説の一節です。》と声を張り上げてますね。
さらに、中盤の社会保障と税の一体改革推進の演説の中では、《「持続可能な社会保障制度を実現するには、給付に見合った負担が必要です」、「経済状況を好転させることを前提として、遅滞なく、かつ段階的に消費税を含む税制抜本改革を行なうため、2011年度までに必要な法制上の措置を講じます」、「これは、社会保障を安心なものにするためです。子や孫に、負担を先送りしないためであります」、これらは、私の言葉ではありません。3年前、当時の麻生総理がこの議場でなされた施政方針演説の中の言葉です。私が目指すものも同じです。》と、又々自民党政権時代の総理の言葉を、都合よく引用しての演説ですね。
民主党が野党だった時には、福田総理の発言にどれだけ「よく話し合い、真剣に協議に協力したか」は棚に上げ、麻生総理の発言の対しても、「消費税を含む税制抜本改革」に反対したのはどこの党でしたかと、今度は協議にのってこないはおかしいなんて、言えるはずもないのに妙ですね。

しかし、今度は谷垣総裁の代表質問も嫌味です。
野田首相が街頭演説で、「マニフェストについて、書いてあることは命がけで実行する。書いていないことはやらない。それがルールだ」と述べたことに触れての、マニフェストを撤回しろ、解散だと責め立てるのも嫌ですね。
どちらもどちら、過去の発言にそんなにこだわり意地を張るのは、相手に完璧を求めすぎることから出るのでしょうね。過去の発言に対する責任もとても大事といえますが、日本の将来に突き付けられてる、本当になすべき施策に真剣に知恵を出したり、話し合うことそれの方が先でしょう当たり前、発言に完璧を求めたりするよりなにより、何をしなくちゃならないか、日本の将来どうしよう、それの議論をしてちょうだい、言葉の「完璧」よりも政策施策の「完璧」を、国民は切に望んでいるでしょう。

「完璧」って言葉を辞書で引きますと、「完全なこと・欠点がないこと」と書いてあります。その他に「傷のない玉の意」とも出てますその上に、「完壁」と書くと誤りですよと、「完璧」の「璧;ぺき」の字は「壁:かべ」ではないよと書いてあります不思議です。
ちょっと調べますね「完璧:かんぺき」の語源、どうも昔の大陸の、「史記」と云う書、司馬遷の「史記・廉頗藺相如列伝第二十一」の、《藺相如:完璧帰趙・・・藺相如(りんしょうじょ)と云う者が璧(ぺき)を趙の国に持ち帰った》と云う話からのものですね。

秦の時代ですね、趙(ちょう)の国から、強国の秦の国へ使いに出ました藺相如(りんしょうじょ)と云う者が、秦の王様の策略で、国の宝であります宝玉を秦の領土と引き換えと云う嘘で取られそうになった時です。
王の手から璧(宝玉)を取り返すと、あとずさりして「私の頭とともに、この璧(宝玉)を叩き割ってお見せしましょう。王様と私と璧(宝玉)が血で染まります」と啖呵を切ったそうです。璧(宝玉)を自分の国の趙の王のもとに無事持ち帰ることが出来たという話です。
完璧(かんぺき)の語源は、大切な宝の玉の別名、璧(ぺき)を完(まっと)うすから来ています。辞書に出ていました「傷のない玉の意」の元の意味ですね。

さらに、「廉頗藺相如列伝」の話は続きます。
趙の国に無事帰った藺相如(りんしょうじょ)は、その後、秦と趙の王様どうしの宴の席で、楽器を奏でるいざこざなどで辱めを、受けずに切り抜けたりした功績で取り立てられて、趙国では上の地位にのぼります。
元々の将軍・廉頗(れんは)はおもしろくありません。廉頗(れんは)と藺相如(りんしょうじょ)の仲が上手くいかない状態が続きます。
そんな時です。藺相如(りんしょうじょ)は出来るだけ道を譲って、廉頗(れんは)を立てるのです。藺相如の従者たちから、そんなに遠慮するのはどうかと尋ねられ、真の強国・秦に攻められないために、将軍・廉頗(れんは)と智将・藺相如(りんしょうじょ)が趙の国に存在することを示しているのだと云いました。
それを聞いた廉頗(れんは)は心打たれ、それ以来、廉頗は「私は藺相如のためなら、この頚を刎ねられても悔いはありません」と誓い、藺相如も「私も将軍・廉頗のためなら喜んで頚を刎ねられましょう」と誓ったそうです。

首をはねられても悔いはないという友であることを、この故事から由来して刎頚之友(ふんけいのとも)と云うそうですね。
野田首相も谷垣総裁も、戦うべき真の相手は国の将来についての心配や、周りを取り巻く国ですよ。刎頚之友(ふんけいのとも)と云うところまでは行かなくとも、どうか大事な政策施策は、なにとぞ真剣に協議でもなんでも進めてください。そんなことを願います。

《完璧を 求めるまでに 刎頸を》