インド映画の平和力

ジャーナリストさこう ますみの NEVER-ENDING JOURNEY

Ram Mohammad Singh Azad と名乗ったフリーダムファイターの生涯を描く『Sardar Udham』〈殉士ウッダム、2021〉

2022年09月11日 | ボリウッド
 9・11米国同時多発テロ事件の直後から多発した、ヘイトクライムによる殺人事件の最初の被害者は、報道された限りではシク教徒男性だった。ターバンによって、ムスリム、すなわち同時多発テロの主犯とされていたサウジアラビア人、オサマ・ビンラディンの “同類” と誤解されたためだった。

 シク教徒男性にとってのターバンは、教義上の義務であるし(ただし、さまざまな事情からまとわない者もいる)、その形状は独特なので、米国ではなくインド亜大陸だったら絶対に考えられない、きわめて幼稚な誤認である。
 ヘイトクライム自体の問題はもとより、その幼稚な誤認が、テロ事件とはなんの関係もないシク教徒たちの命を奪ったわけだ。

 ところで、英国エリザベス女王の死去により、コモンウェルス(英連邦)の一角でもあるインドでも、関連報道が多い。

 それらのなかに、ツイッターニュースサイト『Brut India』が、早々に削除して、当たり障りのない追悼動画に差し替えてしまったものがある(2022年9月9日付)。

 差し替えられる前のニュースには、インド独立50周年の1997年、エリザベス女王がJallianwala Bagh massacre(アムリトサルの虐殺、1919年)の跡地を訪れ、献花をしている映像があった。
 その前後に、シク教徒をはじめとする現地の市民が、虐殺の謝罪を女王に求めて暴動に発展した記録も入れられていた。また、当時の駐インド英国高等弁務官の「女王は謝罪しません」という発言もあった。
 どこからどういう横やりが入ったのか知らないが、べつだん礼を失する内容でもなかった。

 こういうことが起きると余計に、紹介しておかなければと思うボリウッド(ヒンディ語)映画がある。

 先に、ティースタ・セタルワルの曽祖父、C.H. セタルワル法廷弁護士が、非武装で平和的に集まっていた群衆に発砲命令した、レジナルド・ダイヤー司令官を追及したと書いた。

 そのダイヤー司令官に指揮命令したとされるのが、パンジャブ州準知事だったマイケル・オドワイヤー(Michael O'Dwyer)である。
 彼は虐殺からおよそ20年後の1940年、ロンドンで暗殺された。手を下したのは、20年前の虐殺現場にいたウッダム・シン(Udham Singh; 1899-1940)だった。

 ウッダムの生涯を描く劇映画としては、パンジャビ語映画『Shaheed Udham Singh』〈独立運動に殉じたウッダム・シン、1999〉がある。私は20年ぐらい前、インド版 DVD を買って見ている。力のこもった作品だった。しかし、昨今の動画サイトでは英語字幕つきのものが見当たらず、広く日本の観客に見てもらうための素材としては厳しい。
 それでずっと保留にしていたところ、昨年、ボリウッド映画『Sardar Udham』〈殉士ウッダム、2021〉が公開された。ボリウッド映画としてウッダムを正面からとり上げた作品は、おそらく初めてだと思う。

 ウッダムはシク教徒の出自だが、フリーダムファイター(英国からの独立運動の闘士)として活動する際、「Ram Mohammad Singh Azad」という名を好んで用いた。
 Ram はヒンドゥ教徒名、Mohammad はムスリム名、Singh はシク教徒の姓、Azad は自由の意。インドを代表する信仰3者の団結と、それによる植民地支配からの独立を象徴するものだったからだ。

 実際、当時のパンジャブ州政府(英国)は、異教徒の団結を非常に警戒していたようだ。たとえば『新しいインド近代史Ⅰ 下からの歴史の試み』(スミット・サルカール、長崎暢子・臼田雅之・中里成章・粟屋利江訳 研文出版 1993年)にはこうある。
「オドワイヤーその他のイギリス人官僚をいちばん恐れさせたのは、一九年前半に見られたヒンドゥーとムスリムとスィク教徒の統一だったように思われる」(P.258)

 パンジャブの貧しい家に生まれ、早くに両親を亡くして孤児院に預けられて育った少年が、なぜオドワイヤー暗殺を実行するにいたったか。
『Sardar Udham』のウッダムは饒舌ではない。だが、たとえばロンドンの街角にたたずむ彼が、無垢なアイルランド人少年が官憲によって無慈悲に撃ち殺されるのを目撃するとき、間違いなく同胞の姿を重ねている。彼の表情から伝わってくる。
 静謐なシネマトグラフィのなか、パンジャブからカシミール、ソ連(当時)、英国と展開されるウッダムの足跡を追ううち、しだいにその心中に入りこんでいき、ウッダムの変容が理解されてくる。

 なお、「殉士」とは、私の造語である。というのも、sardar とは一般に、シク教徒男性に対して使われる敬称だが、ここではフリーダムファイターであったことへの敬意も含まれる、というより、こちらのほうが重要だと思うからである。また、単純に「殉国の士」とすると、ウッダムの生きた時代としては植民地下なのでそぐわないと感じるからである。

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