さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

中津城と強右衛門伝説

2023年01月15日 | 九州シリーズ


中津城にやってきました。


おお、なんか新築っぽいなと思ったら、昭和39年の再建だそうです。それでも
60年近くになるのですね。


なかなか立派な風格です。


天守閣に登ってみました。


正面に見えるのは「木の子岳」だそうです。


このお城は河口にあり、潮の満ち引きで堀に海水が流れ込むとか。


お決まりの甲冑。




ナーニ、これ? この人は鳥居強右衛門勝商(とりいすねえもんかつあき)という
こちらのレジェンド。天正3年(1575年)、奥平貞昌率いるわずか500の兵が籠る
このお城に、武田軍15000が包囲していた。城は兵糧蔵を焼失し、食べ物がなーい。

そこで家康のいる岡崎城へ決死の使者を送って援軍を要請することに。その役目を
引き受けたのが、当時無名の下級武士、こちら強右衛門。漢字は強そうだが、読みは
「スネえもん」。スネ夫とドラえもんがくっついたみたいな名前ですw そいつが
夜の闇に紛れて下水口から抜け出し、川を潜って武田軍の包囲網を突破、なんと
岡崎までたどり着いたと!

織田・徳川、38000の大連合が出陣することになったが、強右衛門は一刻も早く
それを伝えたくて止めるのも振り切って急いでお城に戻ろうとする。しかしこれが
捕まってしまうのだった。

武田勝頼はまもなく織田・徳川軍がやってくるのを知り、強右衛門を武田家の家臣
として厚遇するから、「援軍は来ないから、すぐに降参しろ」と城に叫べと命ずる。

強右衛門は受け入れたフリをして城の近くまで連れていかれ、そこで仲間たちに
向かって「もうすぐ援軍がくるから、あきらめずにガンバレ!」と叫んだのでした。

その場で強右衛門は磔にされて処刑。それがこの絵なのです。城内で瀕死の状態
だった奥平軍は掘のタニシを食べて飢えをしのぎ、危機を乗り切ったのでした。


強右衛門は潜水も得意だったようで^^


歴史館で説明を見た、種類の違う石垣がありました。組み方が違うでしょ。



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