黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

古代豪族館跡の三ツ寺Ⅰ遺跡(県道3号線紀行・序章1)

2021-10-06 20:14:08 | 県道3号線紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ます。

湯上がり美女のひめちゃんです

ひめちゃん、久しぶりにペット美容室に行ってきました。

 

諏訪神社前から、今朝は妙義山も見えます

右上の二瘤駱駝(ふたこぶらくだ)のような突起のある所が、妙義山です。

神社の向こうの高台を歩きます。

おや、獅子くん、また道ばたのアブラナに食い付いてしまいました

 

赤城山もきれいに見えています

そろそろ帰って、朝ご飯にしようよ

 

 

 

 

 

 

ひめちゃんちのある旧勢多郡新里村の役場(桐生市新里支所)前を走る県道は、3号線です。

さて、県道3号線を西にずーっと行ったらどうなるか?

また、西毛(群馬県西部)から帰るとき、新里はまっすぐ東です

むむ、もしかしたら県道3号線は文化と軍隊の来た道かも

古代から繋がっていたかも

そういうことなら武井遺跡や山上多重塔が存在するのも、何の不思議もありません

 

県道3号線を西にひたすら行くと、群馬県庁北の利根川に架かる中央大橋に出ます。

更に行くとイオンモール、終には県道25号線に突き当たります。

南に下ると三ッ寺の信号に出ます。

北に行くと(旧群馬町)観音寺です。

 

三ッ寺には、古代豪族の館跡がありました

 

先日室田山長年寺を訪ねた帰り、三ツ寺Ⅰ遺跡に寄りました。

広い意味で、県道3号線の歴史探訪の始点になりそうです

 

3号線の沿線は、結構歩いています。

文化と軍隊の来た道・県道3号線の記事を、西から整理してみようと思います

新着記事、旧着記事(過去の記事)、混ざりますけど、基本的に西から東に進みます。

県道3号線紀行、始まり始まりです

 

 

 

 

 

三ツ寺の信号の少し西の上越新幹線下に、「古代豪族の館跡・三ッ寺Ⅰ遺跡」説明板があるそうです

確認していきましょう。

信号脇のコンビニに駐車です。

この新幹線の高架の向こう側と言うことです。

高架をくぐると、ありました

ボケボケですけど、まだなんとか読めます

三ツ寺Ⅰ遺跡は、古墳時代(約1500年前)に、榛名山の東南麓を治めていた豪族の居館跡で、我国で初めて発見されました。~中略~周囲には豪族の墓である保渡田古墳群をはじめ、庶民の村々・水田・畑の遺跡が存在し、豪族をとりまく社会がわかる点でも重要な地域となってます。

図の方は、ちょっとお疲れすぎかな

 

大分昔に買い込んだ図録の中に、「豪族居館三ツ寺Ⅰ遺跡のすべて」がありました。

この図画があると、なんとなくイメージ出来ますね

 

さて、県道の信号に出て、コンビニに帰ります。

ちょっとお疲れ過ぎの「三ツ寺Ⅰ遺跡説明板」の→です。

この先の信号を右折すると、保渡田古墳群に行けます。

この辺りは、古代豪族の居館跡と墳墓の地がわかる貴重な遺跡だそうです。

 

三ツ寺Ⅰ遺跡の東、三ツ寺の信号を北上、観音寺南の信号を東に右折して帰ります。

観音寺南の信号からひたすら東に帰ります。

 

最初は県道127号線、途中から県道10号線、そして県庁を左に見てまもなく県道3号線が始まります

県道3号線、昔の道はまっすぐではなく紆余曲折していたでしょうけど、気にしながら走ってみましょう

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