NARで3353勝 JRAで1111勝 計4464勝
をあげてアンカツは騎手生活を終えた。
それぞれの勝利に、関わった人全ての思いがあり、
また外で見ていた我々にも様々な思いがある。
俺は結構記憶力の良いほうだと自負しているんだけどw
それでも過去の勝ち馬やら騎乗馬の名前を並べていくと、
こんなことあったっけ?ってことがたくさんある。
そんなこんなを、これから長い年月をかけて振り返っていきたいと思う。
とりあえずメジャーなところから入っていこうとは思うけども、
自分としてはこれまでのブログ内容と同様に、
日本中の誰も気にしてないような細かいところに突っ込んでいきたいw
さて、その前にこれからのアンカツなのだが、
当たり前なんだけども早速引く手あまたという感じで、
まずは2月13日に笠松で引退式が行われることに。
水曜日なので平日仕事の方ではなかなか難しいでしょうが、
時間が許す方は是非とも来場してみてください。
それから、主催者に促される形で最初の仕事が決まった。
なんと、フェブラリーSのプレゼンターになってしまったようだ。
元騎手がG1のプレゼンターって、過去に誰かあったかな?
岡部がユニコーンSかなんかでやってたのは覚えてるけど、
G1では記憶にないので多分史上初だろうと思う。
引退して早々に、特別な存在であることを示した格好だ。
これから解説に出てくることもあるだろうし、
(フェブラリーの日は関東のフジTVに出演予定)
いろんなメディアでインタビュー記事が出てくるだろう。
しばらくは寂しい思いをすることはなさそうだな。
個々の馬の話題に移っていく前に、
まずはアンカツ個人の偉業について軽く振り返っていこう。
JRAとNARの騎手免許を同時に持った史上唯一の存在
まずこれ。
どんな記録でも、武豊のJRA勝利記録でさえも、
いつの日か破られる可能性が存在しているんだけど、
これは絶対に破られることがないままに世界が終わる日が来る。
2003年3月にJRA騎手免許を取得したアンカツが、
NAR免許を返上しようとしたらNARが受理しなくて、
2ヶ月くらいの間、両方の正式な免許を持っている状態になったことがあった。
別に望んでそんな状態になったわけじゃないんだけども、
この状態は誰が何をしようと金輪際起こりえない。
地方と中央が統一される日ならばいつか来るかもしれないけど、
その時は騎手免許が1つになるからね。
あり得ない事を成し遂げたアンカツに相応しい快挙(怪挙?)だろう。
通称アンカツルール ルールを捻じ曲げた男
通称アンカツルールと呼ばれる試験要項改定でJRA入りしたアンカツだが、
改めて考えてみても、本当に凄いことをしたものである。
本当に当たり前すぎて書くまでもないことだが、
何事においてもルールってのはそうそう変わっちゃいかんものであって、
JRAの騎手試験にもご多分に漏れずそういうものがあったのだが、
アンカツはこれを豪快に捻じ曲げて中央入りを果たした格好になる。
何が凄いって、「たった1人の個人のためにルールが変わっちゃった」ことで、
ルールという言葉に個人の名前がついて呼ばれるものなんて他に思いつかない。
これに乗っかってやってきた騎手たちが中央競馬を席巻しているが、
本当に凄いのは最初の1人ということは、改めて言うまでもあるまい。
15連続複勝圏確保 おそらくJRA記録
2008年10月11日10Rから10月19日3Rまで、
アンカツは15戦連続で3着以内を確保している。
これは俺調べで恐縮なのだけども、JRA記録のはずである。
他に記録を持っていそうなのは豊しかいないわけだけども、
豊をざっと調べても15連続はなかったので、
まず間違いないんじゃないかなと思っている。
(暇な人は調べてみてくださいw)
この間、アドマイヤモナークでアルナスラインを封じた京都大賞典があったり、
無事ならG1に手が届いていたはずのタイトルパートがいたり、
値段くらいやるかと思ったらさっぱりだったアドマイヤコブラがいたり、
アンカツと手があったフサイチピージェイがいたり、
この15戦を見るだけでもなかなか感慨深いものがあった。
これだけでも何日もいけそうだが、まあ後日としていつのに日かw
騎乗機会9連続連対 JRAタイ記録
2005年1月29日5Rから1月30日2Rまで、
9戦連続で連対を果たしていて、これは正式にJRAタイ記録。
アンカツと並んでいる騎手は3人で、
武豊、岩田康誠、ミルコデムーロである。
まあ・・・「名手の証」ってことで良いんだろう。
ちなみにこの間にもなかなか面白い馬がいる。
大成しそうで出来なかったオリエントチャームに、
フジキセキの妹でアンカツとはあっていたと思うミルフィオリ、
連戦連勝でおっと思わせたニシノコンサフォスに、
新馬勝ったときはちょっと夢を見たレジェンダロッサ、などなど。
どこを見てもアンカツの思い出が転がっているなあとしみじみ。
1日の騎乗機会で6連勝 JRAタイ記録
2007年11月7日に記録。
並んでいる騎手は二人。武豊と横山典弘。
ちなみに純粋な1日の連勝記録は横典が持っている。
前週にダイワスカーレットで秋華賞を勝ち、
翌日にダイワメジャーでマイルCSを制するわけだが、
その間の土曜日に6連勝を果たした。
ここは上記よりももっと語りたい馬がいる。
アルスノヴァ、サダムイダテン、レインボーペガサス。
1頭で1日使って回顧しないといけない馬が3頭も走った1日だった。
後述する1年のG1勝ち数も最多であり、
最高勝率、最高連対率、最高複勝率をマークした年のこと、
アンカツのJRA生活でもっとも濃密な1年だったのは確かかな。
年間GⅠ6勝 JRAタイ記録
2007年、サンライズバッカスとダイワ兄妹で達成。
武豊、池添、岩田と並ぶ記録となる。
1頭、2頭の名馬とめぐり合えば出来ないこともない記録だと思うが、
それが兄妹だったってのがアンカツの凄かったところ。
母親が凄ければ強い馬は続けて出てくるものであるが、
そうは言ってもなかなか上手く行かないものである。
そもそも兄弟が揃ってG1を勝ちまくることなんてのが稀であり、
それに同一騎手が乗っているとなると、さらに可能性が下がる。
今年だと、オルフェーヴルの下は結構強かったが故障しちゃったしね。
実際、同一年の兄弟同一騎手G1勝ちはアンカツの5勝が最多。
年間最多勝はいつか誰かが塗り替えるだろうけども、
こちらのほうは当分超えられることはないんじゃないかな。
・・・どこを切り取っても名前が出てくる武豊は偉大であるなw
JRAで他者から被害を受けての落馬回数が0回
ヤマニンスキーでJRA初騎乗初勝利を挙げてからはや33年。
そして10年にわたって本格的に中央競馬で戦ってきたアンカツだが、
その間に17回の競争中止を経験している。
しかしそのうち16回が自身の騎乗馬の故障によるもの。
残り1回は2007年のCBC賞でスピニングノアールから落ちたもので、
あれは・・・内のヴリルの進路を消しかけてやばいと思ったアンカツが、
被害者を装って自ら飛び降りたんだとか、
いろいろと憶測を呼んだレースなんだけどもw
少なくとも被害を受けてとかそういうものではなかった。
かつて、全盛期のオリビエペリエとクリストフルメールの対談で、
ライバルの一人であるアンカツの何が一番凄いのかという話になって、
「危ないところにいることが絶対にない」という意見で一致していた。
実際、アンカツは周りをよく見ていた騎手であるが、
他の騎手と違って「自分の目で見たもの」を信じて騎乗していたから、
不利を受けることが極端に少なかったし、
他馬に致命的な不利を与えることもほとんどなかった。
(騎乗停止はよくあったけど、今思えば本当にくだらんものばかりだったわ。
いつの日か、アンカツ騎乗停止大全集でもやってみるかなw)
