黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

真夏の関東管領の城(平井城)

2019-09-01 16:37:31 | 群馬県・西毛
おととい、獅子丸は動物病院に行きました。
はや、3度目です。
先生が、「獅子くん、おてて見せて。」
「あ、爪は剥がれています。今日あたり剥がさなければならないと思っていましたが、よかった。一ヶ月くらいすれば、新しい爪が生えてきますよ念のため、痛み止めと化膿止めのお注射をしておきましょう。そうすれば、もうう大丈夫です。」
ところが、獅子丸は注射が苦手のようです
なんとか押さえ込んで、やっと済ませます。
きょうだいの中で、一番注射が苦手みたいです
赤ちゃんの時は、とってもおっとりした穏やかな子でした。





注射の時は、凶暴犬になります。





藤岡市歴史館で、「埴輪の匠、藤岡にあらわるー埴輪づくりの窯をさぐるー」という企画展がありました。
何年か前に一度行った事がありますけど、久しぶりに出掛けてみました。
付近の地図です。



ついでに、関東管領の城・平井城にも寄ってこよう




藤岡歴史博物館、大きな人物埴輪がお出迎えです



埴輪を焼く専門の人々(埴輪の匠)がいたのですね

そのうちに、本郷埴輪釜跡にも行ってみましょう




歴史館の脇を南下すれば、平井城です。

元気に「関東管領の城平井城」の幟(のぼり)が旗めいています




でも、関東管領の城として散策できるのは、限られた範囲です



右手には、この前来た時にはなかった建造物があります
まあ、進みましょう。

上杉謙信公・奪還回復の城跡とあります



大きな大きな上杉一族之碑があります



左に「永享の乱」歌碑があります

勝鬨がこだまする 藤岡森に勇ましき
戦国武将の出陣か 古城のあとに伝わるる
関東管領上杉の その名も高き永享の乱



永享の乱は、永享10年(1438)鎌倉公方足利持氏と対立した上杉憲実(うえすぎのりざね)が上野平井城退去して始まります。
もともと関東管領は、鎌倉公方を補佐するために置かれたものです。

謳われている上杉憲実は、正義の味方いい人です。
どうも、イメージが

実は8月15日、群馬県立歴史博物館で、「上杉憲実」の講演会がありました。
そこで語られた上杉憲実は、戦国の英雄ではなく、人間くさい面をたくさんもった人物でした。


すぐ脇には、断崖絶壁という感じで、鮎川が流れます。



騎が生い茂っていてよくわかりませんけど、断崖絶壁です。



行き止まりに、公園の地図です。



うす緑色の所のみ散策できます。
ピンクの所は個人の所有なのでしょう。

現在位置から、目と鼻の先なのに、復元橋に直接行けないのです


何か地元との齟齬を感じます
前から感じてはいましたけど、今回は一段と深まっているようです

史跡・関東管領の城は、大切です
戦国時代の端緒になった永享の乱の史跡であり、英雄・上杉謙信奪還の城以外の面も、最新の研究を踏まえて発信していく必要があるでしょう


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする