Milch's blog

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「剣豪」あれこれ

2007年06月20日 | Weblog
●鬼一法眼(きいちほうげん)
・平安時代頃の伝説上の人物。
・京都一条堀川に住んだ陰陽師で、六韜(りくとう)兵法という呪術兵法の大家で、文武の達人とされる。源義経がその娘と通じて伝家の兵書『六韜』を盗み学んだという伝説で有名。
・また剣術においても、京八流の祖として、また剣術の神として崇められている。



●塚原 卜伝(つかはら ぼくでん)
・延徳元年(1489年) - 元亀2年2月11日
・日本の戦国時代の剣豪。
・新当流(鹿島新当流)の開祖。
・39度の合戦、19度の真剣勝負に望みながら、一度も負傷しなかったと伝えられている。よく知られている真剣勝負に川越城下での梶原長門との対決がある。
・足利義輝や北畠具教にも剣術を指南したという。特に北畠具教には奥義である「一の太刀」を伝授したとされている。



●上泉 信綱(かみいずみ のぶつな)
・永正5年(1508年) - 天正5年1月16日?
・戦国時代の兵法家。新陰流を創出した。



●伊東 一刀斎(いとう いっとうさい 生没年不詳)
・戦国時代から江戸初期にかけての剣客。姓は伊藤とも。
・江戸時代に隆盛した一刀流剣術の祖である。
・一刀斎は諸国を遍歴し、名のある剣士と勝負すること33度、ただの一度も敗れなかったという。



●鐘捲 自斎(かねまき じざい 生没年不詳)
・一刀流剣術の伊東一刀斎の師で有名な鐘捲流剣術の祖である。
・「一刀流」は「鐘捲流」から出ている。
・自斎の弟子で有名なのは、この伊東一刀斎の外に佐々木小次郎がいるとされる。



●柳生 宗厳(やぎゅう むねよし)号は石舟斎
・大永7年(1527年) – 慶長11年4月19日
・新陰流の継承者。
・子に柳生厳勝(柳生利巌の父)、江戸幕府に仕えた柳生宗矩、柳生宗章ほか。
・1594年、徳川家康と出会い、その剣術指南役として出仕を請われたが、宗厳は老齢を理由に辞退し、代わりに五男の宗矩を推挙した。後に柳生に500石の所領を受けた。



●吉岡 重堅(よしおか しげかた)
・いわゆる吉岡憲法(吉岡拳法)
・? - 慶長18年6月22日(1613年)
・安土桃山時代から江戸時代にかけての剣客。



●胤栄(いんえい)
・大永元年(1521年) - 慶長12年8月26日
・安土桃山時代の興福寺の僧衆・武術家。
・興福寺子院の宝蔵院の院主。
・それまでの素槍中心の槍術に対し、十文字鎌を使用した宝蔵院流槍術を始めた。



●新免 無二(しんめん むに) 新免無二斎
・戦国時代の剣豪。宮本武蔵の父(養父?)
・当理流の兵法家。
・新免無二は十手術の兵法家で、足利義昭に召され、将軍家師範で扶桑第一兵術者の号を持つ吉岡某と試合をし、一度は吉岡が勝利し、二度は無二が勝利したので日下無双兵法術者の号を賜ったと記されている。



●足利 義輝(あしかが よしてる)
・天文5年3月10日 - 永禄8年5月19日
・室町幕府の第13代将軍
・塚原卜伝からの指導を受け、鎌倉から江戸までの征夷大将軍の中でも、最も武術の優れた人物として伝えられている。松永久秀らの二条御所襲撃の際も刀を数本畳にさし、刃こぼれしては新しい刀に替えて敵を切り伏せ続けたという。



●東郷 重位(とうごう ちゅうい 又は しげたか)
・永禄4年(1561年) - 寛永20年6月27日
・薩摩藩の武士にして示現流剣術の流祖。



●柳生 三厳(やぎゅう みつよし)柳生十兵衛
・江戸時代の武士、剣豪。旗本。柳生藩第2代藩主。
・よく知られた十兵衞(じゅうべえ)は通称。
・愛刀は三池典太。
・江戸初期の著名な剣豪として知られ、彼を題材とした講談や小説が現在に至るまで多く作られている。
・柳生藩主の柳生宗矩(柳生但馬守)の長男。
・後世、片目に眼帯をした姿で描かれることが多く、これは、尾張の新陰流の伝承に、幼い頃形の燕飛の月影を修行中に父・宗矩の木剣が目に当たり失明したため。



