インド映画の平和力

ジャーナリストさこう ますみの NEVER-ENDING JOURNEY

日印関係のダークサイド② インド映画界は近い将来、ヒンドゥ神話専門映画界になってしまうのか

2022年10月13日 | 日本とインド
「日印関係のダークサイド」シリーズの続きとして、どう展開しようかと考えていた矢先、絶妙なタイミングで『Ram Setu』の予告編が公開された。10月25日に本国公開されるヒンディ語映画である。

 Ram Setu とは、インド南端とスリランカ間のポーク海峡にある、ライムストーン(石灰岩)でできた浅瀬の連なりだ。一般には Adam’s Bridge(アダムスブリッジ、アダムの橋)だが、インドでは『ラーマーヤナ』との関連で Rama’s Bridge(ラーマの橋)と呼ばれる。

『ラーマーヤナ』のサビというかクライマックスは、インド映画にも、さまざまな形で言及されることが多いので知っておくとよい。

 主人公は、ヒンドゥ教主要神の1柱・ヴィシュヌ神の化身とされるラーマである。アヨディヤにある王国の第1王子だ。彼は王家の後継をめぐる陰謀で、王国を追放され長い隠遁生活に入る。この間、ランカ島に棲む魔王ラーヴァナによって、愛妃シーターをさらわれてしまう。ラーマ王子は、猿の姿をもつ半神ハヌマンを伴い、シーターを奪還すべくランカ島へ潜入。魔王軍団との大戦争の果てに勝利する。

 このランカ島とはセイロン島、つまり現在のスリランカである。
 そして Ram Setu は、ランカ島にわたる際、ラーマ王子が架けた橋とされている。

『Ram Setu』では、アクシャイ・クマール(『パッドマン 5億人の女性を救った男』)扮する考古学者が主人公だ。
 これまでの作品情報に加えて予告編やポスターを見ると、Ram Setu が神話ではなく実在したと証明する(!?)のが、どうも主題らしい。

 考古学者のキャラクターは、複数の実在人物をモデルにしているというが、筆頭は間違いなく、前回の『WIRE』記事が告発する B. B. Lal だ。
 同じくリンクした東京外国語大学のページにある B.B.ラール博士のことである。その部分をコピーすると、

〔1983年彼【引用者注:酒向雄豪】は、「ラーマーヤナ」を歴史的事実としてアラハバード近郊での発掘調査をする考古学者B.B.ラール博士を取材しテレビ番組を製作した。〕※ゴシックも引用者。

“ラーマ王子=ラーマ神の生誕地にあったヒンドゥ寺院を、ムガル帝国初代皇帝バーブルが破壊したうえでマスジッドを建てた” と詭弁し、マスジッドを違法かつ暴力的に破壊して、跡地にヒンドゥ寺院を建設する試みに成功した(2019年のインド最高裁判決)。
 そのヒンドゥ右翼が、今度は Ram Setu に手をつけたということか。

 こうやって、ヒンドゥ神話をひとつひとつ、自分たちの好みに合う事実として、大衆に刷り込んでいくつもりなのだろう。そのために娯楽映画を使うのは、たしかに効果的だ。このままいくと、近い将来、インド映画界は「ヒンドゥ教徒しか出てこない、ヒンドゥ神話専門映画界」になり果てるのではないか。

 しかも監督がアビシェク・シャルマとは。
『Tere Bin Laden』〈オサマがいないと、2010〉で見せた、あの諷刺センスはどこへいってしまったのだろう。

 アクシャイ・クマールにしても、一時は彼なりの事情があることも理解できたのだが、さすがに弁護の余地がなくなってきた。
 2019年総選挙前の “モディ首相インタビュー” で、心ある人びとの物笑いの種になって以来(たとえば NETFLIX『ハサン・ミンハジ:愛国者として物申す』)、出演作はサフラン色(とくにヒンドゥ右翼のシンボルカラー)の度合いを増し、いまやすっかりヒンドゥ右翼のポスターボーイである。

『Rediff.com』サイヤド・フィルダウス・アシュラフ記者による、最近のロングインタビューで、ティースタ・セタルワルがこう言っていた(2022年9月23日付)。
'People of this country are not hardcore communal at all'
(インド人にはもともと、宗教の違いで他者を排斥したり拒絶したりするところはまったくない)

 私もそう思う。
 けれども、インドに限らずどこの国にも言えることだが、目先の利益に右往左往するオポチュニストが急増している気はする。
 そこで大きくモノを言っているのが、ヒンドゥ右派勢力が有する財力、資金力だろう。

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