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黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

武蔵国吉田郷尼の記憶を訪ねて(椋神社に行ってきました)

2022-08-16 17:16:04 | 念仏往生伝の記憶を訪ねて

実は、ここを訪ねたときには、まだ『念仏往生伝』もよく読み込んでいなくて、吉田郷尼の記憶を訪ねるという気持ちはありませんでした。

でも、結果的に『念仏往生伝』の吉田郷尼が暮らしていたかも知れない吉田郷を訪ねたのです。

吉田郷尼のお導きかな?

 

『念仏往生伝』 第廿六 武蔵国吉田郷尼

彼尼生年四十七出家。念仏功徳。而間生年六十八。自建長五年(癸丑) 十一月六日。持病更発。同九日向子息入道語云。去九月十一日暁。恒河聖衆囲繞。如夢如幻。又自昨日。常合青蓮花在眼前云々。十二月十日又語云。合眼之時。善導和尚立枕上給。又見合青蓮花。此時心弥清澄。身倍平安。戌剋又云。臨終非只今。卯時是其期也。其故仏菩薩如常。迎請儀式尚遠立給故也。又子剋別念仏云。臨終漸近仏已近。其後高声念仏不退。卯始音止之後。念□之口猶廿余遍 。則気止了。在世之間。種々異相。不語外人。自記秘之。



この話の主人公、ヒロインは武蔵国吉田郷尼です。
名前は記されていません。
武蔵国は埼玉県、吉田郷ってどこだろう?

いろいろ検索すると、武蔵国秩父郡吉田郷で、秩父氏の館があったところです
ということは、吉田郷尼は秩父氏の女性と考えられます


2019年の12月、訪問した武蔵国吉田の椋神社の記録です。





(2019.12.12)朝ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社向こうの高台を歩いてきました。

 

帰り道、ひめちゃんが立ち止まりました

ちょうど小学生の登校時間に逢ってしまったのです

後ろ向きになって逃げようとします。

ちょっと待っていれば行っちゃうよ。

でも、不安でいっぱいです

 

ひめちゃんとののこねーちゃんはが、子どもが苦手です。

タバサねーちゃんと獅子丸は、平気です。

同じ両親から生まれたのに、どうして違うのかわかりません。

 

 

 

2018年の12月、深谷市畠山の井椋(いぐら)神社に行きました。

伊椋神社は、畠山氏が秩父の椋神社(むくじんじゃ)を勧請したものということでした。

 

嵐山紀行番外編総集編・井椋神社とうぐいすの瀬

 

では、椋神社へということでしたけど、やっと先日行って来ました

 

伊勢崎市役所の脇を通り、板東大橋で利根川を渡ります。

あれ、いつか通った道です。

関東管領の城・雉岡城の脇を通ります。

それから、ほとんど道なりだったような気がします。

途中からは、もちろんそれなりの山道でした。

途中のコンビニで一休みの予定でしたけど、なかなかコンビニがありません

おなじみのコメリがありました

コメリで一休み。

さあて、あれコンビニがある

まあ、そういうこともあります

 

 

やっと到着です。

黒い鳥居です

 

後ロの山には、不思議なものがあります。

あれが有名な農民ロケット・竜勢の発射台ですね

 

 

付近の観光案内があります。

ここは秩父市吉田です。

ちょっと見にくいけど、秩父市館跡や万葉歌碑も近そうです。

そのうちに行ってみましょう。

 

 

社務所を探します。

御朱印をお願いして、境内の散策です。

あの秩父事件の碑やらがいくつもあります。

 

 

 

そういえば昔、自由民権運動とのからみで大分注目された時期がありました。

秩父困民党三千余名は、明治17年(1884)11月1日、ここ椋神社の境内に集まって武装蜂起したのです。

 

 

赤い鳥居の方に行ってみます。

おや、狛犬がなんとなくひめちゃん似です

山犬(やまいぬ)なのです

「魅せられて山犬」とでもいいましょうか、この山犬風狛犬の写真をいっぱい撮りました

 

 

 そういえば、さっき社務所にこの山犬ふう狛犬のお札(ふだ)がありました。

 

鳥居を出て、入り直しです。

手すりはありがたい

山犬さんこんにちは

 

鳥居をくぐります。

この後ろ姿というか、背中の丸み、よく犬を観察しています

 

 

竜勢の見本でしょうか?

都合で2枚になってしまいましたけど、長いです

竜勢の説明板もあります。

 

最初に入った黒い鳥居のむこうの山に発射台がありました。

 

さて、いよいよ本殿に参拝です

(つづく)

 

 

 

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高縄の摩崖仏と上野国山上の念仏往生者2

2022-08-13 20:12:21 | 念仏往生伝の記憶を訪ねて

Gooブログ1年前の記事(2021-8-12)ということで、「高縄の摩崖仏と上野国山上の念仏往生者」の記事が届きました

獅子くんも、一緒に元気に出演しています

 

「高縄の摩崖仏と上野国山上の念仏往生者」の記事を、振り返ってみます

 

 

ひめちゃんは、獅子丸の用意が出来るのを待ってます。

 

