八ヶ岳山麓の小高い丘陵地に作られた天空のワイナリー、ドメーヌ ミエ・イケノ。
フランスに渡ってワインの造り方を学んだという素敵な女性が、ワイナリーを経営して
こだわりのワインを造っているという話だけは知っておりましたが、なんと見かけた
ので奮発衝動買い。なんせ注文するにしても予約だったりするレア物ですからw
グラスに注いだ途端に立ち上る華やかな芳香。お花畑の幻想が広がり期待は膨らむ。
口に含むと、お花畑と自分自身が夢のように一体化しますよ。たまには思い切って
こういう至高の作品を飲んで人生を豊かにしないとね(^益^)b
「竹鶴」が思いのほか旨かったので、続けて「山崎」のほうも飲んでみました。日本の
ウィスキー造りを切り開いたこの二人のボトルが並ぶのは感慨深いものがあります。
竹鶴政孝の伝記を読むと、留学して学んできて、自分の理想のウィスキーを造る
苦労話が出てきます。自分が日本で最初のウィスキーを造ったのだと。
一方で鳥居信治郎の伝記を読むと、こちらも自分が日本で最初のウィスキーを造った
という話になっています。竹鶴は自分が雇った、ただの工場長で、ほとんど言及も
されません。
ニッカとサントリーというライバル会社になったわけだし、それぞれ強い個性を
持った大将でしたからねェ…。
* * *
ニッカの初代社長、竹鶴政孝は社員の家に赴くと、雪のなかを歩いてきた長靴のままで(脱ぐのが面倒だから?)畳の部屋まで上がりこんで「オヤジいるか!」と怒鳴ったそうです。こんな社長はたまりませんが、サントリーの初代社長である鳥居信治郎も、古き良き時代の豪傑でした。
大阪のスラム街で貧乏人たちを見かけると、炊き出しだ、餅を配れ、着物も配ってやれと会社の金を使って社員のみならず、社員の奥さんたちも総動員をかける。
社員が失神するほど怒鳴りつけたというのも有名ですが、厳しいのは男の社員だけ。女性社員には滅法あまく、女性の給料を上げても男性の給料は上げなくて、金額が逆転することもあったとか。しかし会社の景気がいいときには、ボーナスが10カ月分も出て、社員は1けた間違っているんじゃないかと思ったこともあるそうです。
「男の甲斐性」もケタ違いで、愛人は常に10人以上もいたとか!毎日通っていたそうで、単純計算でも10人だったら1人につきそれぞれ月に3日程度。…するのでしょうか?いやそっちもだけど、気遣いが大変でしょうー。普通なら、ひとりの愛人でも苦労するのに。
女性は社会的にも経済的にも弱い立場にあるから、助けてやらにゃいかん、と言っていたそうで、相手が離れていかない限り、一生面倒を見たそうです。時代を感じますねェ。
リタに惚れた政孝君、フランスのボルドーにワインの造り方を学びに行った帰りに、柄にもなく香水を土産に買って帰ります。喜んだリタは、文学少女だったので、スコットランドを代表する詩人、ロバート・バーンズの詩集をお返しにプレゼントします。そのなかには政孝の留学目的であったウィスキーを謳いあげた詩、”Scotch Drink”が入っていたからです。少しばかりご紹介しましょう。
O thou, my muse! guid auld Scotch drink!
Whether thro’ wimplin worms thou jink,
Or, richly brown, ream owre the brink,
In glorious faem,
Inspire me, till I lisp an’ wink,
To sing thy name!
おお、そなた、私の詩神よ!古き良きスコットランドの酒よ!
うねる地虫のなかを通って逃げ回ろうとも、
濃い褐色になって、縁からこぼれようとも、
輝かしく泡立って、
私の舌がもつれて、目がうつらうつらになるまで、
霊感を与えておくれ、そなたの名前を謳いあげるために。
(^益^)b 「地虫がうねる」というのは、ウィスキー工場の設備で、無数の管を通ってウィスキーができてゆく様子なのです。
Thou art the life o' public haunts;
But thee, what were our fairs and rants?
