3行日記

猫とか漫画とか車とか色々…

大坂人と大阪人【2】

2008-07-16 14:09:45 | 大阪綺譚
興味が湧いたので色々調べていたら、大坂の江戸時代の姿が見えてきた。江戸時代の大阪も「城下町大坂」だが幕府はここに大名を置かなかった。これだけの大きな城下町なのに、前田や伊達、島津や細川、みたいな大名の名を大阪の人間が思い出せないのも当たり前だ。
占領され焼け野原になった大坂は、侵略者によって西日本の軍事及び経済の拠点として再建された。徳川は豊臣時代の街を完全に地中に葬り、諸藩の蔵屋敷を設置、有力商人を任命して自治体制をとらせた。この辺り歴史の教科書では「元禄文化」「近松門左衛門」などさらりと描かれているだけだが、江戸時代の大坂では武士の数が家族を合わせても1万人にも満たず人口の98%が町人だった、ということが今回調べていて判った。大坂は軍事力を極力削ぎ武士階級に資金調達する財布の役割りを与えられていたようだ。
武士を首長とした上下社会じゃなかったから封建制度や身分制度もゆるく、現在の大阪の気さくで本音で物を言う規律の甘い文化はこの頃に出来たのではないかと、そんな記事もネットであまた見かけた。「士農工商」の身分制度で言えば一番下の商人が最上の武士を経済的に支えるんだから、なるほど上下関係は形骸化、大阪弁には敬語もないわけだ。
以前久米宏が「大阪だけ独立してもいいほどあそこは様相が違う」と言ったことがあって出鱈目なと思ったが、案外的を得ているのかもしれない。どう考えても歴史的にも文化的にも特異な地域に見える。

ところで私の生まれ育った箕面やその周辺は大坂には含まれない。だからこれまで、ローカル番組でよく紹介される天神橋筋商店街や道頓堀のおばちゃんみたいな人は周りにいなかった。気さくで本音で物を言う文化もない。住宅街として開発され始めてから100年も経たないこの辺りは、それまではご多分に洩れず里山の農村だったから(あとは街道沿いの宿場町とか)、今住んでる人間は殆ど色々なところからやって来た烏合の衆なのだ。大坂=大阪ではないのだ。それでも同じ大阪弁を喋る大阪府民だったし今は大阪市民だと思ってたんだが、最近自分の大阪弁はヘンだって気がしてる。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