熊野那智大社に隣接しているのが青岸渡寺(せいがんとじ)です。こちら合わせて「神仏習合の修験道場」だそうです。このお寺の正面に行くと、右に見えている小さな建物にいたおばさんが、「長らく登ってきて御苦労様でした。せっかくここまで来たのですから、あと7段!あと7段上がって見て行って下さい~」と連呼しておりました(^益^; 画像をクリック!
その勧めに従い、7段登って中を見ました。お札やらなんやら、たーくさん売っていました。。。
ぐるりと建物を回ると、裏側には那智の大滝が見えております。
おおお、まるで写真を撮るために建てられたような新築の塔が…。ぢつわこの中にはエレベーターがあり、入場料を払って登れるのですぅ~(゜゜)
ここまで来りゃ、まあ「せっかくだから…」と登るしかねーわな。また係長に「ケチ!」と言われちゃうw
角にはちゃあんと写真を撮るために、網が丸く開いているんですー。これ見りゃ、撮るしかねーわなw
この中国式(?)の建物はいったいなんだろう?と思いつつ、やっぱり滝を入れて写真を撮ってみる(^益^;
そして少し山を登ったところに展望台があり、車なのでささーっと行ってみる。そこからは那智山中を見渡すことが出来、さらに勝浦の街並み、太平洋まで一望できるのでした。残念ながら、雲と霧がかかっており、遠くまで見渡すことはできませんでしたが、神秘的な山並みは堪能することができましたー。
熊楠の研究業績
熊楠のロンドン滞在時、彼が投稿した論文が一流の学術誌『ネイチャー』に掲載された。高名な学者の論文が並ぶ雑誌に、学位も持たない弱冠26歳の日本人の名前が載ること自体が快挙である。彼の発表した英文の論稿は生涯で400あまりになり、『ネイチャー』に掲載されたものだけでもなんと50本の歴代最高であるらしい。
その処女作は「東洋の星座」であった。これはまずとある質問に答える形で書かれた。西洋では星座はギリシャ神話をベースにグループ分けされているが、エジプトやペルシャではどうだろう。そこに近親性があるとすれば、民族や国々の関係も考察できはしないか、という疑問であった。
そこで熊楠は、日本も影響を受けている中国の星座を考察して、さらにインドの星座も検証する。そこには偶然の一致もあれば、全く異なる特徴もある。たとえば古代中国には、海に関する星座がない。このような論を披露する熊楠の意図がどこにあったか。
まず、文化の中心であり、科学の最先端を突き進んでいるという西洋中心主義的な考え方を根底から揺さぶってやろうという野心である。中国やインド、ひいては東洋にも深く長い文化の歴史があるのであり、それは決して西洋に劣るものではないということ。そしてやや楽天的な進歩主義、当時大きな勢力となっていたダーウィンの進化論的、科学中心的思想を相対化してやろうという思いである。
熊楠がしばしば迷信や非科学的な題材に関心があったのも、西洋や東洋のみならず、世界中を網羅した比較考察を行なうことにより、人間の思考のありかたそのものにせまり、ひいては生物というもの、またこの世の森羅万象を広く解明してやろうという恐ろしく広大な志があったからなのである。