ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

やっぱりクリスマスは

2010年12月24日 | グレ耶蘇生活
集団でカラオケだよねぇ~!歌いてぇ~!讃美歌ぁっ!(世間様ではそのカラオケボックスを教会と言う。)

とパパガスと今夜の禁足を嘆いていたら…聖☆おにいさんの6巻ネタが…。(大爆)

とにかくやっぱりメリークリスマス!

クリスマスらしく?今日は…

2010年12月24日 | グレ耶蘇生活
クリスマスおめでとうございます。
クリスマスらしく?今日は、桜泉が尊敬するキリスト者、特集です。

しかしこれは、桜泉の中の不思議な矛盾というお話でもあります。

こういうキリスト者に惹かれる、というのがあるのだけど、それが全くそれぞれ違うし、このところ自分が言っているのと違うような風にも見える人を含んでいる。

このお方。職場の大大先輩。無教会系の方。
いわゆる、今風なリベラルな聖書の読み方をするでもなし、あくまで、主様(←神様のこと)、イエス様、と崇め奉っているスタンスのはずなのに、この人の仰ることは胸にスーっといい風のように染みる。いやな気持にならない。なんでだろー、なんでだろーと歌いたくなるほど不思議。(その歌、古すぎ。)
無教会といえば武士道的流れをひく潔さ、一途さがあって、そこがいいのかもしれない。
また、むやみに余所を向いて批判をしないのがいいのかもしれない。私はこう喜んだ、主様がこんなに素晴らしいと思った、こういう信仰の仲間の生き様に感銘を受けた、と、他所や他人を下げこんで、自分の立場を上げようとしない、まっすぐ天を仰いでよそ見をしないところが、好感が持てるのだろうか…。桜泉に、今、欠けているところではある…。
しかし何でかな……いや、直接会うと、ちょっと怖そうなお爺さんで苦手なんですよ、実は。^^;

次はいつも言ってるボンちゃん。ボンヘッファー。ついでに言うとマーティン・ルーサー・キングJr.にも関心はあり。
その信仰が個人の内面にとどまらず、いや、深化された結果として社会へと、この世へと向かっていった人に私は敬意を強く強く持つ。
「この世とつながらない魂だけの信仰」で終わらない人、そして殉教をも辞さなかった二人には、深い関心がある。
それから、ボンヘッファーの、成熟した世という意味を、もっと知りたい。
もっと自分のものにしてみたいと思っている。
神の前で、神と共に、神なしで生きることをもっと知りたい。そこに、探しているものが見つかりそうな気がしている。

もひとりはこちら
某教団内ではトンデモな目にあって、トンデモな人ってことになっている某ミッションスクール宗教科教師の方。
この現代の世にあって、この現代の若者に向かって、この世の言葉で語るためには、異端のウンコの阿呆のという誹謗中傷も臆せずに、立って立ち向かっていくその勇気。そして、大胆なその活動。
大きいじゃあありませんか。
異端だくそだと言われるのを恐れて、「この世における信仰」をホントに考えない、そして発言しないというのなら、じゃあマルチン・ルターさんになんと言われちゃうでしょう。この方へは「現代の宗教改革者」の称号を勝手に奉る計画を一人でしている…。

保身や護教、自己正当化とは無縁な人たちなんだよ、きっと。共通項は。
そして、いろいろはあっても、潔く、熱く、鋭く、大きい。
桜泉も、ちっとでいいからかくありたい。
桜泉は弱くても、その思いは真剣で潔く熱く鋭く大きく在れるように常に心掛けたい。