●宮本 武蔵(みやもと むさし)
・天正12年(1584年)? - 正保2年5月19日
・江戸時代初期の兵法者であり、また書画でも優れた作品を残している。
・二刀を用いることで有名な二天一流兵法の祖。
・京都の兵法家吉岡一門との戦いや巌流島(山口県下関市)での試合が、小説、時代劇映画、テレビドラマ等の題材になり有名。
・『五輪書』には13歳で初めて新当流の有馬喜兵衛と決闘し勝利、16歳で但馬国の秋山という強力の兵法者に勝利、以来29歳までに60余回の勝負を行い、すべてに勝利したと記述される。



●荒木 又右衛門(あらき またえもん)
・慶長4年(1599年) - 寛永15年8月28日
・江戸時代初期の剣客。「鍵屋の辻」の仇討ちで名高く、講談や時代小説、時代劇映画などの主人公として知られる。



●柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)
・江戸時代初期の武将、剣術家。
・徳川将軍家の剣術師範。大和国柳生藩初代藩主。
・剣術の面では将軍家師範としての江戸柳生の地位を確立した。
・大和国柳生の領主で、上泉信綱から新陰流の印可状を伝えられた剣術家・柳生宗厳(石舟斎)の五男。



●柳生 利厳(やぎゅう としよし)
・1579年(天正7年) - 1650年(慶安3年)
・江戸時代初期の剣術家である。
・柳生宗厳(石舟斎)の長男・柳生厳勝の次男。
・吉川英治の小説などでは、諸国巡遊の旅の時に宮本武蔵と対峙している所が描かれているが、実際に対峙したかは不明。
・1615年(元和元年)から尾張徳川氏の家老・成瀬正典の推挙で徳川義直に仕えた。



●佐々木 小次郎(ささき こじろう)
・生年不詳 - 慶長17年4月13日
・安土桃山時代の剣客である。名は小次郎、号は巌流。
・中条流富田勢源、或いは富田勢源門下の鐘捲流の鐘捲自斎の弟子とされている。
・『二天記』には巌流島での決闘時の年齢は18歳であったと記されているが、生前の勢源と出会うには、決闘時に最低でも50歳以上、直弟子であれば相当の老人と考えられる。
・愛刀は、刃長三尺三寸(約1m)の野太刀「備前長船長光」通称物干し竿。
・武者修業のため諸国を遍歴し、「つばめ返し」の剣法を案出した。



●吉岡直重(吉岡伝七郎)



●吉岡直綱(吉岡清十郎)



●宍戸 梅軒(ししど ばいけん)
・江戸時代初期の武士。
・『鎖鎌を使わせたら天下無敵の達人』と言われた。
・慶長10年(1605年)、剣豪宮本武蔵と決闘を演じる。その後の梅軒の行方は杳として知れない。戦死したとも、その後生き長らえたとも言われるが、詳細は不明。



●堀部 安兵衛(ほりべ やすべい)
・堀部 武庸(ほりべ たけつね)
・寛文10年(1670年)- 元禄16年2月4日(1703年)
・赤穂浪士四十七士の一人。四十七士の中では一番の剣客。
・小石川牛天神下にある堀内源太左衛門の道場に入門した。天性の剣術の才で頭角をあらわし、すぐさま免許皆伝となって堀内道場の四天王と呼ばれるようになる。



●大石 鍬次郎(おおいし くわじろう)
・天保9年(1838年) - 明治3年10月10日(1870年)
・新選組諸士調役兼監察。名は守親。
・新撰組入隊後、暗殺を主とした任務につくことで「人斬り鍬次郎」と恐れられた。実際に多くの任務で、その剣を振るっていたらしい。目付役の任にもついていた。



●沖田 総司(おきた そうじ)
・天保13年6月1日(1842年) - 慶応4年5月30日(1868年)
・江戸時代後期、幕末の新選組の隊士。局長助勤、一番隊組長、撃剣師範。
・沖田の剣技で有名なのが「三段突き」である。天然理心流の平正眼の構えから踏み込みの足音が一度しか鳴らないのに、その間に3発の突きを繰り出したという。目にも止まらぬ速さで、相手は一突きもらったと思った瞬間、既に三度突かれていたという。
・愛刀は「菊一文字則宗」異説あり



●近藤 勇(こんどう いさみ)
・天保5年10月9日(1834年) - 慶応4年4月25日(1868年)
・新選組局長
・天然理心流・試衛館道場近藤周助(近藤周斎)の養子。
・愛刀は「長曾祢虎徹」「今宵の虎徹は血に飢えている」