狭いところに割り込むこと自体は地方出身騎手らしくよくあったが、
同時に、強く被せられた場合は引いて外に出すシーンも多い騎手であった。
圧倒的な経験数から、グレーゾーンの見極めが的確だったのだろう。
前述のペリエもルメールは「経験、場数が違いすぎる」とも言っていた。
このたび無事に騎手生活を終えたアンカツであるが、
危機察知能力が異様に高かったことがこの事実でも証明できる。
現在、裁決の変更により斜行全盛時代に移っていきそうな気配があるが、
アンカツならばそんなみっとも無い真似をせず、
これが騎手の技術だと誇りを持って言える騎乗をしてくれたことだろうね。
とにかく危ない時代になっているだけに、
なおさらアンカツの持っていた技術が各騎手に求められる。
これは攻めるにしろ、守るにしろだ。
をあげてアンカツは騎手生活を終えた。
それぞれの勝利に、関わった人全ての思いがあり、
また外で見ていた我々にも様々な思いがある。
俺は結構記憶力の良いほうだと自負しているんだけどw
それでも過去の勝ち馬やら騎乗馬の名前を並べていくと、
こんなことあったっけ?ってことがたくさんある。
そんなこんなを、これから長い年月をかけて振り返っていきたいと思う。
とりあえずメジャーなところから入っていこうとは思うけども、
自分としてはこれまでのブログ内容と同様に、
日本中の誰も気にしてないような細かいところに突っ込んでいきたいw
さて、その前にこれからのアンカツなのだが、
当たり前なんだけども早速引く手あまたという感じで、
まずは2月13日に笠松で引退式が行われることに。
水曜日なので平日仕事の方ではなかなか難しいでしょうが、
時間が許す方は是非とも来場してみてください。
それから、主催者に促される形で最初の仕事が決まった。
なんと、フェブラリーSのプレゼンターになってしまったようだ。
元騎手がG1のプレゼンターって、過去に誰かあったかな?
岡部がユニコーンSかなんかでやってたのは覚えてるけど、
G1では記憶にないので多分史上初だろうと思う。
引退して早々に、特別な存在であることを示した格好だ。
これから解説に出てくることもあるだろうし、
(フェブラリーの日は関東のフジTVに出演予定)
いろんなメディアでインタビュー記事が出てくるだろう。
しばらくは寂しい思いをすることはなさそうだな。
個々の馬の話題に移っていく前に、
まずはアンカツ個人の偉業について軽く振り返っていこう。
JRAとNARの騎手免許を同時に持った史上唯一の存在
まずこれ。
どんな記録でも、武豊のJRA勝利記録でさえも、
いつの日か破られる可能性が存在しているんだけど、
これは絶対に破られることがないままに世界が終わる日が来る。
2003年3月にJRA騎手免許を取得したアンカツが、
NAR免許を返上しようとしたらNARが受理しなくて、
2ヶ月くらいの間、両方の正式な免許を持っている状態になったことがあった。
別に望んでそんな状態になったわけじゃないんだけども、
この状態は誰が何をしようと金輪際起こりえない。
地方と中央が統一される日ならばいつか来るかもしれないけど、
その時は騎手免許が1つになるからね。
あり得ない事を成し遂げたアンカツに相応しい快挙(怪挙?)だろう。
通称アンカツルール ルールを捻じ曲げた男
通称アンカツルールと呼ばれる試験要項改定でJRA入りしたアンカツだが、
改めて考えてみても、本当に凄いことをしたものである。
本当に当たり前すぎて書くまでもないことだが、
何事においてもルールってのはそうそう変わっちゃいかんものであって、
JRAの騎手試験にもご多分に漏れずそういうものがあったのだが、
アンカツはこれを豪快に捻じ曲げて中央入りを果たした格好になる。
何が凄いって、「たった1人の個人のためにルールが変わっちゃった」ことで、
