ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

グレ耶蘇のクリスマスへの思い…

2010年12月01日 | グレ耶蘇生活
グレグレ度マックス通り越している桜泉。
今度は、職場の聖書研究会のクリスマス会をボイコットしようかどうしようか思案中。
こんなメールを書くだけ書いて、さすがにこれはやばいだろう…と思い、まだ保存のままにして、とにかく数日寝かして古漬けにしてから決めようと思った次第。

--------メールの内容(一部改訂)--------

ちょっといろいろ考えたのですが……。
今年の聖書研クリスマス、やはり欠席させていただこうという気持ちになりました。
本当に申し訳ありません。
もちろん、お役目は引き受けました以上、果させていただきます。
前日または当日朝までに、物品を用意し、どなたかにお預けいたします。

ぶっちゃけた話をしますと、今、いわゆるキリスト教的な言説や雰囲気の中に身を置く気持ちになれないということです。

世の中の、物欲と乱痴気騒ぎに満ち満ちたクリスマスは好きではありません。
でもそれは、本当のクリスマスとかけ離れているから、とは必ずしも言えません。
元々、クリスマスなるものができて2000年たっているのです。内容の変質は免れないでしょう。
ただ、特に日本人の付和雷同、同調圧力の中、物欲を満たさねばらならない、誰かと一緒にいないといけない(孤独は恥ずかしいことだ)と強迫観念に囚われて、むやみに踊らされ焦る人がいたり、みじめさや孤独感を募らせている人がいることが、何とも見ていて、情けないというか、なんとかもうちょっと、各人が落ち着いてものを考えて行動できないのか…といういら立ちを覚えます
そしてそういう中で、どんなに窮乏していても、どんなに孤独でも、向こうからやってくる恵みとしてのクリスマス、そもそもが一人の乳児の貧しい生まれ方を物語にしたクリスマスは、もし世の中の人にうまく伝われば、どれだけ大きな慰めと希望になるかと、そのことも思っています。
でも、だからといって、世の人が「本当のクリスマス」を「知らない」人だ、という風に高みに立ったものの見方をしたくないし、そういう言説を聞きたくないのです
(そしてそれがうまく伝わっていないとすれば、世人が良くないのではなく、伝え方が良くないということが考えられますね。)

また、話変わりますが、このところの私は全く教会になど行かれていません。
そのような時間も体力ももうどこにもありません。子育てして働いて自分のギリギリの健康管理をして、それですべてです。24時間は終わりです。
それを押してまで行って、それを上回るものが得られるとも感じられません。
私が無理して日曜日に教会に行くことで疲労を増して、それで倒れても、神様は子どもらを養育してご飯を作ってくれませんし、それで私が病休や休職にでもなっても、私の身分保障を神様はしてくれません。
そういう状況の中、私のこの実に実にしつこい記憶力が呪わしいですが、聖研にいらしている牧師先生が数年前に発した「礼拝に行かないことは罪なのです」という一言が、私にとって、どれほど憎らしく、唾棄したい思いであるか、お察しください。
(そもそも、それってカルト宗教が信者をつなぎとめるために使う脅し文句と紙一重です。)
思い出すだけで、怒りが今だ数年たっても燃え上がってきます。
いや、忙しさに苦しむ今だからこそ、その時は「あれ?」で済んだ一言が、許しがたいそれと変わったのかもしれません。
そういう発言を平気でされる方のメッセージは、やはり今の私は聞く気になれません。

本当に勝手を申してすみません。
というわけで、ともあれ14日は、食器等用意いたしますが、会には出席できませんので、よろしくご了承のほどお願いいたします。

--------メール文案ここまで--------

準備の会合をしていた時のメンバーの方の祈りの中で、「本当のクリスマスを一人でも多くの方が知るようになりますように」云々という文句があって、こういうときの桜泉だから、注射針が神経にささったようになっちゃたんですね。(痛いです、これ。逆にうまく痛点それて無痛注射を受けたことあります♪)
そして、今年のメッセージ(ショート説教)を外部の牧師先生の一人に頼むことになったのですが、今、会に来ている先生方ってのがそろいもそろって福●派の人たちで……元気な桜泉もしくは鈍感になってた時の桜泉なら馬耳東風できたことも、今は喧嘩になりそうで、……こういう先生が来る会の時はサボり続けているのです。
その一人が、数年前に、そういうことを言ったんですね。罪・罪ってさ、福●派の人たちはすぐ簡単にへ~きで言う、あの感性が、今の桜泉にはもう耐えられない。

