数あるインド・インテリジェンスのなかで知っておかねばならない組織が、内務省傘下の情報局(Intelligence Bureau; IB)のほかに、もうひとつある。
内閣府直属の研究分析局(The Research and Analysis Wing; RAW/R&AW)である。略称は「ロー」と読む。
IB と RAW の違いを、わかりやすくいうならば、米国の FBI と CIA のそれに相当すると考えてよい。
IB が、組織の源流を英国植民地時代の19世紀に求めるのに対して、RAW は1968年に設立された、相対的には新しい組織である。その背景には、1962年の中印国境紛争で完敗を喫した危機感があった。
インディラ・ガンディ首相に対して、RAW 創設を実質的に促し、初代局長に就任したのが R. N. カオ(R. N. Kao)である。
その評伝『R.N. Kao: Gentleman Spymaster』(スパイマスターの紳士; Bloomsbury, 2019)が10月下旬に発売になった。今月には電子書籍版も出されている。
刊行に合わせて、著者のニティン・A・ゴーカレー(Nitin A. Gokhale)を、インタビューした記事がある(『Rediff.com』2019年10月23日付)。
いろいろと興味深い著述らしく、早めに熟読しなくてはならないと思いつつ、注意を引かれたことをひとつ。
今年2月、インド側カシミールで、パラミリタリーの中央警察予備隊(CRPF)兵士が40人以上死亡した、プルワマ事件が起こった。
その「報復」の意も込めて、インドがパキスタン側カシミールに仕掛けたサージカルストライク、いわゆるバラコット空爆(2月26日)直後のことだ。
ここでは NDTV(2019年2月27日付)を引くが、インドのテレビネットワーク各局が、先を争うように一連の画像を流した。
実効支配線(Line of Control; LOC)に沿った高原地帯の前後2キロに広がるという、過激派組織ジャイシェムハンマド(Jaish-e-Muhammad; JeM)拠点をとらえた写真だという。
情報源は governmental sources とあるのみ。空爆でこの拠点を破壊したという趣旨でリークされたものである。
妙に小奇麗にまとめられた写真とキャプションに違和感を覚えたし、いつどこでだれが撮ったかもわからないものを“成果の裏書”のように出されても、うさんくさいというのが正直なところなので、いままで言及しなかった。
それを、ゴーカレーのインタビュー記事を読んで、ふと思いだしたわけである。
ゴーカレーは、記事の末尾で、空爆の4日前、テロリストの拠点に潜入した2人の工作員(mole)から、拠点内部の詳細な情報を RAW は得ていたと言う。その工作員たちは粛清されたと見られているとも(この文脈からすれば粛清だろう)。
そうだとすると、governmental sources とは、常識的に考えて第一に RAW だ。そのもたされた情報から、おそらく IB が編集したのが、くだんのリーク資料か? 性急に結論づけるつもりはないけれども。
そのぐらいのことができるという RAW は、それでは11・26時点で何をしていたか。
事件の衝撃が覚めやらぬ2008年12月、『Times of India』『Indian Express』『Hindustan Times』といった代表的英語メディアが、スクープ合戦をくり広げた。
それらを、元マハラシュトラ州警察上級幹部の S. M. ムシュリフは、自著『Who Killed Karkare?: The Real Face of Terrorism in India』で要約したうえで、事実と認識している事項を列挙している。
事件発生は2008年11月26日。
その8日前の11月18日、RAW は米国から(具体的には CIA から)、過激派組織ラシュカレタイバ(Lashkar-e-Tayiba; LeT)の船舶がインド領海に侵入しようとしているというアラートを、船舶の詳細とともに受けとった。
翌19日、RAW は関係各機関に共有させるため、IB にその情報を知らせた。
IB はどうしたであろうか。
インド海軍情報部(Naval Intelligence)および沿岸警備隊(Coast Guard)に、情報をリレーした。
ところが、万一テロ攻撃などがあれば、当事者となる危険性がきわめて高い、ムンバイ警察やマハラシュトラ州政府には、なにゆえか伝達しなかったのである。ムシュリフが、とうてい理解しがたいと書く、幾多の疑問点の筆頭だ。
