牛込・神楽坂 酒問屋 升本総本店の別館「涵清閣」 主人が語る

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灘の日本酒「生一本」と言えば「宮水」。よく考えると、今でも宮水の井戸は蔵元から離れているし、昔からえっちらおっちら運んでいたらしい。

2023-09-28 18:13:25 | 附属酒類経済研究所
                          
<href="http://sake-masumoto.co.jp/">

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昨日の


「清酒一駄」=「馬の背の両側に振り分けたる4斗樽(or3斗5升樽)2つ」

という話。

関連して「お酒の輸送」などをググっていたら、こんな写真もひっかかりました。



白鹿酒ミュージアム(web)より


「酒ミュージアム酒蔵館の水樽を運ぶために敷設された板石道の展示」と題された写真。
記事によれば、宮水は井戸から蔵元まで「水樽」に入れられて、こうした運ばれていたようです。

そこで「水樽」で調べてみるとこんなものも。



当の水樽本体。
※川崎恒「液体運搬用具、運搬方法」醸造と文化、75-5.より


この樽は2斗入りのようですが、もっと巨大なものも出ていました。



ibid.


これは「大砲」と呼ばれていたようで、容量は6石(60斗!!)、荷馬車や牛車に載せて運搬していたようで、これが第二次大戦後にはタンクローリーに入れ替わったようです。

つまり、「水を運ぶ」は灘では一般的で、「水屋」という水の供給業者もいるくらいだったらしい。
確かに灘の蔵元を見せて頂いても、蔵の中に井戸があるわけではなく、ちょっと離れたところの井戸からパイプラインなどで運んでいますし、タンクローリーで、というのも聞いたことがあります。
(一説によると、十数km離れた「魚崎」と「西宮」の両方に蔵を構えていた山邑太左衛門が、常に西宮の酒質が良いことから西宮の水を魚崎まで運ぶようになったのが「宮水の発見」らしい)


これ、よく引き合いに出すワイン的な思想で言うと「水を運んで造る」というのはテロワール的には??ですが、やはり日本酒って、ちょっと違う思想なんですね。

最高の米「山田錦」を求め、最高の水「宮水」を求め、自らの信ずる技法で醸造する。

変なテロワール物語アピールより潔いと思うのですが、、、、、、





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