(今日は国民の祝日「建国記念の日」です。雨に打たれて国旗も心も湿ります)
大阪と埼玉の家内の姉夫婦や弟、それに豊岡の妹夫婦が我が家にやってきます。
いろんなお話した後に、帰りの車を見送ります。「あら~、珍しいわね。この店には国旗が揚がってますね」と、姉や弟が云いますね。
店の勝手口に掲げた国旗、本日は国民の祝日、建国記念の日ですから当たり前に掲げています。国旗を見て云ったのです。
『子供のころから祝日は揚げてますよ。なにも珍しいこともないです。当たり前にしているんよ』と話します。
多分、車で走って来る道中にも、あまり国旗を揚げているものを見なかったのでしょうね。本日、きょうだい一緒に用事のために、出石方面に走ります。走る道中の、国府も中筋も出石も、どこもです。一軒も国旗の揚がっているお家を見かけませんね。
なんちゅうことでしょうか、不思議なくらいにありません。当家だけです珍しい、「あら~、珍しいわね。この店には・・・・」と云われても仕方ないほどにレアですね。
何ででしょうかね~、そもそも思います。
新聞テレビに何見ても、祝日の事なんかこれぽっちも載っていませんよ、放送しません。
別に、本日の「建国記念の日」に限ったことではありませんが、日本の祝日って、その意義を伝えたり教えたり、放送したり祝うイベントをしたりしていることって、聞いたことがあまりないです不思議です。
どの祝日も、とっても大切な大切な気持ちで制定されたはずです。その中でも、国の誕生日を祝うなんてことは、人の誕生日と同じことか、それ以上に大事な事でしょうに、市でも県でも国でもですよ、国民の祝日として「建国記念の日」ってものを祝う行事なんて、開催されていることがありませんねムチャクチャですね。
自分の国の誕生日を祝わないで、キリストさんの誕生を祝ったり喜んだり、バレンタインさんの誕生か何かは知らないけれど、ドンどこドンどこ騒ぐのに、自分ちの国の誕生日がそんなに祝うの面倒なのって、ちょっと?の気がします。
「建国記念の日」って、そもそも成立したいきさつや、へんちくりんな「・・・の日」ってな呼び方、それからがちょっとおかしい気がしますね残念ですね。
過去の記事で、こんなことを書きました再掲します。
《家内にこんなこと聞きました。
『今日は祝日「建国記念の日」だね、「建国記念日」って云わずに、何で建国記念の日って「の」を付けて云うの』と聞きました。
家内は何の気なしに答えたのでしょう。「建国記念の日だからよ、???、建国記念日がいつだっていいのよ、建国記念を祝う日ってことじゃないの、?????」といいますね。
『ピンポ~ン、大正解ですその通り』と、褒めてやります。まぐれでも当たっています凄いです。
祝日の日付けは、元日は1月1日とか、成人の日は1月の第2月曜日というふうに、きちんと決めてありますが、ただ一つ「建国記念の日」だけは「政令で定める(2月11日)」なんてなっている、それだけこの日には何か妙なものがありますね。
「建国記念の日」は、昭和41年の祝日法改正により国民の祝日に加えられたのですが、なんせ元の紀元節を「建国記念日」にすること自体、なんじゃかんじゃといちゃもん付ける声がありまして、
建国記念なんてもんを決める事自体が忠君愛国で、日本の進路を誤まらせる思想のもとになる反動的だ~なんて、もうムッチャクチャ素直でない意見もありまして、
建国記念日じゃなくって、建国記念の日と「の」を付ける事で、建国された事象そのものを祝い、紀元節のその日を祝ってはいないんだよと、妙な理屈を付けまして、
さらに具体的な日付けをいつにするかは、じっくり有識者の審議会の諮問を得てから決めるとなりまして、社会党も妥協して41年6月25日に国会通過をしています。
その後の半年かけまして、佐藤内閣が「建国記念の日は、2月11日」と政令で決めました。
そんないわく因縁背負って、「の」を股に挟んだ「建国記念の日」が昭和42年2月11日からスタートしたわけ、
屁理屈ですが、家内が答えた「建国記念の日」は、「建国記念の日であって」ある特定の反動的とおっしゃる、もとの紀元節の日を記念日としているわけでないの、「建国記念日がいつだっていいのよ、建国記念を祝う日ってことじゃないの」、そのいつだってもいいよという日が2月11日になったのよ、
なにやら分かったようで、よう分からん「建国記念の日」です。》
《雨が降る 国旗も心も 湿ります》