ルールという言葉に個人の名前がついて呼ばれるものなんて他に思いつかない。
これに乗っかってやってきた騎手たちが中央競馬を席巻しているが、
本当に凄いのは最初の1人ということは、改めて言うまでもあるまい。
15連続複勝圏確保 おそらくJRA記録
2008年10月11日10Rから10月19日3Rまで、
アンカツは15戦連続で3着以内を確保している。
これは俺調べで恐縮なのだけども、JRA記録のはずである。
他に記録を持っていそうなのは豊しかいないわけだけども、
豊をざっと調べても15連続はなかったので、
まず間違いないんじゃないかなと思っている。
(暇な人は調べてみてくださいw)
この間、アドマイヤモナークでアルナスラインを封じた京都大賞典があったり、
無事ならG1に手が届いていたはずのタイトルパートがいたり、
値段くらいやるかと思ったらさっぱりだったアドマイヤコブラがいたり、
アンカツと手があったフサイチピージェイがいたり、
この15戦を見るだけでもなかなか感慨深いものがあった。
これだけでも何日もいけそうだが、まあ後日としていつのに日かw
騎乗機会9連続連対 JRAタイ記録
2005年1月29日5Rから1月30日2Rまで、
9戦連続で連対を果たしていて、これは正式にJRAタイ記録。
アンカツと並んでいる騎手は3人で、
武豊、岩田康誠、ミルコデムーロである。
まあ・・・「名手の証」ってことで良いんだろう。
ちなみにこの間にもなかなか面白い馬がいる。
大成しそうで出来なかったオリエントチャームに、
フジキセキの妹でアンカツとはあっていたと思うミルフィオリ、
連戦連勝でおっと思わせたニシノコンサフォスに、
新馬勝ったときはちょっと夢を見たレジェンダロッサ、などなど。
どこを見てもアンカツの思い出が転がっているなあとしみじみ。
1日の騎乗機会で6連勝 JRAタイ記録
2007年11月7日に記録。
並んでいる騎手は二人。武豊と横山典弘。
ちなみに純粋な1日の連勝記録は横典が持っている。
前週にダイワスカーレットで秋華賞を勝ち、
翌日にダイワメジャーでマイルCSを制するわけだが、
その間の土曜日に6連勝を果たした。
ここは上記よりももっと語りたい馬がいる。
アルスノヴァ、サダムイダテン、レインボーペガサス。
1頭で1日使って回顧しないといけない馬が3頭も走った1日だった。
後述する1年のG1勝ち数も最多であり、
最高勝率、最高連対率、最高複勝率をマークした年のこと、
アンカツのJRA生活でもっとも濃密な1年だったのは確かかな。
年間GⅠ6勝 JRAタイ記録
2007年、サンライズバッカスとダイワ兄妹で達成。
武豊、池添、岩田と並ぶ記録となる。
1頭、2頭の名馬とめぐり合えば出来ないこともない記録だと思うが、
それが兄妹だったってのがアンカツの凄かったところ。
母親が凄ければ強い馬は続けて出てくるものであるが、
そうは言ってもなかなか上手く行かないものである。
そもそも兄弟が揃ってG1を勝ちまくることなんてのが稀であり、
それに同一騎手が乗っているとなると、さらに可能性が下がる。
今年だと、オルフェーヴルの下は結構強かったが故障しちゃったしね。
実際、同一年の兄弟同一騎手G1勝ちはアンカツの5勝が最多。
年間最多勝はいつか誰かが塗り替えるだろうけども、
こちらのほうは当分超えられることはないんじゃないかな。
・・・どこを切り取っても名前が出てくる武豊は偉大であるなw
JRAで他者から被害を受けての落馬回数が0回
ヤマニンスキーでJRA初騎乗初勝利を挙げてからはや33年。
そして10年にわたって本格的に中央競馬で戦ってきたアンカツだが、
その間に17回の競争中止を経験している。
しかしそのうち16回が自身の騎乗馬の故障によるもの。
残り1回は2007年のCBC賞でスピニングノアールから落ちたもので、
あれは・・・内のヴリルの進路を消しかけてやばいと思ったアンカツが、
