根源の大切さ

2011年10月10日 | 私の思い
(今日は国民の祝日「体育の日」です)

今日は国民の祝日「体育の日」です。
47年も前になります昭和39年の10月10日でした。私が社会人になったその年の秋、前日までの雨がウソのように完璧に晴れ上がった快晴の空の下で、東京オリンピックが開催されました。戦争に敗れた日本を全力で復興したその暁を、世界に誇らしげに晴れやかに披露する晴れ舞台、「世界中の青空を東京に集めました」とアナウンスされた日本晴れの東京でのオリンピック、本当に日本中が沸きに沸いた出来事の一日でした。

余談ですが、オリンピックの開会式があまりに晴れ上がった素晴らしい天気に恵まれたため、その後の話として開会式が10月10日になった理由は、日本の観測史上晴れる確率が高い「晴れの特異日」であったとまことしやかに言われ続けてきました。でも10月10日は「晴れの特異日」ではありません。「晴れの特異日」は11月3日なのです。
しかし開会式が10月10日になったのは、単に暑さも和らぎしのぎやすい秋にしたこと、10月9日の金曜日を開会式、一日休んで10月11日の日曜日から競技開始の原案が、一日休む必要なしの競技開始前日の10月10日土曜日に変更されたこと、そんなわけで10月10日とゾロ目の覚えやすい日となったわけです。

その東京オリンピックの開会式の日、10月10日を記念して「体育の日」が制定されたのですね。開会式の一年前には尼崎・栗東間が開通した名神高速道路、オリンピックに合わせるように完成した東京都内の立体高速道路、直前の10月1日に開通した東海道新幹線、それは戦後復興の華やかなシンボルでした。そしてその後始まる日本の高度経済成長の幕開けを告げる記念すべき時でした。
そんな時に開かれた東京オリンピックは、単にスポーツへの親しみや健康への培いを高める以上の意味を持った、日本人が日本人を自覚する戦後の精神的拠り所の「根源」のようなものでした。

国民の祝日って、1月1日の元日から始まって12月23日の天皇誕生日まで15日もあります。それぞれその日が祝日になった理由がちゃんとあります。例えば「成人の日」は、埼玉県蕨市の昭和21年11月の「青年祭」に影響受け制定されたこと、昔から元服の儀礼がおこなわれた1月15日に制定されたことが「成人の日」の根源です。
「海の日」も明治天皇が東北行幸の帰途、明治丸で横浜港に7月20日に安着されたことの「海の記念日」が根源、「敬老の日」は兵庫県多可町で昭和22年に日本で初めて敬老会が開催され、翌年の9月15日を「としよりの日」と定めて村の祝日にしたこと、そして兵庫県に働きかけて県、国がこれを順次受け継ぐ形で昭和41年に「敬老の日」になったことが根源です。
「成人の日」は1月15日、「海の日」は7月20日、「敬老の日」は9月15日、「体育の日」は10月10日が根源なのです。
今やこの4つの国民の祝日は、おおよそ10年前からハッピーマンデー制度とやらの妙な理屈のもとにより、「成人の日」は1月の第2月曜日、「海の日」は7月の第3月曜日、「敬老の日」は9月の第3月曜日、「体育の日」は10月の第2月曜日となりました。まあ今年こそ「体育の日」が本来の10月10日になりますが、次に巡ってくるのは2016年、2022年、2033年という有様です。
1月15日が根源だった「成人の日」は第2月曜日となったために、それはどう計算しても14日までしかあてはまりませんから絶対に1月15日が第2月曜日になるはずありません。永久に根源から外れます。

日本の祝日が、きちんとその歴史的由来や文化を伝えないようになったのはいつの頃からなのでしょうか、ましてや根源をないがしろにしたハッピーマンデーなんかにしてしまった10年ちょっと前からでしょう、日本人の本来の精神が溶解していくように感じられるのは私だけでしょうか?、いつも国民の祝日迎えるたびに考えますこんなことを。

《根源を きちんと押さえ 教えてね》 



十月十日と書いて「朝」と読む

2011年10月10日 | その他
(アトムのカレンダーに、96%、99%と記して本日10日を迎えます)

