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黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

ラオス紀行総集編 16 (レンテン族の村・その1)

2019-08-11 16:32:22 | ラオス
今日の午前中は曇りで、いつになく気温低めでした
お昼頃から、気温が上がり始めてしまいました。
いつものように扇風機2台の出動となりました。
みんな暑さに耐えて、夕方を待ちます。





ラオス紀行総集編 16 (レンテン族の村・その1)


モン族の村から、30分くらいでしょうか?
レンテン族の村につきました。



さっきの村より、文明が入り込んでいる

とはいうものの、昔ながらに、ほうきぐさ(?)を干していました。





人々が集まってきます
観光客慣れしているのかな?





手に手工芸品を持ってます。
観光客に売るのです。

レンテン族の女性は眉がないと聞きました。
ないようにもみえますけど、ちょっとわかりません



自然素材の家ですけど、柵の中にはバイクと自転車があるようです。



バイクと自転車を収納するという発想を持った人々です



こちらはコンクリートの家です



柱が細いのが気になりますけど。



犬が普通にいます



少女と犬と文明といったところでしょうか
TVが普及しているようです



ああ吾も電気とラジオのある家で十日でいいから生活してみたい

昭和32年9月5日、そんな歌を残して若くして命を絶った石田マツが思い浮かびます。
昭和32年でも、群馬の利根の山奥にはそんな生活があったのです。
(参考文献 みやま文庫『緑蔭史話』)



ここでもやはり、村で唯一の水道です。





奥に進むと、吊り橋です。



吊り橋と行っても、かなり不安定です

現在向こう岸まで新しい橋を架ける工事中だそうです。



向こう岸にも材料を運んでいるようです。



ラオス紀行総集編 15 (モン族の村・その2)

2019-08-11 12:29:42 | ラオス
ひめちゃんの足はだいぶいいようです
まだ大事をとって、ママとのちいさんぽですけど。



本人はもう気にしていないようです。
でも今週は動物病院もお休みだし、お薬もまだあります。
獅子くんとのお散歩は、もう少し待とうね





ラオス紀行総集編 15 (モン族の村・その2)

懐かしの泥の道です。
雨期だったら、靴が泥だらけになってしまうでしょう
2月は乾期でした。




なぜか、真っ赤なブラジャーが



おば(あ)さんたちは、みんな気になりました



超クラシックな古民家という感じの家々です



後ろに見えるのは、バナナの木だと思います。
ラオスでは、小ぶりのバナナがよく出ました。
前進して近づいて見ます。





少し盛り土をして建てられているのですね



子供をみながら留守番をしている、おばあちゃんがいました。



ガイドさんが交渉して、家の中をみせてもらいました。
もちろん日本のおば(あ)さんが持って行った、日本のお菓子も活躍しました

しっかり竹でつくってある家です。



竹の壁は光を通してしまうのですね
でも電灯もあるし、オーディオセット(?)あるし、針金ハンガーも使ってる

鉄砲があります。



上から玉を込めるそうです。


実はモン族は、一夫多妻なんだそうです
子供は、6,7人から12人くらいだそうです。


こちらは子供用ベッドです。





神様だそうです。





台所というか、食卓というか?



どんな食事なのでしょう?


大人は山へ働きに行ってるようです。



家には窓がありません。
寒さ対策だそうです。


この家の中で、どうやって仲良く一夫多妻で暮らせるのかわかりませんでした

文明がもっと入り込んできたら、この集落はどうなるのでしょう?


家の中を見せてくれてありがとう



もしかしたら、案外若いおばあちゃんだったかも。
さようなら



ベテランガイドの李さん、さすがの交渉力です
貴重な体験ができました




ラオス紀行総集編 14 (モン族の村・その1)

2019-08-10 21:22:29 | ラオス
ひめちゃんちのあたりは、雨が降りません
雲行きが怪しくなって雷鳴がして、パらパラと降り出しても、すぐに止んでしまいます
夕方のお散歩で、赤柴小太郎くんとおとうさんに逢いました。
「降らないねー向こうの桐生市は昨日はずいぶんと降ったそうだけど
今日も雲行きが怪しくなって雷鳴がしていたので、みんな早めにお散歩に出ていたんですけど、カラブリ(空降り)でした





ラオス紀行総集編 14 (モン族の村・その1)


ヤオ族の村を離れるてしばらく行くと、田んぼに水牛の姿が見えました。



確かにバッファローです



昼食後、3番目に訪れたのは、モン族の村でした。


子供達がやって来ます。



竹などの自然素材の家がいっぱいです。



干してある洗濯物は、日本とたいして変わらないようです。





自転車があります。





村で唯一の水道です。



元気そうな子供達がやってきます。

こんにちは

日本のお菓子をあげたと思います。
おば(あ)ちゃんたちは、お菓子をたくさん持って行って現地の子供達にあげたのです。



黒い犬がいっぱいいます



のんびり暮らしているようです



こちらは茶色の犬です。



一見柴犬のように見えます



自然素材(わら?)の屋根の家が多いですけど、トタン屋根の家もあります。
文明は着実に押し寄せているのです。

実は、モン族の人々は犬を食べるそうです
こんなに人のそばで穏やかに暮らしているのに、食べられちゃうの



ひめちゃん、日本に生まれてよかったね


千葉周作も詣でた妙見様

2019-08-10 16:29:28 | 群馬県・西毛
ひめちゃんは膝の痛みが取れてきたようです
七海ママの散歩につきあって、ちょっとそこらまで行けるようになりました
まだ大事をとって、遠出は控えています。

案山子(かかし)が、また近所に出現しています。






小次郎パパもタバサねーちゃんも、特には気にしていません。

最近は案山子と言うより、鳥の形のカイトとか、大きな目玉とかが主流でした。
やはり案山子が落ち着きます





新着記事です。

上野国分寺ガイダンス施設で、妙見寺(みょうけんじ)について聞きました。
是非に寄らなくてはと、細い細い道をナビのいう通りやって来ました。
駐車場に白線が引いてあります
何かイベントがあるのかな?

