で。
今もいろいろに悩むこと多い。
現実的な(生活上の)問題でを煩わされ、そしてそこから派生して、自分の存在の問題、気持ちのありようの問題、などの内面的な問題が脳内を駆け巡って苦しめられもする。
せめて現実的な問題を一つ一つ解決して行きたいのに、それさえうまく行かない。そして、そのことを、信頼していた人に分かってもらえなかった、誤解された、そんなことも私を苦しめる。
そのうち、内面的な問題にどんどん穴を掘っていく羽目になり、気づけばあたかも免疫の異常のごとく、自分の中の何かが自分を激しく攻撃する。いや、攻撃を受けているそのことさえ、また攻撃の対象となる。
…そんな中で一つ思ったことがあった。
自分が自分のしたことで受ける罰は自分のことだからはっきり分かる。でも、他人が与えられている罰は、例えば自分が他人から受けた仕打ちのことで、その人間がかみさまから罰されるとして、でもその現場は、私には見えない、罰されているか否かは私には知らされないのだ。それを見るための罰じゃないから、見て溜飲を下げるためのものじゃないから…かみさまが人にもし罰を与えるとしたら。罰するか否かはかみさまが決める、そして罰する現場は、原則見られない。それらは、任せないといけない。
人が人に行う裁判だったら…いや、少年事件なんかこれに限りなく近いけど、そして近年では批判を受け、いろいろ議論があるし、それこそ「被害者感情に全く配慮が無い」と言われそうなところだけれど、かみさまの裁判は、そういうものなのだなぁ…と思った。
とにかく。
私ばっかり罰を受けて、あまり罰を受けてない人がいるんじゃないか?と疑っていたし疑っているけれど、実はそれは、やはり的外れな思いなのかもしれない。
ただ、実感としては、やはり、私はしたことのいくつかか半分以上か全部か分からないけど、目には目を的な報いを(かみさまから)受けている感じがする。
しかし一方で…かみさまから受ける恵み、そして人から受ける恩恵、温情、親切…そういったものは、ふと気づくと、自分は人には与えていなかったもの、人にはしてこなかったこと、だったりするのだ。という実感もある。
犯した罪には応分の罰、思えばそれは当然のこと、そして善行への褒美ではなくてにいろいろな恵みもあるのだとしたら、…あまりと言うか全く文句は言えないなあ…と何となく思えたりもしているこのごろ。
それでも今残る問題は…。
一つは現実的な生活上の問題、生活上の選択、決断、そしてそれにまつわる不安などの問題。
そして、こういう現実的な問題の解決のために、そのことで人に相談したのに、何か内面的なことの問題として受け止められてしまい、全く相談に乗ってもらえなかった、その失望感…それかもしれない。いやそれとても、日ごろの私の行いが悪いのだ、きっと。そして、説明の仕方が悪かったのだ、きっと。
人と人なんて、誤解の連続なんだろう。自分じゃないんだもの。他人は。
今もいろいろに悩むこと多い。
現実的な(生活上の)問題でを煩わされ、そしてそこから派生して、自分の存在の問題、気持ちのありようの問題、などの内面的な問題が脳内を駆け巡って苦しめられもする。
せめて現実的な問題を一つ一つ解決して行きたいのに、それさえうまく行かない。そして、そのことを、信頼していた人に分かってもらえなかった、誤解された、そんなことも私を苦しめる。
そのうち、内面的な問題にどんどん穴を掘っていく羽目になり、気づけばあたかも免疫の異常のごとく、自分の中の何かが自分を激しく攻撃する。いや、攻撃を受けているそのことさえ、また攻撃の対象となる。
…そんな中で一つ思ったことがあった。
自分が自分のしたことで受ける罰は自分のことだからはっきり分かる。でも、他人が与えられている罰は、例えば自分が他人から受けた仕打ちのことで、その人間がかみさまから罰されるとして、でもその現場は、私には見えない、罰されているか否かは私には知らされないのだ。それを見るための罰じゃないから、見て溜飲を下げるためのものじゃないから…かみさまが人にもし罰を与えるとしたら。罰するか否かはかみさまが決める、そして罰する現場は、原則見られない。それらは、任せないといけない。
人が人に行う裁判だったら…いや、少年事件なんかこれに限りなく近いけど、そして近年では批判を受け、いろいろ議論があるし、それこそ「被害者感情に全く配慮が無い」と言われそうなところだけれど、かみさまの裁判は、そういうものなのだなぁ…と思った。
とにかく。
私ばっかり罰を受けて、あまり罰を受けてない人がいるんじゃないか?と疑っていたし疑っているけれど、実はそれは、やはり的外れな思いなのかもしれない。
ただ、実感としては、やはり、私はしたことのいくつかか半分以上か全部か分からないけど、目には目を的な報いを(かみさまから)受けている感じがする。
しかし一方で…かみさまから受ける恵み、そして人から受ける恩恵、温情、親切…そういったものは、ふと気づくと、自分は人には与えていなかったもの、人にはしてこなかったこと、だったりするのだ。という実感もある。
犯した罪には応分の罰、思えばそれは当然のこと、そして善行への褒美ではなくてにいろいろな恵みもあるのだとしたら、…あまりと言うか全く文句は言えないなあ…と何となく思えたりもしているこのごろ。
それでも今残る問題は…。
一つは現実的な生活上の問題、生活上の選択、決断、そしてそれにまつわる不安などの問題。
そして、こういう現実的な問題の解決のために、そのことで人に相談したのに、何か内面的なことの問題として受け止められてしまい、全く相談に乗ってもらえなかった、その失望感…それかもしれない。いやそれとても、日ごろの私の行いが悪いのだ、きっと。そして、説明の仕方が悪かったのだ、きっと。
人と人なんて、誤解の連続なんだろう。自分じゃないんだもの。他人は。