3行日記

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大坂人と大阪人【1】

2008-07-14 09:08:17 | 大阪綺譚
~ここで言う大坂は豊臣秀吉時代の城下町としての大坂です~
NHKの『その時歴史は動いた』で“大坂夏の陣”(再放送)を見ていて思った。

「大阪人のアンチ東京のDNAここに見たり―――…」

番組のタイトルは「大坂夏の陣・戦国のゲルニカ」となっていた。
歴史小説を読む趣味はなかったので、日本史については学校で習うことと日曜日に父親が見ていた大河ドラマ程度の知識しかなかった。大坂城が豊臣秀吉によって建てられ、大阪の街を作ったのも秀吉だってことは知識として知っていたが、どうにも秀吉が大阪縁の人物には思えなかったのだ。仙台市民は伊達正宗を、金沢市民は前田利家を、もっと身近に思うのではないかと。何故か―――。

淀君と秀頼は、関ケ原で家康が勝ち(1600)江戸幕府が開かれて(1603)から10年以上も大坂城で頑張っていたそうだ。だから「大坂落城」は家康の悲願、それを果たしたのが大坂夏の陣・冬の陣…こう書いてみると習った覚えがあるな。
でも、教科書は負けた者の側から書かれてはいない。大坂の人にとって見ればそれは東からの侵略以外の何物でもなかった。夏の陣は、大坂城炎上は言うまでもなく街全体が焦土と化し、女子供も殺され犯され、連れ去られ、徹底的に破壊されたという。この時の荒廃ぶりは第二次大戦の大阪空襲以上だったとか。街全部が木造でそれを地上戦で焼けばそれもそうだと。誰が見たわけでもないけど。
そうして豊臣家とそれに連なる全てが排除され、大坂は幕府の天領(直轄地)となった。徳川家はそれほど豊臣を憎んで(恐れて?)いたんだね。
その辺りに東軍が西を滅ぼし東に権力の中枢を据えたという歴史の段取り以上の、大阪の子供がアンチ東京を刷り込まれて育つ背景があるのかしらん?

(注:ゲルニカ=スペインのゲルニカという街がナチスの空爆を受けた様を描いたピカソの壮大な絵画)

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