2人は岩神沼に到着です。

カモさんが3羽います。

やっぱ、カモさんがいるっていいよね

赤城山は、全くその姿を見せてません。

 

沼の脇の田んぼに、雀よけのグッズ出現

効果があるといいね

 

沼の上の高縄の摩崖仏にも寄ります。

あれ、みんなのお姿がよく見える

 

ひめちゃんたちも、足下に気を付けて、摩崖仏の下まで行きます。

阿弥陀如来のお姿が浮かび上がっています

足下にも、仏様がいるような

半肉彫りですね

合掌

 

桐生市のHPに大きさがあります。

高縄の岩神沼から北へ約150メートルのところに、赤城山の泥流によって運ばれてきた大きな岩があります。最も大きなものは、高さ3.8メートル、幅は約4メートルもあります。その南面に阿弥陀如来(高さ56センチメートル)を中心に、脇侍として右に観世音菩薩(高さ50センチメートル)、左に勢至菩薩(高さ50センチメートル)が、半肉彫りされています。像が彫られた年代を明らかにする資料はなく、鎌倉時代頃と推定されています。岩の左側には、経文を納めた丸い穴が彫られています。

 

左側に経文を収めたという穴があります。

本日初めて中を覗きます。

けっこう大きいです

摩崖仏を彫り、経文を収める穴を掘り、かなりの信仰心がなければ出来ないことでしょう

もちろん、経文は自分で書写するんですよね。

 

 

ふと、上野国山上の行仙上人著『念仏往生伝』の中の、上野国山上周辺の念仏往生者の存在が思い浮かびます

第卅四話 
(欠)六年五月之比。無其次俄来行仙房語云。為最期見参所参云々。其後臥病床。同五月廿一日。病者云。持仏堂仏。只今奉安極楽。看病不得意。同廿二日又云。明相弥現示。彼可還云々。既絶入。還生之時。人間云。見何境界。答云。聖人来言。行水可念仏云々。仍行水了。同廿三日又云。何聖御房遅来給哉。如此二反謂之。起居念仏。即逝去了。


この話の主人公は、(建長?)6年の5月、行仙房にアポなしで突然やって来て、「お会いするのは、今回が最後です。」と言いました。
そして、その後病に伏します。
5月21日に、病の彼は、「持仏堂の仏は、ただいま極楽に奉安しました。看病は望むところではありません。」
また「明相弥現示。彼可還云々。」と、22日に言いました。
(明相は意味が分かりません。でも、現示が啓示と同意とすると、仏の啓示があったのでしょう。
還(かえるべし)とは、まだ往生しないで俗世に帰るという事でしょうか?)
そして、気を失ったのです。
でも、彼は息を吹き返しました。
その、「還生之時」に、ある人が言いました。
極楽往生の世界の入り口で何を見てきましたか?
彼は答えました。
聖人が来て、「潔斎のために行水をして念仏を唱えなさい。」
行水を終わりました。
23日にまた言いました。
「どこの聖や御房様が遅れておいででしょう?だれも遅れてきたりしていませんね。みんな来てますね。」
二度こんな風に言って、起き上がって念仏を唱えて、往生を遂げました。

(テキストは『日本思想体系往生伝法華験記』、現代語訳はひめちゃんち流です。)

 

 

最初の部分に欠落部分があって、姓名等は分かりませんけど、山上周辺に住んでいて念仏往生を遂げた人の話です

行仙上人のところにやって来て、近々くる自分の念仏往生に立ち会ってくれるように頼みにきたのです

行仙さんはもちろん行ったことでしょう

 

行仙上人は、山上の窪井(くぼい)にいたことがわかっています。

そこはたぶん、現在は山上ではなく新川の雷電山付近だと言います。

雷電山にも、中世の阿弥陀三尊の笠塔婆があります

 

 

この摩崖仏を彫ったのは、『念仏往生伝』の彼ではないでしょう。

けれども、彼の強い信仰心を受け継ぐ人によって彫られた可能性を感じます

みなさんに合掌

 

摩崖仏の裏を通って帰ります。

おかあさん、転ばないでね

そうだ、この間この坂で転びました

まだお尻が痛みます

 

アマビエさんの前を通って帰ります。

 

 

 

 

実は最近、「上野国山上の行仙上人」という題で、論文の原稿依頼がありました

FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」で読み解いた行仙上人の著作『念仏往生伝』の記事をもとに悪戦苦闘、なんとか提出しました

依頼者に加筆修正してもらって、なんとか活字になりました

 

論文なんて、大学の卒論以来です

まさか、大学を卒業して○十年もたって、論文を書くなんて思いも寄りませんでした

 

でも強みは、『念仏往生伝』に登場する人物、行ける範囲(おおむね60km、車で2時間程度)の人物の面影を訪ねたことです

 

ひめちゃんⅢに、ほとんどの訪問記があると思います。

こちらのブログは、当分『念仏往生伝』の記憶を訪ねての記事を、総集編でまとめてみたいと思います

よろしくお付き合いくださいませ

 

今までと同じような、ひめちゃん達と史跡の訪問記は

続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ (goo.ne.jp)      にて続けています。

こちらもご訪問お待ちしています

 

 

 

 

 

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