黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

紅葉の古峯神社・総集編(濃霧の峠を越えて)

2019-09-25 21:45:04 | 下野国

ひめちゃんたちのお散歩コースに、稲わらが干してありました。

ひめちゃんたちは、ワラには興味がありません。

でも、人間にとっては、懐かしい風景です。

稲刈りは、実だけ取って、あとは切り刻んでしまうことが普通になっています

 

 

 

昨年の秋は、東の方に頑張って行きました

残しておきたい記録が、いくつもあります

まず、古峯神社です。

 

先月(2018年10月)、桐生市川内にある崇禅寺に10月限定の御朱印をもらいに行きました。

平日なのに何人も待っています

隣で待っていたおじさんが、「古峰神社(ふるみねじんじゃ)は行ってきたかい?今日は古峯神社に行ってきて、宝徳寺に寄って、ここにきたんだよ

「ええ、古峯神社って、行くの大変じゃないですか?」

「楽じゃないけど、道は舗装されているから大丈夫だよかなりきついカーブがいくつもあって、すれ違いができないところもあるけど。行くなら朝9時に行った方がいいよ。団体さんが入ると、御朱印もらうのに時間がかかるから。冬はやめた方がいいよ、道が凍ちゃうから。」

春先に新里の牡丹寺竜真寺で行き会ったおばさんたちも、古峯神社の話をしていました


道が凍結する前というと、もう今月に行くしかありません。

ルートはおじさんが言うように、国道122号線を北上し、足尾で県道15号線に入りきついカーブの山道を行くしかなさそうです。

 

古峯神社のルート案内では、この道はありません。

東の栃木県鹿沼市からのルートが一般的のようです。

でも、西から攻めるしかありません。

かなりの不安を抱えて、11月13日薄曇りの中、出発しました。

朝9時に到着なんて無理なので、午前中に着けばいいと出かけました。

 

国道122号線は途中まではよく行ってますが、さすがに足尾を数年ぶりです。

足尾の町を左下に見て、分岐点がありました。

右折し県道15号線に入ります。

まもなく、つづら折りどころか360度折れ曲がっているカーブが延々と続きます

高度も上がっているようです。

フロントガラスに水滴がポタポタ

濃霧で先が見えません

どうしよう

カーナビも迷っているところがあります。

一本道のはず、引き返す訳にはいきません。

慎重にカーブを曲がります。

はてなく続くと思われたカーブの先に分岐点がありました。

案内に従って左折します。

相変わらす霧が巻いていて視界不良です

帰りもあるのにどうしよう

 

濃霧がちょっと薄くなりました

車がたくさんがあります。

 

やっとたどり着きました、古峯神社です

 

バス停もあります。

 

よくぞ、たどり着きました

お昼少し前です、まあ予定どおりです。

 

鳥居が見えてきました。

 

 さすがに狛犬もよそでは見かけない感じです。

 

 紅葉は少し遅いかなと諦めていましたが、ちょうど良さそうです

 

次の鳥居の前の狛犬はまったく違います。

 

こんなよそにはない石造物もありました。

 

講の文字をたくさん見かけます。

講の方々の奉納がいっぱいです。

やはりおいそれとはたどり着けない霊山、パワースポットです。

講を作って信仰し、お参りした先人たちがたくさんいるのです。

 

参道を進みます。、

振り返るとの手水社(ちょうずしゃ)と紅葉のコラボがいい感じです

 

そのまま行くと、また鳥居があります。

 

左の狛犬です。

こんなポーズは見たことありません

右の狛犬です。

 

 

狛犬と紅葉のコラボは今だけですね

この狛犬たちの後ろの鳥居はくぐらずに、右手の階段を上ると本殿です。

やっとやっと、たどり着きそうです

 

あんなに濃い霧の中の折りたたんだような、多くのカーブを乗り越えて辿りつくのです

こんなに広大な神社は初めてです

石造物もすごいです

何もかも初体験です

 

 

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児玉党の記憶(重衡の首塚と駒形神社)

2019-09-24 21:44:43 | 埼玉県

今朝は爽やかに晴れました。

赤城山もみどりです

ひめちゃんは獅子丸と、堀之内を北に出て、高縄の摩崖仏の方に行きます

 

 

