桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

小さな小さな実がなった

2014年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
4月13日(日)

日に日に、暖かさが増して、自然界の変化を次々にもたらす。
我が家の桃の樹も,今ではすっかり緑になった。
その若緑の葉蔭に、小さな小さな実がついている。直径が1㎝程度。
  
私は嬉しくなって、日頃、愛用のiPhoneを取り出した。
最近は撮影となると、iPhoneのお世話になっている 。
このカメラは、とても便利だ。
兎に角、即座にパソコンへ写真が移行していくのだから、他のカメラは必要無い程である。


ベランダの手すりから、難しい姿勢で撮った。最近は、カメラの扱い方にも慣れて来たので、割合と簡単だ。

昨年は桃の実を漬けてみた。確か、焼酎と氷砂糖で漬けたと思うのだが、結局は、冷蔵庫へ置きっ放しで処分してしまった。
一体、何の瓶漬けか分からず仕舞いで、全く、勿体無い話である。

さあーて、今年はどうしようかな?
「梅干しの様に出来ないの?」と、姉が聞く。
「分からない」去年はインターネットで色々と調べたのだけど、結局、成功しなかったのだから。

また、悩みが一つ増えたと言う訳だ。
なかなか熟しもしない桃の実は、ただ、もったいないと思うのみ。
だけど、何とか生かしたいものである。









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 * 同窓会誌から

2014年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
4月12日(土)

今、私のMacに怒られた。いい加減な操作をするからだ。
人間より器械の方がマシだ。それも、厳しいお叱りだから身に沁みる。しかし、それも、直ぐ忘れてしまう私。
多分、Macは持主の私のいい加減さにあきれているだろう?


遅い夕食だが、ステーキを作った。これ、外で食べるといくらぐらいする?なあんて、バカな事を言いながら食べた。我ながら、なかなか美味しかった。

食べたい物を作るのは幸せ。しかし、その後が良くない。
残念だけど、腰が痛くて、つい、キツイキツイの連発。
「そんなにキツイのなら、やらなくてもよいのに」と姉に言われる事が多い。
でも、仕方が無い。トシだもの。それに食べたいのだもの。



『歳』と言えば、最近、送られて来た同窓会誌を見たら、この一年間に亡くなった人の名前が書かれていた。
さすが、昭和初期卒業年度の人は無理も無いと思うが、年度順に書かれた殆ど下に当たる部分で、かつての教え子の名前を発見した。

MKさんは女医として活躍していた。毎年、彼女から年賀状が届いているが、今年は自分側の都合で年賀状をしっかり確かめていなかった。
彼女が医師として大学病院の分室に勤務すると報告があった時「何かあったら知らせて下さい」と添え書きがされていた。 

何時か、彼女に相談をする事もあるかも知れないと思いながら、可成りの歳月が経ってしまった。
彼女からは、男の子二人もすっかり成長したと、写真入りの年賀状が毎年送られている。

強いショックを受けた。まだまだ若かったのに、しかも働き盛りの医師として期待されていたであろうMKさんが亡くなった原因は何だったのだろうか?
御茶ノ水のS先生に彼女の事を話すと「医者は案外、自分の体を大事にしないですよ」と言われた。

転入生だったMKさんの名前は、当時の女の子としては男の子の様な名前だった。一度も名前の事を尋ねた事は無かったが、御両親の期待と願いが込められている様な気がしたものだ。
大事なお嬢様を亡くされたお母様の悲しみを考えている。


自分より若い人が,この世を去って行く程、寂しいものは無い。
いささか、ショックを受けながらも、活動的だった彼女の少女時代を思い出した。












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 * 文字を書く悩み

2014年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
4月11日(金)

日一日と暖かさがまして来る様に思えるが、朝夕、特に夕方になると、まだ、暖房が恋しくなる事さえある。

今日こそは、今迄、出来なかった、いや、避けていた身の回りの整理をしようと思っていたが、相変わらずの怠け癖で……
いや、実は、つい、ノートブックの方へ眼が向いてしまうのだ。
『ノートブック』と言っても、真面目に記録をしたり勉強をしたりする筆記帳では無い。
『MacBookAir』である。そして更にiPhoneにiPadと、まさに、私はイイトシヲシテ(こんな時に表現するのはおかしいが)すっかり『Macお宅』になっている。

他の事は全て脇へ押しやって、この三つの玩具を日がな一日、いじっているのだから、どうしようも無く重症だ。
同じ『日がな一日』でも、読書でもしているのならいいのだけれど、どうしようもない。
更に困った事に、目がすっかり疲れ切っている。
目の保護のためにも休息をと思うのだが、何時も、側に置いている私の器機類を見ると、つい、手を出してしまう。

今も、そう。
ブログが溜まったからと、つい、MacBookAirを開いてしまった。
そんな事をやるより、最近、実に下手になってしまった文字を書く練習をすると良いのにと思う。
文字は人柄を表わすのだから。



仕事に就いていた若い頃は、役所へ提出する書類はカーボン紙を使って書いたものだった。この作業は緊張する。一度間違えれば、書き直しをしなければならないからだ。
ある時、上司が役所から帰って来て、私に伝えた。「あなたの字はとても整っていてで読み易いと感心していたよ」と。

ほめられれば、こんなに嬉しい事は無い。更に心を込めて書く努力をした。当時のガリ版の文字もきちんと一字一字を丁寧に切っている。
そして、出来上がりを見ては、我ながら確り良く書けたと感心したものだ。

それが、今はどうしたのだろうか?
私が書く文字は,形が不揃いの上に、縦書きになると、どんどん、斜めに片寄って来る。
いくら気をつけようとしても,益々、ひどく曲がるので、今では殆ど諦めの境地だ。
と、言うよりも「どうだっていいや」と、何もかも面倒になってしまう。

最近は、筆圧が少ない毛筆で書く方が多くなった。しかし、小さな文字は上手く描けない為、封筒の宛名書きぐらいが関の山。
それも、そのうち、不可能になるのかな?などと、多少、危ぶんでいる。


兎に角、文字がまともに書けないでいる最も大きな原因は、パソコンの所為だと分かっている。
それはパソコンが悪いのでは無く、何事も、手書きで表現する気持が無くなってきた自分にある。

今からでも直るだろうか?
美しい文字を書く人の芸術的な作品を見る度に、歳を重ねれば、それだけの美しさや人生観が表現出来るのに、何と、私はもったいない事をしたのだろうとと反省する。

夕方、宛名を筆で書いた封書を持って、発送を依頼しに行った。係の女性が「何処かで字を書く勉強をしたのですか」と聞いた。「いいえ、全て、自己流です」と私は答えた。
自己流でも、毛筆で何とか書ける様に努力をしようかなと、ふと、思った。


高校時代の友達からカレンダー受け取りの便りが、毎月、葉書で送られて来る。
小さな真面目な文字で、行間を確りと揃えて、近況をこまごまと記している。
彼女の几帳面さに感心しながら、私も見習わなくては…と、何時も反省するのだ。






しかし……、キー操作一つで表現出来る既製の書体の美しさにに惹かれて、どうしてもパソコンにとらわれてしまう。
これも、文字の印刷表現が一つのアートになる魅力を十分に味わっていたい自分がいるからかも知れない。
60歳を過ぎてから、デザイン専門学校でエディトリアルデザインの勉強をしたのだもの。


さて、どうなる事やら……両者の間に立った自分の行方は?







 * また、一本黄色いチューリップが咲き始めました。

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