さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

モンゴル大帝国に思いを馳せて大平原をバスは走る

2012年09月03日 |  新疆ウイグル



大平原をひた走るバスは突然止まり、ランチ・タイムとなる。
そうか、パック・ツアーだから、流れるがままにお食事タイムとなるのね。
どこに行くか、何を食べるか、どこにどれくらい留まるか、人に決められることに
慣れない私にはちょっと新鮮なような…。



出てきたのはぶっかけうどん。麺はコシが強くとてもおいしい。
私には食いきれなかったが、モンゴルの青年は「足りない」と言って盛りの少ない
日本スタンダードを懐かしそうに語る。



そしてまたバスは走り出した。遠くに少し山が見えてきたので、目的地も近づいて
きたのかな、と思う。

あと200km(!)となると、バスは時速100kmぐらいでほとんど直線を走って
いるから、2時間ちょっとで到着するのかな、と考える。

ところで13世紀に空前の大モンゴル帝国を築き上げたのがクビライ・カーン。
それは西は東ヨーロッパまで、南は中国南部を越えてミャンマーやベトナムまで。
日本の長崎までやってきたのは「元寇」として知られています。

ユーラシア大陸をほとんど制覇する勢いだった大帝国、これだけの広さを管理・
維持するのは並み大抵のことではなかったはずだ。各地で反乱や独立運動が
起こるはずだし、そうなると軍隊を派遣して鎮圧しなければならない。どうやって
日々情勢を把握していたのかな。

マルコ・ポーロの「東方見聞録」を読んでいたら、その答えが載っていました。

カーンはもちろん要所要所に軍隊を派遣していたが、その連絡のための馬の
管理所を整備していた。その配置は馬が全速で走れる距離ごと。何か連絡が
あると、伝令が全速で馬を走らせる。息が上がる頃に次の管理所に到着し、
連絡を受け取った次の馬がまた全速で突っ走り、連絡は最大の早さでカーンに
伝えられるわけだ。はるか数百キロ先まで、2~3日で伝わったとか。

にゃるほど。情報さえ最速で管理出来ていれば、そりゃあ強い。この伝令の
仕事は1年から3年の強制兵役だったそうで、すごく大変だったそうです。
日々の馬の管理。道路の管理。失態があってはならない緊張。全速力。
ゴクローさまでし!(=゜益゜):;*.’:;


このときはロンドン・オリンピックも終盤。陸上で一番盛り上がるのが国別対抗
リレーだ。4×100mリレーでは、ジャマイカが36秒台で金メダル。人間が
リレーで走ったら、どれくらい早いの?

世界記録は無理なので、控えめに400mを40秒でリレーを続けるとしよう。
すると時速36km。東京から大阪までは新幹線で550kmちょっとだから、
15時間半ってとこか。

カナーリ早くね?朝に出たら夜に着いている!馬だと日が暮れないうちにか。


携帯電話でリアル・タイムの意思疎通。こんなのは「ドラえもん」くらい夢だった
のでしょうね(^益^)w