下:勉三さんは乞食の恰好をして写真を撮りました。こんなふうに貧しくなっても
開拓民として頑張るぞ!という気持ちをこめたと言われています。
上:勉三の左は鈴木銃太郎。上田藩士鈴木親長の長男で、東京の英学塾で学んだ
クリスチャン。依田一族の北海道開拓団に参加し、勉三と共に晩成社を立ち上げる。
アイヌ民族のサンケモッテの娘のコカトアンと結婚したそうです。やるね♪
晩成社の住居。
晩成社の水田。みなさんどれだけ働いたことか。。。
依田商店。きれいな建物ですよねえ。
晩成社の業務内容が書かれています。日の出から日没まで働いて休日は月に3日。
俺には全然無理だなーwww
亜麻工場もありました。これも日の出から日没まで働いていたのかーw
銃太郎さんは、晩成社の運営が従業員に対して厳し過ぎると意見し、結局折り合いが
つかずに退職することになります。晩成社も計画していた利益が上がらずに経営が
難しかったのです。しかし銃太郎さんは情に篤く正義感が強かったのかな。
晩成社の問題点について書き連ねた銃太郎の手紙。字の間違いもなくこれだけ細かく
きれいに書けること自体が驚きですよねー。
銃太郎の農場。
依田勉三さんは晩成社のリーダー、すなわち開拓事業のパイオニアですからあちこちに
銅像が建てられ、偶像化されています。しかし銃太郎が意見の相違から退職したように、
近年になってその評価は分かれているそうです。
ランドーの冒険記21 根室新聞社員との会合
根室新聞社員がやってきて、突然に「私の命を奪いにきた」という告知の衝撃から
ランドーはなんとか立ち直り、何を言いたかったかをわかってから(take your lifeという
のはおそらく「どんな生活を送ってきたのか教えてほしい」という意味だったのだろう)、
私は彼とは英語で、他の人とは日本語で、とても楽しい会話をしたのだった。湯浅氏の
英語は、最初の照れを乗り越えるとずっとよくなって、とてもすばらしい言葉の知識を
示した。このインタビューは何時間も続いた。ひっきりなしに”nara honto=あら、
ほんと?”(really?)と”sajo deska=さようですか”(indeed)に邪魔されたが。
翌日、この人たちはふたたびやってきて、根室で一番豊かな商人である二人の中村氏を
連れてきて「ヨーロッパの料理」を振る舞いたいと言ってきた。以前の嫌な思い出が
よぎったが(十勝で生の鶏肉を出されたこと)、断ることも出来ずに招待を受けた。
日本人は最初にsweetsを食べるという習慣なのでビスケットとジャムから始まり、
すぐにスープが出て、野菜、ローストチキン、サラダと揚げた魚が続いた。順番さえ
変でなければ実際のヨーロッパ風だった。ただ彼らはナイフとフォークをうまく使えず、
チキンをあちこちに散らばせてしまったのだった。彼らは大変親切で、とても賢く
朗らかで、この交友をすごく楽しめた。さらに近隣の地方、そしてクリル諸島(千島列島)
についての有益な情報も得られたのだった。
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