提灯の行列です。
イベントが近そうです。



説明板があります。



非常に古い神社のようです。

ウィキペディアによれば、
平将門の乱では、染谷川の戦いで苦境に追い込まれた平良文が不思議な声を聞き、導かれてついて熬ったところ当寺にたどり着いた。そこで僧から七星剣を渡され、以来妙見菩薩の加護を受けるようになった。良文と関係の深い秩父神社、千葉神社は当寺から勧請されたものである。


平将門が新皇宣言をしたという上野国府もすぐそこです
将門の乱の時に、血で染まった川が染谷川だとか、残念ながら確認してきませんでした
今度行ったら確認してきます



ちょっと山門に戻ります。
今朝来た道です。



あの信号を曲がってきたのです。


山門にも提灯の行列です



階段を登ります。


テントが設置されています






拝殿に到着です。
静けさに包まれています




脇に群馬町時代の説明板があります(現在は高崎市引間町)。



現在の社殿は、天保10年(1839)の再建だとあります。
そうすると、千葉周作が馬庭念流との騒動で上野を撤退した後の再建になります。
千葉周作が詣でた社殿とは異なるようですけど。


脇からの本殿です。




後ろからの本殿です。




一回りしてテントに出ました。



お祭りの準備万端という所です


鐘楼堂のと頃には舞台ですね




「御朱印を」というには、静寂すぎて諦めました

本堂前から駐車場に帰ります





お寺と神社がいまでも一緒に隣り合って存在していました

妙見信仰とは北辰妙見菩薩に対する信仰で、もともとは道教の北極星・北斗七星に対する信仰だそうです。
北天にあって動かない北極星(北辰)は宇宙のすべてを支配する最高神で、北斗七星はその乗り物で、人々の行状を監視し、生死禍福を支配するといいます。
そこから、北辰・北斗に祈れば、災厄をのがれ、福がもたらされ、長生きできるという信仰が生まれたそうです。

そうだったんですか

千葉氏は平良文の子孫ということです


ラオス紀行総集編 13 (ヤオ族の村)

2019-08-09 14:37:29 | ラオス
ひめちゃんちの近所に案山子(かかし)が出現しました。



まだだれも反応しません
今までだと「不審者じゃー」反応していたのですけど。
色のせいのあるかな?
猛暑の中、もう稲穂が実り始めて、雀を追い払う田んぼが出現しました





アカ族の村の次に、歩いてヤオ族の村に向かいます。
5分か10分くらいで、きちんとした小屋(家屋?)があります。
どうもアカ族とは違うようです。
少し行くと、ちゃんとした豚小屋があります。



これもアカ族の豚小屋とは違います。
かつての日本の農村に存在した豚小屋のようです。
いるのは黒豚のようです。



大きなバイクと華麗な鶏に出会いました。



新しそうな高そうなバイクです
それにしても、色鮮やかな鶏です
自由に生きている



おや、塀の向こうは学校です



大きな学校です



ちょうど午前中の授業が終わって、子供達がお昼を食べに帰る時間でした。

「こんにちは
「ハロー
明るい返事が返ってきました。
英語も勉強しているのかな?

ガイドさんによると、隣のアカ族とこのヤオ族の言語は異なるそうです。
そして、ともに文字を持たない人々だったそうです。

学校では、共通語としてラオス語を教え、親が子供にそれぞれの言語を教えるそうです。
ガイドさんも現地語は話せないそうです。
ラオス語で会話しているそうです。



現地の人が、手に何かを持って出てきました。





観光客慣れしているのでしょうか?
お土産用に刺繍した小物を売ろうとしています。

日本のおば(あ)さんたちは言い値で買いません。
ガイドさんを通して、たくさん買うからまけろと交渉しましたけど、びた一文負けなかったそうです
交渉決裂です。



小学校の校門です。





小学校の前には、雑貨屋と思われる、古いタイプのお店があります
日本の何十年か前の光景です





付近の民家です。







アカ族の家より、ずーと文明が入り込んでいる

メインストリートを通っただけかもしれませんけど、ここは文明界の波が押し寄せている感じです。



村はずれにある、村名の表示です。



読めません
ガイドさんによると、アカ族の村とヤオ族の村は行政単位としては、両方で1つの村なんだそうです。
ルーツも言語も異なる人々が1つの村とは



付近に、ドラゴンフルーツ畑がありました。



ドラゴンフルーツは、食後のデザートとして、よく出ました
隣は、普通の家を新築しています



ガイドさんが、移動用バスに携帯で連絡しています。

待ち合わせ場所付近に、サトウキビの焼畑がありました。



少し経っているらしく、新しい芽が伸び始めています