Ev'n godly meetings o' the saunts,
By thee inspired,
When gaping they besiege the tents,
Are doubly fir'd.
そなたはパブ(居酒屋)の命だよ。
そなたがおらねば、祭りやばか騒ぎはどうなっちまう?
聖者たちの神々しい集まりでさえも、
そなたによって霊感を受けるのだ。
そのとき彼らは口を開けて天幕を囲み、
倍も火を焚きつけられるのだ。
*( ゜Д゜)y-.。o○ 聖者たちも酔っ払ってバカ騒ぎをするの?
When neibors anger at a plea,
An' just as wud as wud can be,
How easy can the barley brie
Cement the quarrel!
It's aye the cheapest lawyer's fee,
To taste the barrel.
近所同志で訴訟を起こして怒りだし、
どうしようもないほどに狂っちゃったとき、
どれだけたやすくこの大麦で作った汁が
けんかをおさめることだろう!
いつでも一番安い弁護士費用なんですよ、
酒樽を味わうことはね。
w(˚曲˚)w いやいやいや、酒は仲直りの薬になることもありましょうが、けんかの種、火に油にもなったりするじゃないですかー。
O Whisky! soul o' plays and pranks!
Accept a bardie's gratfu' thanks!
When wanting thee, what tuneless cranks
Are my poor verses!
Thou comes-they rattle in their ranks,
At ither's a-s!
おお、ウィスキーよ!遊びと悪ふざけの魂よ!
ひとりの詩人の、心からの感謝を受けてくれ!
そなたがおらねば、なんて変な音の言い回しになっちまうか、
私のヘタクソな詩は!
そなたが来れば、私の詩はすらすらと列をなして謳いあげるぞ、
それぞれの尻をとってさ!
(^益^)ノシ 詩人は酔っ払うと、スラスラと詩が口をついて出てくるそうです。
「それぞれの尻をとる」というのはおわかりでしょうか。この詩は、1スタンザが6行になって並んでいます。1,2,3,5行目の終わりと、4行目と6行目の終わりの単語が同じ音、すなわち「韻を踏んでいる」のです。
「悪ふざけ’pranks’」、「感謝’ thanks’」、「言い回し’cranks’」、「列’ ranks’」と、「詩’ verses’」、と「尻’ a-s’」。’ verses’と’ a-s’、ぎゃはは!酔っ払ったら、詩が二列縦隊になってスラスラと出てきたか?
政孝君は、リタから送られた詩集ですから、特にウィスキーの詩は一生懸命読んだはずです。彼は素晴らしい語学力を持っていました。大学の講義に出て、難しい専門書を読むことが出来たのです。でも残念ながら、詩はよくわからなかったそうです。こりゃあ少しばかり訓練と経験が必要ですからね~。
竹鶴政孝の奥さん、ジェシー・リタさん。私は連ドラのヒロインよりも好み♪
連ドラのマッサンは華奢なイケメンが演じておりますが、実際の竹鶴政孝は子供の頃は腕白で、中学時代は寮長をやっていて、夜に竹刀を持って見回りをしている姿に下級生などはビビッていたとか。柔道も強く、スコットランドに留学中にはリタの弟に教えてやったそうです。
その豪傑も、異国の地で苦労を重ね、ホームシックで連日枕を濡らしていたとか。そんなときに人は恋をするものです。リタの家に招かれたとき、ピアノが得意なリタは、政孝に合奏を申し出ます。政孝はなんと鼓。選曲はリタが、ロバート・バーンズの詩がスコットランド民謡になっている”Auld Lang Syne”をあげて、それなら知ってるでしょう?と提案。「蛍の光」の原曲です。それをピアノとタイコでポロン、ポロン♪&ポンポンポン!ときたもんだ。
政孝は「蛍の光」が別れの曲だと思っていたので、「悲しい曲じゃないのですか」と聞きますが、「そんなことないんですよ」と原詩の意味を教えられます。
古い友人は忘れられてしまい、
思い出されることはない、なんてことがあろうか?