被害者を装って自ら飛び降りたんだとか、
いろいろと憶測を呼んだレースなんだけどもw
少なくとも被害を受けてとかそういうものではなかった。
かつて、全盛期のオリビエペリエとクリストフルメールの対談で、
ライバルの一人であるアンカツの何が一番凄いのかという話になって、
「危ないところにいることが絶対にない」という意見で一致していた。
実際、アンカツは周りをよく見ていた騎手であるが、
他の騎手と違って「自分の目で見たもの」を信じて騎乗していたから、
不利を受けることが極端に少なかったし、
他馬に致命的な不利を与えることもほとんどなかった。
(騎乗停止はよくあったけど、今思えば本当にくだらんものばかりだったわ。
いつの日か、アンカツ騎乗停止大全集でもやってみるかなw)
狭いところに割り込むこと自体は地方出身騎手らしくよくあったが、
同時に、強く被せられた場合は引いて外に出すシーンも多い騎手であった。
圧倒的な経験数から、グレーゾーンの見極めが的確だったのだろう。
前述のペリエもルメールは「経験、場数が違いすぎる」とも言っていた。
このたび無事に騎手生活を終えたアンカツであるが、
危機察知能力が異様に高かったことがこの事実でも証明できる。
現在、裁決の変更により斜行全盛時代に移っていきそうな気配があるが、
アンカツならばそんなみっとも無い真似をせず、
これが騎手の技術だと誇りを持って言える騎乗をしてくれたことだろうね。
とにかく危ない時代になっているだけに、
なおさらアンカツの持っていた技術が各騎手に求められる。
これは攻めるにしろ、守るにしろだ。
アンカツさんが過去に乗ってたお馬ちゃんたち
なんだかとっても気になります
フェブラリーS アンカツさんがプレゼンター
レース当てること以外にすごく張り合いというか 楽しみができて
マジ幸せです^^
アンカツ情報としては、競馬ラボに13日からインタビュー連載が始まるようです。今日10日のBS11でアンカツ名言集の特集をやってました。
久しぶりにUチューブで武豊テレビに出ていたアンカツの話を聞きましたが、爆笑の連続ですね。きっとテレビで引っ張りだこになるような気がします。アンカツは迷惑でしょうけどね。
なんか、引退した後の方が一気に忙しくなりそうですね。
引退しなきゃ良かったとか思ってたりしてw
まだまだほんの概要なのに、改めてアンカツさんってすごい!と唸ってしまうものばかり。
何が凄いって、JRAに入ってからの功績は全て40代~50代の間に達成されたということですよね…。誰しも体力的な衰えには逆らえない中で、これには脅威すら感じます。
今ちょうど、40代で頑張ってらっしゃるベテラン騎手…豊さんや内田さん、横山さんがこの先引退までにこれだけの勝利数やG1勝ち、記録を積み上げられるか、勝率などを維持できるのか、と想像したら、ちょっと途方に暮れてしまいます^^;
また、勝負は仕掛けても致命的な迷惑はかけず、危険なことは瞬時に把握して迷惑を被らないようにする…これも技術がなければできないことですね。
採決が変わってから「形振り構わぬ馬任せの見苦しい騎乗が増えるんじゃ」という心配が尽きないので、ひとりでも多くの騎手に技術と心がけを持ってほしいと願わずにいられません。
さて、引退された寂しさを思いながら過ごしていたら、フェブラリーSにご来場されることが決まって、本当に嬉しいです!元々現地観戦予定だったのですが、楽しみがもう倍どころじゃなくなりました。関東圏のファンにとってこれ以上のサプライズはありません。
ただ…今回は引退直後ということで引っ張りだこなんだと思いますが、でも今あまりに引き受けちゃうと面倒に思って、そのうち全部お断りしてしまいそうで心配ですw
とても ちょっとやそっとの回数じゃあ振り返られるようなモンじゃないと思うんで、sankyoさん
時間のある時に、ちょくちょくと進めていってくださいね!
