「疑惑の開示文書」
令和3年1月14日付けで、大阪府警察本部から賀上文代さんに郵送されてきた部分開示決定を受けた文書8枚を見せてもらった。基本的には、先に部分開示決定を受けた徳島県警察本部からの文書と同様のもので、ほとんどが黒塗りだからと言って驚いたりしない。
賀上さんと喫茶店でコーヒーを飲みながら事件発生当時(平成13年12月22日夜)のことを話しているときに気が付いたことがある。賀上さんは、事件翌年の平成14年にはほぼ毎月のように大阪市淀川警察署を訪問して行方不明となった息子・大助氏の捜査をお願いしているとのこと。その当時からすでに19年という歳月が流れている。
ところが、部分開示された文書の決裁欄に押印されているのは「本部長:田中」、「副本部長:鶴谷」、「部長:難波」の3名だけで、19年もの間にたった1回しか決裁をしていない。19年もの間に人事異動というものは1回もなかったのであろうか、疑惑の第1点である。
次に、19年もの間に決裁した文書が1回しかないのは、この間、1回しか捜査していないかもしれないという疑惑が湧いてくる。私の38年に及ぶ市役所勤務の経験から言うと、通常は1事案(1案件)についてその都度決裁書を作成して決裁を仰ぐものだ。1回の決裁しかないのは、それ以降、何の捜査もしていないという証ではないのか。疑惑の2点目である。これらの疑惑を明らかにしたいとの思いから、大阪府警察本部に審査請求を申し立てることで意見が一致した。
賀上さんには、やがて審査会から意見を求められる機会が訪れるので、その時までに事件発生後の淀川署とのやり取りを思い出して文書にまとめておくようにお願いをして喫茶店を後にした。
令和3年1月14日付けで、大阪府警察本部から賀上文代さんに郵送されてきた部分開示決定を受けた文書8枚を見せてもらった。基本的には、先に部分開示決定を受けた徳島県警察本部からの文書と同様のもので、ほとんどが黒塗りだからと言って驚いたりしない。
賀上さんと喫茶店でコーヒーを飲みながら事件発生当時(平成13年12月22日夜)のことを話しているときに気が付いたことがある。賀上さんは、事件翌年の平成14年にはほぼ毎月のように大阪市淀川警察署を訪問して行方不明となった息子・大助氏の捜査をお願いしているとのこと。その当時からすでに19年という歳月が流れている。
ところが、部分開示された文書の決裁欄に押印されているのは「本部長:田中」、「副本部長:鶴谷」、「部長:難波」の3名だけで、19年もの間にたった1回しか決裁をしていない。19年もの間に人事異動というものは1回もなかったのであろうか、疑惑の第1点である。
次に、19年もの間に決裁した文書が1回しかないのは、この間、1回しか捜査していないかもしれないという疑惑が湧いてくる。私の38年に及ぶ市役所勤務の経験から言うと、通常は1事案(1案件)についてその都度決裁書を作成して決裁を仰ぐものだ。1回の決裁しかないのは、それ以降、何の捜査もしていないという証ではないのか。疑惑の2点目である。これらの疑惑を明らかにしたいとの思いから、大阪府警察本部に審査請求を申し立てることで意見が一致した。
賀上さんには、やがて審査会から意見を求められる機会が訪れるので、その時までに事件発生後の淀川署とのやり取りを思い出して文書にまとめておくようにお願いをして喫茶店を後にした。