まあそして、ここで一番言いたいのは……ホントのクリスマスって何よってことですね。

桜泉も、クリスマスの乱痴気騒ぎはホント嫌い。クリスマスは大好きだけど、街がチカチカしてザワザワするとイライラする。(もともと人ごみと祭りが苦手だし。)
12月25日の午後になると飾りがきれいに取っ払われて、ホントすがやかーな気持ちになる。これでやっと落ち着いてクリスマス祝えるぜっ、とマジで思う時がある。
でもそれは……世人がイエス様の誕生を祝わないで遊んでばっかだから嫌なのではなくて、バカ騒ぎをしなきゃ、物をもらわなきゃ、ぜいたくしなきゃ、エッチをしなきゃと、老若男女が付和雷同して、まさに「強迫観念に囚われて」、そう、強迫観念の獄(ひとや)に入り込んで、挙句の果てに何だか結局、喜ぶ心、楽しい気持ちをなくしている気がする、孤独を味わったり僻み根性になっている人がいる気がする、本当に孤独で苦しんだり貧乏で困っている人が置いてけぼりになっている…それは「クリスマス」に起きている現象としてもいいことじゃないし、そんなのクリスマス以前の問題として、いつであれ「いい社会現象」とは到底言えない、とそういう気持ちでいっぱいです。

ずっと前ホームページをやっていたころに、若者に向けてメッセージを書いたことがあります。
クリスマスはエッチを「しなきゃいけない」日じゃないので、よく覚えておきましょう、と。(病気と失敗に気をつけろ、とまで書いたかどうかは忘れたけど、今、改めてそれも言いたい。)
また、クリスマス物語を知る人ならば、ルカ福音書を読む気がある人なら、たとえ聖霊による恵みだとしても、望まぬ妊娠、人聞き悪い妊娠に、一度は悩んだらしいマリアの心を思ってみよう…と。
そして、旅先の非常事態出産という実にみじめでつらい、窮乏の物語がクリスマスの大元にあることを知ったら、年末の孤独や窮状に、少しなんか打開が見えないかしら…もしかしたら…。少なくとも、悩んだり困ってるのは自分だけじゃないよ、って知ることができる…イエス様その人も、そのお父ちゃんとお母ちゃんも仲間だよって。
なんかそんな趣旨だった気がするけど、今もそう思っている桜泉。

乱痴気騒ぎができる人はしたらいいです。でも、サラ金借りてまで遊ぶのはよそうね。
イブ礼拝に行ける人は行ったらいいです。でも、行けない人のことを憐れまないで、来れたことを感謝するぐらいにしておこうね。

クリスマスは、「何々をしなければならない」「何々しないと貧しい」「何々が無い人は惨め」から、解放される日で、あってほしいと、願います。
何々は、「エッチ」「ディナーパーティ」「サンタさん(…サタンさんではない)」「イブ礼拝」いずれにも、すべてのことに当てはまります。

これが、グレ耶蘇桜泉にとっての、クリスマスです…。

○○○御殿

2010年12月01日 | その他もろもろ
欲しいもの。
四畳半くらいの「トイレ棟」または「家庭内多目的トイレ」。

保育園などにある乳幼児用便器(水洗おまるみたいなもん)、男子小便器、普通の洋式トイレ、手洗い流し…が揃っており、洋式トイレは室内にさらに囲いやドアがある(そうすればJくんと桜泉が同時に入れるでしょ)。

…ゆーくんはトイレ怖がってめんどくさがってトイレトレーニングが進まない。保育園じゃトイレ行くくせに。
…Jくんはスタンディング「オショーベン」が派手パフォーマンス、洋式便器を汚す名手!おかげでトイレは掃除してもしても、ウサギ小屋のような臭さ!

あ、洋式は二つある方が良い。
パパガスのたぶん過敏性腸気味な駆け込みかつ時間のかかるトイレとJくんや桜泉のニーズが被ると困るから。

となると乳幼児用便器は要らないから洋式ブース二つと男子小便器とおまるスペースと洗面台か…。

どーせ都会にしちゃあ土地があるんだったら、こんなトイレ御殿に作り替えたい…。

師走早々汚い話題ですみません。切実なんですが…。