●土方 歳三(ひじかた としぞう)
・天保6年5月5日(1835年) - 明治2年5月11日(1869年)
・新選組副長
・天然理心流道場では歳三は中極意目録までの記録しか現存していない。行商中に学んだ様々な流派のクセが取れなかったようだ。しかし、実戦では滅法強かったと言われている。
・愛刀は「和泉守兼定」小刀は「堀川国広」



●斎藤 一(さいとう はじめ)
・天保15年1月1日(1844年)- 大正4年(1915年)
・幕末から明治にかけて活躍した武士。新選組隊士。新選組では三番隊組長や撃剣師範などを務める。
・剣の流派は一刀流とも無外流とも伝えられている。
・沖田総司・永倉新八と並んで、新選組最強の剣士の一人といわれている。永倉は弟子に「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」と語ったという。



●永倉 新八(ながくら しんぱち)
・天保10年4月11日(1839年) - 大正4年(1915年)
・新撰組二番隊組長、撃剣師範。
・流儀は神道無念流。
・新撰組の隊長格でも屈指の剣腕を誇り、阿部十郎は一に永倉、二に沖田、三に斎藤一の順であったと後年語っている。「龍飛剣」と称する下段の構えから上へ敵の剣を擦り上げながら下へ切り落とす技を得意としていた。



●芹沢鴨(せりざわ かも)
・文政10年(1827年)? - 文久3年9月16日(1863年)
・幕末の水戸藩浪士、新選組の筆頭局長。
・神道無念流剣術戸賀崎熊太郎に剣を学び、免許皆伝を受け師範代を務めた。



●岡田 以蔵(おかだ いぞう)
・天保9年(1838年) - 慶応元年(1865年)
・土佐の郷士で土佐勤王党に加わった幕末四大人斬りの一人(他に肥後藩 河上彦斎/薩摩藩 中村半次郎/土佐藩・薩摩藩 田中新兵衛)で、「人斬り以蔵」と呼ばれた。



●中村 半次郎(なかむら はんじろう)
・後の桐野 利秋(きりの としあき)
・天保9年(1838年)12月 - (1877年)明治10年
・幕末の薩摩藩士、明治初期の軍人。
・中村には「人斬り半次郎」という異名がある。



●男谷 信友(おたに のぶとも)
・寛政10年1月1日(1798年) - 元治元年7月16日(1864年)
・幕末の幕臣、剣客。直心影流男谷派を名乗った。
・信友から、島田虎之助、榊原鍵吉などの名剣士が輩出した。
・その実力の高さから「幕末の剣聖」と呼ばれる。



●斎藤 弥九郎(さいとう やくろう)
・1798年(寛政10年) - 1871年(明治4年)
・幕末期の神道無念流剣術の剣術家。
・弥九郎の剣の腕は天下無双と称され、その道場である練兵館は千葉周作の玄武館や桃井春蔵の士学館と並んで江戸三大道場の一つに数えられた。
・門下生として、桂小五郎・高杉晋作・品川弥二郎・井上馨・伊藤俊輔(伊藤博文)たちがいる。



●千葉 周作(ちば しゅうさく)
・寛政5年(1793年) - 安政2年12月10日(1856年)
・江戸時代の剣術の流派北辰一刀流の創始者で、千葉道場の総師範。
・北辰一刀流剣術の人気は絶大なものとなり、「力の斎藤」(斎藤弥九郎)・「位の桃井」(桃井春蔵)とならんで、「技の千葉」と称された。この三道場は江戸の剣客を三分した。
・千葉周作の門下から幕末の重要人物を多数輩出‥主な人物として浪士組幹部の清河八郎、山岡鉄舟、新撰組幹部の山南敬助などが挙げられる。なお坂本龍馬は定吉に師事しており、直接の弟子ではない。



●桃井 春蔵(もものい しゅんぞう)
・1825年(文政8年) - 1885年(明治18年)
・幕末期の剣術家。
・鏡新明智流・士学館の道場主。
・上田馬之助、土佐藩士の武市半平太、期間は短いが逸見宗助も士学館に入門した一人である。
・1865年末、春蔵は弟子を連れて京都を歩いていた。すると、新撰組の隊員に出くわし、「道を譲れ。譲らぬと斬るぞ」と難癖をつけられる。しかも相手は抜刀した。このとき、春蔵は「わしはこう見えても剣で腕を鳴らした桃井春蔵だ。お望みなら相手になるぞ」と告げた。新撰組の一員である彼らは、斎藤弥九郎や千葉周作と並ぶ大剣豪の名を知っていたから、慌てて謝罪し、退散したと言われている。