先月9月7日から昨日まで、ブログのタイトルに「ただ今充電中」と書いて毎日3%ずつ加え、空の写真だけで済ませて33日間もブログの投稿を休んでしまいました。
ブログを休んだ特別な理由(わけ)はありません。たまたま9月7日にBSアンテナの修理で訪ねた同級生のMさん宅で、『粟鹿(あわが)神社が但馬五社と言われる由縁(ゆえん)を知りませんか?、教えてよ』、『粟鹿地区の小高い坂道の風景って日本の原風景のようですね、奈良の明日香にどこか似てますね』なんて話をいたします。
Mさんは「粟鹿神社の事を、今日のブログに書くのですか?」、「ところで、最近の君のブログは句読点が少しおかしいね、それにクセのある言い回しの文章は読み辛いね、できたらもう少しコンパクトに書けないかな」と同級生の誼(よしみ)でしょうか、私よりもずっと勉強家で読書家のMさんからの親切なアドバイスです。
他の方からも聞きました。「論語なんか書いて難しすぎる」、「政治の事なんか書かないほうがいいのに」、「文章が読み辛い、長いので読む気がしなくなる」、「・・・ね、・・・ね、なんて書き方を少しは改めて、素直な文章で書いてはどうか」と苦言も聞きました。「街の電気屋さんらしい、読んでホッとするような、読み終えてニコッとするような」、そんなブログを書いてよと注文でした。
先月の9月7日はたまたまです。その日は書くことありません。書くネタに困っていましたホントです。ならば無理して書くことなかろうかと思いつき、ちょっぴり休むことにいたします。毎日空を見上げて写真を撮って、予約投稿で毎夜の10時にアップをいたします。
休んでいる間に考えました。文章はコンパクトに読みやすく、ホッとニコッとするようなお話を書けないものだろうかと考えました。休んでいました間に何篇か試しの文章を書いたり、字の大きさ色や体裁も試してみましたいろいろと、さらにやってみました書き込む時刻、早朝にはできないものかと試してみます。

今回だけ書きます早朝に、「朝」のお話を書いてみます。

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おはようございます。
アトムのカレンダーに96%、99%と記(しる)して本日朝を迎えます。

33日間休んで初めて書きます今日の日が、10月10日は偶然です。
《 十月十日と書いて「朝」と読む 、朝は一日の始まり、物事の生まれ変わりを表す》と
アトムのカレンダーは7月の挿絵に書いてありました。

「朝」と言う字を分解しますと十月十日(とつき・とおか)となります。

お母さんのおなかの中で、十月十日(とつき・とおか)過ごしてこの世に生まれた赤ちゃんは、十月十日と書いた「朝」を迎えるわけです。
朝は一日の始まり、一生の始まりというわけ、物事の始まりというわけです。
朝を迎えるたびに、物事が新たに始まるというとても大切な言葉です。
毎日毎日朝はやってきますが、とりわけ語源の十月十日(じゅうがつ・とおか)の今日の朝は、一年一度のとても大切な朝です。

今日のこの日のこの朝に、私もブログを再開します。
文章は短く、ホッとニコッとするような、いい話を書こうと思います。


昔の人は良いことを言いました。

「朝寝昼寝は貧乏の基」とか、「朝寝八石の損」と言います。
朝起きが遅い者、昼寝が長い者は何事につけても損失が多いという戒めです。
それに比べて「朝起き千両」とか、「早起きは三文の徳」と言いまして、
朝早く起きて、何かをすることの素晴らしさを、千両の値打ち、三文の徳と教えています。

朝20分でも30分でも早く起きて、外の空気を力いっぱい吸うのもよし、歩くのもよし、
新聞を読んだり、本に目を通したり、
あるいは、昨日一日の反省と今日の予定を立てたりしてもよし、
何か一文を書くのもよし
それが毎朝、毎日続くことの大切さを教えています。

ひすいこうたろう著の、「朝にキク言葉」と言う本を読みました。

著名人や歴史上の偉人が「朝」の魅力に気づき、「朝」をどう過ごしたか、
その時間を有効に活かして、どう成功に繋げたかをユーモアあふれる語り口で伝えます。
「朝にキク言葉」は、「朝に効く言葉」とも「朝に聞く言葉」ととれます。

新年の一月一日を迎えると、「さあ今年こそは」と心新たになるものです。
月初めの一日を迎えると、「さあ今月こそは」と心新たに奮起するものです。
その日の初めの朝を迎えると、「さあ今日も元気にがんばろう」と気持新たになります。

殷(いん)の湯王(とうおう)の、「日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり」の故事ではありませんが、
洗面器の銘を読む代わりにパソコンに向かって、
「さあ今日も元気にがんばろう」、「一日一日、新たな気持ちで何事にも取り組んでいこう」と自分に言い聞かせるようにブログを書いてみたい、
朝の空気を吸い終えてそんなことを思います。

さあ、今日も一日元気にがんばろう。

《朝迎え 十月十日(とつきとおか)の 事始め》


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