土曜日はたまに、一週間分まとめて放送される『ゲゲゲの女房』を見ている夫。
見終って寝室から出て来て第一声
夫:「漫画って体力やねえ。片腕であれだけ描く人もいるんやから」
妻:「両腕あっても使えねえやつもいるしね」
水木先生は本当に生物として強い、とドラマ見てても伝わってくる。
最近ドラマは水木しげるがマガジンで描き始めていて、水木家はプロダクションが出来たり増築して綺麗になって
長い間の貧乏からやっと抜け出した、ら夫が、「貧乏編が終わったら面白くなくなった」と。
「人の不幸がおもしろいんかいっ!」
「いやいや、主人公がなんもしてへんねんもの」
――ああなるほど。
この言葉20年以上前にも少女マンガ雑誌の漫画スクール発表コーナーでも何度も見た言葉だ。
投稿作のうちなんらかの賞に入った作品は編集部や審査員の寸評と共に誌面に紹介されるのだ。
(タイトルとあらすじ、作家名、年齢、都道府県、カット絵付き)
当時はあまり意味がわからなかったが、自分で描くようになってみると実はこういう現象はよく起こる。
特にラブストーリーでは、好きな男の子がいる、という設定だけあって、何もしていないうちに
話の終わりでは都合よく彼が「オレも好きだったんだ」っと言ってハッピーエンドになるというもの。
主人公に何をさせるか、というのが話の根幹なのだ。
まあもっと前にそれも含めて、主人公がどんな人かということがあるんだけど。
読み手は主人公の目線で物語を読んでいく。てゆーか、主人公というのは読み手を乗せてページを進む小舟のようなものなのだ。
主人公が何もしていないというのは、自分が何もしていないということになる。
だから主人公が何もしていない漫画はおもしろくない、というのは定説なのだ
…と、自分への戒めというか改めて問い直す意味で語ってみました。
夫、グッジョブ(^^b
まあドラマの方は今後、主人公が「何もしてない」というよりは、「何もできない」ことがテーマになっていくんだろうし。