●島田 虎之助(しまだ とらのすけ)
・1814年(文化11年) - 1852年(嘉永5年)
・幕末の剣客。男谷信友、大石進とならび幕末の三剣士といわれた。直心影流島田派を名乗った。
・「其れ剣は心なり。心正しからざれば、剣又正しからず。すべからく剣を学ばんと欲する者は、まず心より学べ」という言葉が知られている。



●佐々木 只三郎(ささき たださぶろう)
・天保4年(1833年) - 慶応4年(1868年)
・江戸時代後期の幕末期の旗本。京都見廻組幹部。
・神道精武流を学び、幕府講武所の剣術師範を勤めた。
・文久3(1863年)、浪士組の清河八郎を暗殺する。
・元見廻組の証言から慶応3年(1867年)の京都近江屋での土佐藩の坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺に関与しているとも言われる。



●坂本龍馬(さかもと りょうま)
・天保6年11月15日(1836年) - 慶応3年11月15日(1867年)
・桶町の北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟の千葉定吉道場(通称:小千葉道場)の門弟。塾頭を務める。北辰一刀流免許皆伝。異説あり。



●桂 小五郎(かつらこごろう)
・後の木戸 孝允
・天保4年6月26日(1833年) - 明治10年(1877年)
・江戸三大道場の一つ、「力の斎藤」の練兵館(斎藤弥九郎)に入門し、神道無念流剣術の免許皆伝を得て、入門一年で練兵館塾頭となる。
・幕府講武所の総裁、男谷精一郎の直弟子を破るなど、藩命で帰国するまで5年間、練兵館の塾頭を務めおおせ、その間、剣豪の名を天下に轟かせる。大柄な桂小五郎が、得意の上段に竹刀を構えるや否や、その静謐な気魄に周囲が圧倒されたと伝えられる。



●武市半平太(たけち はんぺいた)
・武市 瑞山(たけち ずいざん)
・文政12年9月27日(1829年) - 慶応元年(1865年)
・土佐藩郷士。土佐勤王党の盟主。
・安政3年(1856年)江戸へ出て鏡心明智流の桃井春蔵に学び、塾頭となる。



●山岡 鉄舟(やまおか てっしゅう)
・山岡 鐵舟、子爵、明治天皇の侍従
・天保7年6月10日(1836年) - 明治21年(1888年)7月19日)
・幕臣、政治家。剣、禅、書の達人としても知られる。
・鉄舟は号、他に一楽斎。通称は鉄太郎(鐵太郎)。
・浅利義明門下の剣客で、一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。




●拝 一刀(おがみ いっとう)
・劇画『子連れ狼』小池一夫原作、小島剛夕画
・水鴎流の剣の達人で元・公儀介錯人。
・愛刀は胴太貫(どうたぬき)



●机 竜之助(つくえ りゅうのすけ)
・歴史小説『大菩薩峠』(中里介山作)に登場する元甲源一刀流の剣士。



●眠 狂四郎(ねむり きょうのすけ)
・円月殺法が有名。
・『眠狂四郎無頼控』柴田錬三郎の時代小説。



●木枯し紋次郎(こがらしもんじろう)
・笹沢左保の時代小説。



●丹下 左膳(たんげ さぜん)
・林不忘の時代小説。



●座頭市(ざとういち)
・原作者は子母沢寛。
・盲目のやくざである座頭市が諸国を旅して悪人を斬るアクション時代劇。



●鞍馬天狗(くらまてんぐ)
・大佛次郎の時代小説。
・剣は一刀流の凄腕。時には短筒も使う。



●井口 清兵衛
・『たそがれ清兵衛』藤沢周平原作の時代小説。



●中村 主水(なかむら もんど)
・時代劇・必殺シリーズに登場。藤田まこと演じる。
・劇中の描写や設定によると、奥山新影流、御嶽新影流、一刀無心流、心形刀流、小野派一刀流と、それぞれの流派で免許皆伝となっている。



●桃太郎侍(ももたろうざむらい)
・山手樹一郎の時代小説。



●久蔵(きゅうぞう)
・映画『七人の侍』の登場人物。
・宮口精二が演じる。
・修業の旅を続ける凄腕の剣客。
・無口・傲慢・冷酷、兵法の鬼。宮本武蔵がモデル。



参考にしたHP
http://www.bakusin.com/eiketu/kenkyaku.html
ウィキペディア(Wikipedia)