古い友人は忘れ去られてしまい、
古き良き昔のことも忘れ去られてしまう、なんてことがあろうか?
古き良き昔のために、親愛なる友よ、
古き良き昔のために、
心のこもった一杯をやろうじゃないか、
古き良き昔のために。
このあと5番までありますが、幼なじみが一緒に酒を酌み交わし、朝から夜まで野山をかけまわった子供の頃の思い出を懐かしみます。というわけで、決して「別れの曲」ではなくて、変わらぬ友情を確かめあうような内容なのです。
日本ではこの曲、卒業式と大みそかに紅白の終わりで歌いますよね。英国では年末のカウントダウンのあと、年が明けたら新年をお祝いして歌うのです。あれっ?と思いますよね^^
ニッカのウィスキーで、ピートを使わない「クリア」という製品があると聞いて
試しに飲んでみました。ウィスキーを造るときには、ピート(泥炭)を燃やして
麦芽を乾かすので、そのときにウィスキー特有の焦げ臭さがつくわけです。
それがないウィスキー。やはり右のスコッチのほうが旨いな^^;
竹鶴はスコットランドで学んで来た本格的なウィスキーを造ったとき、ウィスキー
に慣れていない日本人が「焦げ臭い」と嫌がって、会社はそのピート臭を抑える
ように要求しますが、それがなくちゃあウィスキーじゃないだろう、と竹鶴は
苦しみます。
飲みやすい=売れるだろう製品を造りたい会社の主張もわかりますよねー。しかし
こんな「クリア」なんて製品を出したら、政孝さんは草葉の陰で泣いてないか?
* * *
竹鶴政孝は、大阪高等工業を卒業して酒造会社に就職し、それからウィスキーの作り方を学ぶためにアメリカを経由して英国に渡り、スコットランドの名門エジンバラ大学に行ってみるが、そこは文系の大学なので理科系のあるグラスゴー大学に引き返した。しかしそこの授業はすでに日本で学んでいた内容だとわかり、実際の作り方を学ぶために実習先を探すのでした。
グラスゴー大学の先生にウィスキーの本を紹介された。竹鶴は大胆にもその著者に会いに行き、教えを乞うが、かなりの額の報酬を要求されて断念。その後はスコットランド北部に散在するウィスキー工場を飛び込みで訪ねては実習の申し込みをするのでした。田舎町に行ってはホテルで宿泊を拒否されたり、工場には紹介者があるわけでもなく、どれだけ苦労をしたことでしょう。なにせ日本に帰ったら、ひとりで工場を設置してウィスキーを造る責任者になるという使命があるんですよ。
さて驚くのは竹鶴の語学力です。彼は日本で工業を専門とした学校で醸造学を学んでいるだけですので、特に英語を専門に勉強したわけではありません。現在のように「生きた英語」やら「コミュニケーション重視」などという教育を受けたわけはなく、おそらくは旧来の文法、訳読重視の語学教育を受けたはずです。
しかし彼はひとりでアメリカ大陸を横断してワイン造りを学び、グラスゴー大学では化学の講義を受講し、「もう学んだことばかりだ」と気がつきます。アメリカでは訛りに苦しんだようですが、それは当たり前で、英国に到着すると「わかるので嬉しい」と言っています。帰りに奥さんのリタと一緒にアメリカを渡るとき、リタはアメリカ訛りがわからずに、竹鶴が通訳をしてやったのです。
彼は日本を出てから何か月も経たずに、普段の生活には困らずに、大学の授業を受けるくらいの会話力を身につけているのです。彼が卒業した大阪高等工業はその後編成されて現在の大阪大学の前身だったのですから、エリート校です。専攻科目でないとしても、当時の英語の授業はレベルが高かったのでしょう。文法、読解の徹底的な訓練おそるべし。それで鍛えられた語学力は、原書で化学の専門書を読むことが出来、日常会話などすぐに可能にしたわけです。