注 肩書は当時。
内閣府直属の研究分析局(The Research and Analysis Wing; RAW/R&AW)である。略称は「ロー」と読む。
IB と RAW の違いを、わかりやすくいうならば、米国の FBI と CIA のそれに相当すると考えてよい。
IB が、組織の源流を英国植民地時代の19世紀に求めるのに対して、RAW は1968年に設立された、相対的には新しい組織である。その背景には、1962年の中印国境紛争で完敗を喫した危機感があった。
インディラ・ガンディ首相に対して、RAW 創設を実質的に促し、初代局長に就任したのが R. N. カオ(R. N. Kao)である。
その評伝『R.N. Kao: Gentleman Spymaster』(スパイマスターの紳士; Bloomsbury, 2019)が10月下旬に発売になった。今月には電子書籍版も出されている。
刊行に合わせて、著者のニティン・A・ゴーカレー(Nitin A. Gokhale)を、インタビューした記事がある(『Rediff.com』2019年10月23日付)。
いろいろと興味深い著述らしく、早めに熟読しなくてはならないと思いつつ、注意を引かれたことをひとつ。
今年2月、インド側カシミールで、パラミリタリーの中央警察予備隊(CRPF)兵士が40人以上死亡した、プルワマ事件が起こった。
その「報復」の意も込めて、インドがパキスタン側カシミールに仕掛けたサージカルストライク、いわゆるバラコット空爆(2月26日)直後のことだ。
ここでは NDTV(2019年2月27日付)を引くが、インドのテレビネットワーク各局が、先を争うように一連の画像を流した。
実効支配線(Line of Control; LOC)に沿った高原地帯の前後2キロに広がるという、過激派組織ジャイシェムハンマド(Jaish-e-Muhammad; JeM)拠点をとらえた写真だという。
情報源は governmental sources とあるのみ。空爆でこの拠点を破壊したという趣旨でリークされたものである。
妙に小奇麗にまとめられた写真とキャプションに違和感を覚えたし、いつどこでだれが撮ったかもわからないものを“成果の裏書”のように出されても、うさんくさいというのが正直なところなので、いままで言及しなかった。
それを、ゴーカレーのインタビュー記事を読んで、ふと思いだしたわけである。
ゴーカレーは、記事の末尾で、空爆の4日前、テロリストの拠点に潜入した2人の工作員(mole)から、拠点内部の詳細な情報を RAW は得ていたと言う。その工作員たちは粛清されたと見られているとも(この文脈からすれば粛清だろう)。
そうだとすると、governmental sources とは、常識的に考えて第一に RAW だ。そのもたされた情報から、おそらく IB が編集したのが、くだんのリーク資料か? 性急に結論づけるつもりはないけれども。
そのぐらいのことができるという RAW は、それでは11・26時点で何をしていたか。
事件の衝撃が覚めやらぬ2008年12月、『Times of India』『Indian Express』『Hindustan Times』といった代表的英語メディアが、スクープ合戦をくり広げた。
それらを、元マハラシュトラ州警察上級幹部の S. M. ムシュリフは、自著『Who Killed Karkare?: The Real Face of Terrorism in India』で要約したうえで、事実と認識している事項を列挙している。
事件発生は2008年11月26日。
その8日前の11月18日、RAW は米国から(具体的には CIA から)、過激派組織ラシュカレタイバ(Lashkar-e-Tayiba; LeT)の船舶がインド領海に侵入しようとしているというアラートを、船舶の詳細とともに受けとった。
翌19日、RAW は関係各機関に共有させるため、IB にその情報を知らせた。
IB はどうしたであろうか。
インド海軍情報部(Naval Intelligence)および沿岸警備隊(Coast Guard)に、情報をリレーした。
ところが、万一テロ攻撃などがあれば、当事者となる危険性がきわめて高い、ムンバイ警察やマハラシュトラ州政府には、なにゆえか伝達しなかったのである。ムシュリフが、とうてい理解しがたいと書く、幾多の疑問点の筆頭だ。
注 肩書は当時。