黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

目立たなく吾妻太郎一族追善碑(普光山善導寺)

2021-11-10 20:48:09 | 吾妻紀行

ひめちゃんと獅子丸とタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

諏訪神社の手前で、白い影を頭上に感じました。

見上げると、シラサギです。

急いでカメラを出しましたけど、シャッターチャンスは過ぎていました。

 

しっかり晴れて、朝日がまぶしい

 

神社の向こうの高台を、突き当たりまで行きます。

榛名山がきれいに見えています。

 

突き当たりを南に降りて、山上多重塔・東の窪地を北に辿ります。

赤城山も、しっかりその姿を見せています。

 

舗装された道ですけど、なかなか右に上がる道が見えてきません

どこかで右に上がらないと帰れません。

舗装道路はそのうちに、西に向かってしまいました

あぜ道をなんとか右に出ます。

山上(桐生市新里町山上)に戻れそうです

みんなも、ごほうびの催促です。

誰も知らない初めての道だけど、なんとか堀之内に帰れました

 

プーちゃん、おはよう

プーちゃんは、反応しません

ひめちゃんの恋の季節は終わりかかってるかな?

 

 

 

 

(10月18日)神代杉の後、郷原駅を過ぎて、善導寺を目指します。

 

「善導」とは新纂浄土宗大辞典によると、

中国唐の時代に活躍した阿弥陀仏信仰者で、日本の法然および法然以降の浄土教に絶大な影響を与えた人物。法然は主著『選択集』において禅堂のことを阿弥陀仏の化身とまで言っている。

ということです。

上野国山上の行仙上人著『念仏往生伝』でも、登場してきます

 

また、この善導寺は、いくつもの伝説があるようです。

事実かどうかは別として、一番ポピュラーなのが、次のような話かな?

戦国時代に甲斐の武田信玄が侵攻してきて、吾妻太郎の岩櫃城を攻めた。

岩櫃城はなかなか落ちないので、水路を絶ったけれども落ちない。

和議の交渉役・善導寺の和尚は、武田方に聞かれると、いとも簡単に岩櫃城の水利の秘密をしゃべってしまった。

水利を絶たれた岩櫃城は落城した。

その後、善導寺は祟りで何度も焼けた。

 

ぜひ寄って帰りましょう

 

ナビに従って、ごちゃごちゃした道を通って到着です。

 

駐車場から見た境内の風景です。

 

山門をくぐります。

 

本堂で参拝です。

合掌

雌雄の龍も獅子も生き生きしてます

新しそうで、元気いっぱいです。

 

 

町氏邸文化財・善導寺三尊来迎図の説明板があります。

鎌倉時代中期の作ですか

何度も焼けているそうですけど、古いものも残ってるんですね

 

勢至丸(法然上人の少年時代)の像です。

合掌

ここは、浄土宗のお寺です。

 

本堂の西側が墓地になってます。

あちこちのお寺で古い墓石を整理する時代に入っているのですね。

 

 

静かです。

余りに静かなので、御朱印をと聞いて見るのもはばかられます。

ましてこのコロナ禍の時節、又の機会を待ちましょう

 

 

山門をまっすぐ出ると、桜の古木です。

桜の季節には、きっときれいな花を咲かせることでしょう。

そのころまた寄れるといいな

 

このスペースには、境内に入らなかった石造物がちらほらあります。

あれ、目立たなく「吾妻太郎一族諸霊追善碑」ですって

塔婆も上がってます

合掌

 

駐車場の向こうに、白亜の巨大なお城が見えます。

東吾妻町役場ということです

 

役場前の道を通って帰ります

 

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