アンカツルール ありましたねぇ(笑)
僕的にはJRA ナイスな判断!と思いましたが
当時は いろいろと言われましたねぇ。。
でも、こうしてJRA移籍して これだけの結果を残されたわけですからね。
話はそれますが、僕がアンカツ・金本知憲同様に
好きな辰吉丈一郎も網膜剥離からの再起を条件付で認められた時に辰吉ルールと言われて、あれこれ言われてましたわ。
まあ、偉業を成し遂げる人間の魅力は世間の声や団体を動かすだけのパワーがあるんでしょうね。
フェブラリーSのプレゼンターを努めるんですね(驚)
アンカツから祝福される勝利騎手は どんな表情になるんでしょうね(笑)
また、それが誰になるのか!?今から楽しみです。
アンカツさんは境遇が似ているからか、外国のジョッキーに慕われていたと聞いたことがあります。「アンドウサン」と呼ばれていたとか。
ペリエ、ルメール両ジョッキーの名前が出て思い出しました。
ほかの方も仰る通り、ご本人も貴サイトも引退した後のほうが忙しくなりそうですね(^^;
更新楽しみに待ってます。
危うく引っ越す前にデータが消えるとこやったです(笑)
改めて振り返るとホントに偉大な騎手でしたね♪
スピニングノアール懐かしい(笑)
あれゎ喫茶店の競馬仲間さんたちのあいだでずっと話題になってました(笑)
あと4回授業を受けたら卒業です(笑)早い…
皆さんのご心配があたるかもしれないので、ほどほどのペースが良いですねえw
物事の本質を早く見抜いてなおかつ難しく考えない人ですから、
解説者をさせたら物凄く分かりやすくて面白いと思いますけども、
それ言っちゃって良いの?ってことを堂々と言う姿も浮かびますw
とりあえず関東のファンの皆様は、今週の競馬を是非とも楽しんでください。
それぞれのご報告もお待ちしておりますw
yamazoさん、なるほど辰吉が復帰したときか、確かにそういうのありましたね。
これもそうですが、1人の人間が世論を動かすってのは本当に凄いことだと思います。
アッドさん、言われてなるほどと思いましたが、確かにそういうところもあるかもしれません。
瞬間的な反応は、生物である限りどうしたって落ちていきますからねえ。
一般人でも、年齢があがるほど交通事故を起こしやすいのは紛れもない事実ですし。
仰るとおり、アンカツも俺もこれから忙しくなっていくと思いますわw
アンカツマサさん、俺のスマホも重かったり重かったり重かったりで大変ですw
スピニングノアールは落馬の寸前で躓いているのは間違いないんですけどその前に、
急に凄い勢いで伸びだしてヴリルの前を消してるんですよね。
今見直しても何というか・・・不思議な伸び方と落ち方をしたレースでしたw
キングカメハメハのダービー。4コーナーで五十冬が馬でぶっつかってきたのに、うまく内に押し込めました。
ただあの時はなんか皐月賞で18番(岡田総帥いわく、18以外ならどこでも勝てる発言あり)に入れられ負けたコスモバルク応援してました。あれはなんだったんだろうか…。
多分アンカツさんなら、すぐダービー勝てると思ってたからかな。
ただフサイチホウオー、ドリームパスポート謎の乗り代わり等見てると、キングカメハメハで勝ててよかった。