関東管領の城・雉岡城から、自宅を目的地にナビを入れます。

基本的に国道462号線を帰ります。

来るときに予定では駒形神社隣の重衡(しげひら)の首塚も通るはずでしたけど、わかりませんでした。

この日は、予想以上にいい出会いがあって満足でしたけど、まあもし見つかればいいなあ

しばらく行って、蛭川という信号を過ぎ、神社が見えてきました。

もしかしたら

あ、重衡首塚の指標があります

急遽、左折します。

駐車場が見つからず、神社裏のゴミ置き場に駐車します。


この地は、一の谷合戦の後、捕らえられた平重衡の首を児玉党の蛭川庄四郎高家がこの地へ持ち帰り供養した塚であると伝えられている

 

正面に廻ります。

 

武蔵の武士は、源平の合戦で活躍したのですね

 

隣の民家風の建物が気になります。

蛭川公会堂とあります。

公民館とか集会所のようなところですね。

 

さらに隣の神社も気になります。

 

きちんと地域で管理された神社のようです。

 

由緒書きがあります。

当地は児玉党蛭川氏の本貫の地である。

一の谷合戦で戦功のあった庄四郎高家の子定重が蛭川氏を称す。

蛭川氏の裏鬼門に祀られたと推測できる。

 

なぜ、重衡の首塚がここにあるのか納得です

 

なかなかりっぱな社殿です。

 

 

 

近世の石造物がいくつかありましたけど、この方が一番目立ちました。

馬頭観音ということになるのでしょうか?

 

駐車場に戻る途中、釈迦堂がありました。

さっきの由緒書きに、駒形神社の別当だった能淵寺は神仏分離の時に廃寺になったとありました。

でも釈迦堂は存在しています。

釈迦堂墓地の一角に、重衡の首塚があるのですね。

 

また、由緒書きに「良馬の蓄殖を本社に祈り」という引用がありました。

武士団としては良馬の蓄殖は切実な願いです。

 

思いがけず、児玉党の記憶に出会えました

五十子に寄って行きたいけど、今日は国道462号線を素直に北上します。

 

 

 

 


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初秋の関東管領の城・雉岡城(きじおかじょう)

2019-09-23 14:45:14 | 埼玉県

ひめちゃんたちの、今日のお昼は、サツマイモご飯と煮干しでした。

昨日の朝のことです。

ひめちゃんと北の方にお散歩に出た獅子丸は、突然脇の畑に転がっていた丸い大きなサツマイモをくわえ、持ち帰えろうとしました

左下に転がっているサツマイモです。

大きすぎてうち捨てられていたのでしょう。

生でも、サツマイモはサツマイモのようです

お昼のご飯を炊くときに、小ぶりのサツマイモをぶつ切りにして乗せました。

おいしく火が通って、崩してご飯に混ぜました。

サツマイモの季節が始まりました

 

 

 

飛龍の榧の龍清寺をあとに、関東管領の城・雉岡城に向かいます。

実は塙保己一記念館の入口を見落とし、くるくる回って、ここは通過していたのです。

縄張り図と説明板があります。

 

「関東管領山内上杉氏の居城として築かれたが、地形が狭いので、山内上杉氏は上州平井城に移った」とあります。

昭和58年、約40年前の説明板です。

「きじがおかじょう」と仮名がふってあります

 

これから散策できるのは、本郭の一部です。

桜の季節には、いい雰囲気でしょう

 

ここにまた説明板があります。

今度のふりがなは、「きじおかじょう」です。

15世紀中葉以降の関東の騒乱に伴って、鎌倉街道上道と関東管領上杉氏の居城平井城方面へとのびる上杉道の分岐点の児玉の地を押さえるために築城されたものです。また鎌倉街道中でも最大規模の一が立っていた児玉の地から、享徳の乱の前線であった五十子に物資を供給する役割を担っていたものと推定されます。

「平成25年、本庄市教育委員会」とあります。

研究が進んだのでしょうか

ここから、五十子に物資を供給していたんですか

 

散策を続けます。

 

夜泣石とあります

説明板もあって、児玉の民話が紹介されています。

 

さらに進むと、もう一枚説明板があらわれます。

「平成26年、本庄市教育委員会」となってます。

ふりがなは「きじおかじょう」です。

雉岡城は、交通の要衝である児玉の地と「鎌倉街道」随一とされる「児玉の市」を押さえることによって、乱の前線である五十子の陣の兵站を確保する目的で築城されたものと考えられます。

 

歯切れ良くまとまってます

 

城跡には庚申塔や馬頭尊・如意輪観音などの石造物が少しありました。

この石造物は、近年の設置と思われます。

どなたでしょう?

説明板等はないので分かりません。

関東管領の上杉さんでしょうか?

桜の季節に、また訪れたいものです

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飛龍の榧(かや)・東方山龍清寺

2019-09-21 15:49:22 | 埼玉県

ひめちゃんは獅子丸と、堀之内を北に出て、高縄の集会所を廻ってきました。

途中の田んぼから、大きな鳥が突然飛び立ちました

アオサギです

今朝は今にも泣き出しそうな空だったので、カメラを持ってきませんでした

今年は、田んぼに雀除けのグッズは、ほとんど見当たりません

ある年は大きな目玉、ある年は鷹のような大きな鳥というように、その年の流行があったのですけど。

 

 

塙保己一公園の隣のお寺を訪ねます。

大きな木があります

手前の建物は、三日月不動堂です。

由緒が彫られてますけど、よく見えません。

塙保己一記念館で購入してきた本庄市郷土叢書第4集『本庄の人物誌①盲目の国学者塙保己一』によると、

保己一は子供の頃、母きよと一緒に地元(保木野)にあるお寺(龍清寺)の三日月不動(不動堂)に毎日のようにお参りしたという。(中略)この三日月不動は、三日月はやがて満ちるので、足りないものを補ってくれると信じられ、地元の人たちに信仰されていた。


大木が気になります。

 

大きいです

今日は邪魔なおじさんが映っていないですけど、とても大きいのはわかります。

 

「本庄市指定天然記念物榧(かやの木」とあります。

トトロが出てきそうな雰囲気です

 

下に由緒書きがあります。

開山は約600年前です。

300年前に、上野国新田郡笠懸在の不動寺から、修行僧・袋算がやって来たのです。

彼は修行の旅に出るときに、師匠から榧の実を持たされたのです。

彼は此の地を修行の地と定め、榧の実を撒きました。

榧はみるみる大木になり大量の実を付け、その実は灯油や薬種となり村人を潤しました。

 

中興の僧・袋算は、上野国新田郡笠懸から来たのですか

もしかしたら、さっき不動堂の脇にいたあの方?

現在、笠懸に不動寺は見当たらないようです。

 

本堂を訪ねます。

 

「御朱印をお願いします。」

「六番ですか、二十七番ですか?」

「両方お願いします。」

本堂の縁にしばらく腰掛けて待ちます。

「お時間ありますか?」

「はい。」

「お経をあげますから、ご一緒に。」

ご本尊の前に御朱印帳をおいて、般若心経がはじまります。

たどたどしくも、ご一緒に唱えました。

それから、御朱印帳を受け取りました。

 

ありがとうございます。

雉岡山浄眼寺の御朱印もいただけました

 

これから雉岡城に向かいます

 

 

 

 

 

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塙保己一のふるさと

2019-09-20 16:04:13 | 埼玉県

タバサねーちゃんは、小次郎パパと常広寺の東の方をお散歩してきました。

色づくタバサちゃんです

タバサねーちゃんの毛色は、時おり濃くなります。

赤柴の色の薄い子と、たいして変わらなくなってます

月末あたりにシャンプーやさんに行ってきましょう。

きっと、「タバサちゃんこんなに白かったんだ」とみんなビックリするよ

 

 

 

関東管領の城ということで、本庄(旧児玉町)の雉岡城(きじおかじょう)に出掛けました。

まず、隣の児玉支所内にある、塙保己一(はなわほきいち)記念館に寄ります。

名前は知っていますけど、どんな人かよく知りません

静かでした。

でも、しじまを破って、案内ビデオのスイッチをいれました。

観ているうちに、同行者はウルウルになってしまいました。

 

特にヘレン・ケラーと塙保己一の話には感動したようです。

「私は子どもの頃母から塙先生をお手本にしなさいと励まされて育ちました。」とあります。

そして、ヘレン・ケラーが触ったという塙保己一像のレプリカがあります

同行者は、感動の涙を拭いながら見学です。


これは、是非生家も訪れなければ

記念館の職員に、分かり易い道を教えてもらって、無事に生家に着きました



あれ、住んでいるみたい

洗濯物が干してあります


宅地の前の方からちょっと失礼します

江戸時代の上層農家ですね

こちらには、間取りの説明板がありました。

見かけより、ずっと広いようです。


案内の矢印に従って墓地の方に移動です。

ここの説明板が、彼の事跡を一番わかりやすく端的に伝えているかな


塙保己一は、5月5日生まれだったのですか

隣に見えるお寺は、彼が子どもの頃遊んだ寺のようです。

ちょっと、寄ってみましょう

 

 

 

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