黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

俳諧冥利の生涯・栗庵似鳩の墓

2020-11-11 21:36:54 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、北の方にお散歩です。

今朝の赤城山は吹雪いているかな?

獅子丸がどうしても岩神沼の方に行くと進路を譲りません。

実はミーナちゃんが派恋の季節まっただ中で、ミーナちゃんの足跡を辿りたいのです。

 

沼の方に向かいます。

あれえ、小学生の黄色い帽子の集団だ

急いで沼の方に待避です。

行っちゃって良かったけど、まだ油断大敵だよね。

ひめちゃんは、まだ用心しています。

かかっていた雲が風に流されて、赤城山はその姿を現しました。

今朝はカモさんの姿はありません。

ひめちゃんは、何か見付けたようです。

獅子丸は、ちょっと不満のようです。

ミーナちゃんは、今朝はここを通らなかったようです。

 

 

 

11月5日やっとたどり着いた右赤城のそばの道標から、道なりにある、俳諧師・栗庵似鳩(りつあんじきゅう)の墓を訪ねます

駐車スペースがないので、路上駐車です。

道の端の小さな墓地の一角にあります。

墓と説明板があります。

今でも生花が上がっているのですね

「雪仏 生まれた時の 顔に似よ」の文字は確認できませんでした

隣に栗庵似鳩翁碑があります。

栗庵の上州俳壇に登場の感動的な話は、書いてなさそうです。

 

彼の上州俳壇への、登場の話は、実に感動的なものでした

みやま文庫『佐波伊勢崎史帖』(しの木弘明、平成3年)によると、

栗庵似鳩は上州に正風を唱えた最後の俳諧宗匠であった。それほどに栗庵の力量はすぐれており、大きな指導力を持っていたのである。

明和九年十二月二十三日は雪空であった。大阪を食い詰めて江戸に来たが、江戸も食い詰めて行き場のなくなった似鳩は、とぼとぼと中仙道をたどった。戸田の渡しを越す比には小雪がちらついてきた。熊谷で道を折れると境町向かったが、もう一面の雪景色で、中瀬の渡しに利根川を越すときには足は雪に埋まり、夜の雪道である。境町から例幣使街道に出たが、それは長沼村の観音寺の俳人松谷を訪ねようとしたからである。ところが長沼の手前、上蓮沼にきたときあまりの寒さと空腹のために、雪の中に倒れてしまった。

もう雪の真夜中に人通りはなかった。倒れた乞食坊主の背中には雪が降り積もったのである。夜中にこれを見付けたのはこの村の高柳勘太夫で、乞食坊主を助け出すと、自分の家に連れて帰ったのである。

(中略)

似鳩は大阪の人、玉置氏、酒を愛して瓢堂と号した。小林一茶は同じ乞食坊主で、生涯を流浪のうちにあり、死ぬ年の正月には、丸焼けになって、放り出され、悲嘆の内に一生を終わったが、乞食坊主似鳩は高柳勘太夫という理解者があったために、俳諧冥利の生涯をおくったのである。

 

このくだりが、ズーッと記憶にありました

 

また、彼の最後も印象深いものでした

 

寛政九年十二月二十三日は雪の降る寒い日であった。この日隣村の弟子多賀谷思水の文木館に連句の興行があった。諸俳とともにあった似鳩は、好きな酒杯をかたわらに、終日呑んでは付け句していた。終わって夜中の雪道を帰ったが、途中足をすべらせて雪の中に倒れてしまった。その背中に雪が降り積もった。やがて村人に助け出されたが、その雪の上には似鳩の面があったのである。

 雪佛生まれしときの顔に似よ

この一句を辞世に栗庵三十年の幕を閉じたが、それは俳諧冥利に満ちた生涯であった。

 

雪の日に登場した栗庵似鳩は、また同じ雪の日に退場して行ったのです

忘れられない逸話でした

 

道の反対側からの地点からの栗庵似鳩の墓です。

不思議な事に、グーグルの地図でも車のナビでも、この反対側の地点を指します

 

 

 

 

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