再掲:「だから、選挙に行こうよ!」
10月31日は、衆議院総選挙の投開票日である。別の言葉でいえば、国家権力の最終責任者である主権者たる国民が、投票によって自らの意思を示す日でもある。
しかしながら、どの選挙であれ段々と投票率が漸減している。無関心派というが、詳しくは無責任派という人たちが増えていくことは、現行の議会制民主主義体制を守り抜くうえで由々しき問題と考える。選挙で大切なことは、候補者の男女比率ではなく、投票率をいかに高めるかという有権者自身の自覚の覚醒にあると私は考えている。「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕る猫が良い猫だ。」といった鄧小平の言葉のとおり、有能な政治家であれば男女を問わないというのが私の持論だ。
昨今、政治家の不祥事や失言も後を絶たず、そのたびに議会やマスコミは辞職勧告を進めて善人面をしているが、その政治家の政治生命を決するのは選挙における有権者の一票でなければならない。政治家に政治生命を与えるものは有権者しかなく、善人も、悪人も、罪人も選挙で当選すれば政治家になれるのが現行制度であり、これ以外に政治家の進退を決する方法を私は容認しない。
これまでにも、選挙に出ようとする候補者が、私は2期しか出ませんとか、或いは私は3期で辞めますとかを選挙公約に掲げたり、揚句には多選を自粛する条例まで制定してしまう事例を散見する。選挙に出る出ないは自分で決めればよいが、その政治家を必要とするかしないかは有権者が決めることである。その政治家がいかに高齢であろうと、その政治家がいかに多選であろうと、有権者にとって必要な政治家であれば彼に投票する権利を有権者から奪ってはならないと思う。
どの政党、どの候補者に投票するかは有権者一人一人の自由である。支持政党がない人が存在することもやむを得ない。しかし、色々不満や思うことがあっても投票には行くべきであり、それが主権者たる国民の責務だと私は思う。だから、選挙に行こうよ!
*この文章は、令和3年10月26日に掲載したものです。
10月31日は、衆議院総選挙の投開票日である。別の言葉でいえば、国家権力の最終責任者である主権者たる国民が、投票によって自らの意思を示す日でもある。
しかしながら、どの選挙であれ段々と投票率が漸減している。無関心派というが、詳しくは無責任派という人たちが増えていくことは、現行の議会制民主主義体制を守り抜くうえで由々しき問題と考える。選挙で大切なことは、候補者の男女比率ではなく、投票率をいかに高めるかという有権者自身の自覚の覚醒にあると私は考えている。「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕る猫が良い猫だ。」といった鄧小平の言葉のとおり、有能な政治家であれば男女を問わないというのが私の持論だ。
昨今、政治家の不祥事や失言も後を絶たず、そのたびに議会やマスコミは辞職勧告を進めて善人面をしているが、その政治家の政治生命を決するのは選挙における有権者の一票でなければならない。政治家に政治生命を与えるものは有権者しかなく、善人も、悪人も、罪人も選挙で当選すれば政治家になれるのが現行制度であり、これ以外に政治家の進退を決する方法を私は容認しない。
これまでにも、選挙に出ようとする候補者が、私は2期しか出ませんとか、或いは私は3期で辞めますとかを選挙公約に掲げたり、揚句には多選を自粛する条例まで制定してしまう事例を散見する。選挙に出る出ないは自分で決めればよいが、その政治家を必要とするかしないかは有権者が決めることである。その政治家がいかに高齢であろうと、その政治家がいかに多選であろうと、有権者にとって必要な政治家であれば彼に投票する権利を有権者から奪ってはならないと思う。
どの政党、どの候補者に投票するかは有権者一人一人の自由である。支持政党がない人が存在することもやむを得ない。しかし、色々不満や思うことがあっても投票には行くべきであり、それが主権者たる国民の責務だと私は思う。だから、選挙に行こうよ!
*この文章は、令和3年10月26日に掲載したものです。