さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

青岸渡寺 6

2010年03月08日 | 関西シリーズ

熊野那智大社に隣接しているのが青岸渡寺(せいがんとじ)です。こちら合わせて「神仏習合の修験道場」だそうです。このお寺の正面に行くと、右に見えている小さな建物にいたおばさんが、「長らく登ってきて御苦労様でした。せっかくここまで来たのですから、あと7段!あと7段上がって見て行って下さい~」と連呼しておりました(^益^; 画像をクリック!

その勧めに従い、7段登って中を見ました。お札やらなんやら、たーくさん売っていました。。。

ぐるりと建物を回ると、裏側には那智の大滝が見えております。

おおお、まるで写真を撮るために建てられたような新築の塔が…。ぢつわこの中にはエレベーターがあり、入場料を払って登れるのですぅ~(゜゜)

ここまで来りゃ、まあ「せっかくだから…」と登るしかねーわな。また係長に「ケチ!」と言われちゃうw

角にはちゃあんと写真を撮るために、網が丸く開いているんですー。これ見りゃ、撮るしかねーわなw

この中国式(?)の建物はいったいなんだろう?と思いつつ、やっぱり滝を入れて写真を撮ってみる(^益^;

そして少し山を登ったところに展望台があり、車なのでささーっと行ってみる。そこからは那智山中を見渡すことが出来、さらに勝浦の街並み、太平洋まで一望できるのでした。残念ながら、雲と霧がかかっており、遠くまで見渡すことはできませんでしたが、神秘的な山並みは堪能することができましたー。

 

熊楠の研究業績

熊楠のロンドン滞在時、彼が投稿した論文が一流の学術誌『ネイチャー』に掲載された。高名な学者の論文が並ぶ雑誌に、学位も持たない弱冠26歳の日本人の名前が載ること自体が快挙である。彼の発表した英文の論稿は生涯で400あまりになり、『ネイチャー』に掲載されたものだけでもなんと50本の歴代最高であるらしい。

その処女作は「東洋の星座」であった。これはまずとある質問に答える形で書かれた。西洋では星座はギリシャ神話をベースにグループ分けされているが、エジプトやペルシャではどうだろう。そこに近親性があるとすれば、民族や国々の関係も考察できはしないか、という疑問であった。

そこで熊楠は、日本も影響を受けている中国の星座を考察して、さらにインドの星座も検証する。そこには偶然の一致もあれば、全く異なる特徴もある。たとえば古代中国には、海に関する星座がない。このような論を披露する熊楠の意図がどこにあったか。

まず、文化の中心であり、科学の最先端を突き進んでいるという西洋中心主義的な考え方を根底から揺さぶってやろうという野心である。中国やインド、ひいては東洋にも深く長い文化の歴史があるのであり、それは決して西洋に劣るものではないということ。そしてやや楽天的な進歩主義、当時大きな勢力となっていたダーウィンの進化論的、科学中心的思想を相対化してやろうという思いである。

熊楠がしばしば迷信や非科学的な題材に関心があったのも、西洋や東洋のみならず、世界中を網羅した比較考察を行なうことにより、人間の思考のありかたそのものにせまり、ひいては生物というもの、またこの世の森羅万象を広く解明してやろうという恐ろしく広大な志があったからなのである。


熊野那智大社へ 5

2010年03月05日 | 関西シリーズ



お次は熊野那智大社へお参りである。これが車を止めたところから、長い長い
長~~~い階段!
(゜゜)コレデモカジョウタイ

へたれる・・・_| ̄|〇

しかしね、江戸から来たことを考えると、東海道五十三次を歩きとおして(箱根の山を越えてだぞ)、お伊勢参りをしてだ、そこからの山道は険しすぎるので船に乗って那智勝浦まで来て、それから秘境の奥地へと入って行き、滝を見て幽霊に挨拶してからまだまだまだ登り続けて、ようやくここに来られるのだ。

地の果てだったのであーる。

それがだよ、白浜まで飛行機で60分!そこから係長の高級車(^益^)で下の駐車場
まで来てしまふ。息を切らしながら、目的地に横づけできね~のか~(゜゜)などと
ブーたれてしまう自分が恥ずかしひ。

むかし「大菩薩峠」を読んで、「生きて行かれるかわからないような秘境:白骨温泉」に憧れて行ってみると、アスファルトの道路が通じた観光地だったのにガックリした思ひ出がありまつ。

う~ん、安楽と手軽さと便利。。。 そして不便に憧れたりするこの贅沢ねェ・・・
(^益^;

そしてやっとのことたどりつきました~。お腹にいっぱい重い荷物をはりつけて
いる係長はグロッキー
(^益^)

ヨーロッパでは時折大量のヨダレをたれ流し続けているライオンを見かけますが、
ここでは竜ですな^^

信仰を持たない私は中を覗くどころか、正面に立つのもはばかれる気がしてしまいます。

教会で修道女を見かけると逃げたくなりますが、お寺の尼さんだと避けるくらいの感じです。
それが神社の巫女さんだと(^益^)コンニチワーという気分です。どおしてでしょうねェ…
*゜益゜*


那智の滝 4

2010年03月03日 | 関西シリーズ

港町・那智勝浦から内陸部に入ると、「日本三名瀑」のひとつ、那智の大滝だ。長らく秘境とされる所であったが、今は車ですぐの観光地になっている。

大変な迫力です。数多くの仏教僧が修行(?)で飛び込んだとか?このあたりには死者の霊や様々な精霊が「出る」という話ですが、観光地化されちまっては出るものも出てこられないねェ。

係長が飛び込むなら、動画で撮ってYouTubeに投稿するのになぁ。すんごいヒット数になるぞォ(^益^)w
 

死者の国:那智と熊楠

紀州・熊野は長い間、神秘的な秘境とされてきた。東京から白浜への航路は紀伊半島を横断する。その姿を空から眺めていると、形はまるで台所にあるスポンジの裏側(?)のようにデコボコが並んでおり、色は濃い緑一色で、まるで苔がびっしりすきまなく生えているようだった。

紀伊半島の南のはずれは都や幹線からのアクセスが悪く、昭和34年に国鉄紀伊線が開通するまでは細い山道を行くバス、その車道が開通する前は険しい山道を歩くか、船でゆくしかないような辺境地だったのである。だからこそか、この山中は「死者の国」というイメージが長く続いていたのだ。

南方熊楠は、21歳でサンフランシスコへ行き、25歳でフロリダから南米へ渡り、翌年ロンドンへ渡った。和歌山へ帰省するのは34歳のときであり、その間には世界中の宗教、植物学、考古学、博物学、神話、民俗学、人類学、粘菌学などあらゆるテーマを研究し、東西文化の古典から、現代科学まで視野に入れた領域をとてつもなく広く学んでいた。

熊楠はロンドンで学んでいるとき、いずれは中東へ渡りイスラム文化を学び、それからインドへ行ってヒンズー教、チベットへ行き仏教を学ぶという壮大な志があった。それが実家からの送金が途絶え、やむなく帰国してこの南紀・那智へ戻ってくることになってしまったのだ。

当時世界中の知識が集まってきていた大英帝国の中心地から、極東の島国のさらに辺境地へ帰省するのはどれだけ辛いことであったろうか。しかし彼の途方もない精神的広がりは、住む場所によって閉じ込められるようなものではなかったのである。