Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

回想の古伊万里 50(松竹梅文四方皿)

2020-03-14 21:27:24 | 古伊万里
 回想の古伊万里シリーズも50回目ですので、ちょっと良い品を出そうと思ったんですが
何せウチにはそんな立派な品はありませんので、とりあえずおめでたい文様の品を選んでみました。

「染付松竹梅文四方皿」です。


ウチの伊万里の中ではかなり早い時期に購入した品で、「中期の古伊万里です」という言葉だけで購入した品です。
中期の品でたまにに見られる隅切りして見込み部分を丸く成型した品で、サイズ的には六寸くらいでしょうか
見込みの文様は普通の松竹梅で、無難ではあるものの、面白味はないという、目の肥えた人は手を出さないタイプの品であると言えますが
ワタシがこの品に惹かれた理由は、縁文様がいわゆる「逆蛸」(白抜き唐草)であるという一点に尽きます。


この品を購入したのは今から17~8年も前で、その頃は蛸唐草の人気が極めて高く、逆蛸は数が少ないことから
さらに高値で取引されていた時代でした。そんな時代ですから、「憧れの逆蛸」というイメージが出来上がっており
たとえ縁文様だけでも逆蛸が入手できるなら、という気持ちが強かったのは当然です。
今見れば、元禄あたりの精緻な逆蛸に比べれば随分と雑ですが、当時はこれでも十分満足だったように思います。

ちなみに裏面も普通の唐草ではなく、簡素な「宝尽くし」みたいな文様になっており、ちょっとだけ特別感があります


恐らくは享保~宝暦といった時代の伊万里で、それほどの品ではない思いますが、今の時代に探すと意外に見つからないようです。

若い頃に乗ってみたかった車

2020-03-14 08:12:37 | 旧車
スーパーカーブームなんてのがあったのは70年代中盤~後半ですんで、ワタシらが免許を取れる年齢になった頃でありました。
免許を取ると車に興味を持つようになり、やがて車雑誌を買うようになります。(〇〇TOPとかベスト〇〇とか〇〇デーオートが主体で、CGなんてのは高級誌でした)
そんな今から40年以上も前の若い頃に憧れた車を、地元の旧車ショーで見かけた車の中からちょっとだけ紹介したいと思います。

まずは日本を代表するスポーツカーで、アメリカでも「Zカー」として大人気だった初代の日産フェアレディZです。スタイルは歴代のZの中でも個人的にはベストだと思っています。


続いては当時の若者に絶大なる人気があったトヨタの初代セリカから、「セリカ・リフトバック」です。初代セリカはフォードのマスタングをモデルとして作られた車で
最初に発売されたクーペは通称「ダルマ・セリカ」として人気を博し、その後に追加されたのがこの「リフトバック」です。
低く流麗なスタイルは現代の車とは違った魅力がありますよね。

この独特のデザインのテールランプは通帳「バナナテール」と呼ばれました。

ちなみに後期タイプになると、本数が減ります



3台目は若き日のジウジアーロがデザインしたことで知られる、いすゞの「117クーペ」です。
流麗にして繊細なスタイルの高級クーペで、初期のモデルはボディワークがプレスで作れず
職人さんが叩き出しで行っていたようです。(今では考えられませんね)


こちらは通称ニューマン(ポール・ニューマンがCMをやっていたので)と呼ばれるスカイランで、TVの「西武警察」とかで使われたことでも人気の高かったモデルです
特に左側の赤黒ツートンの後期タイプ(通称「鉄仮面」)のRSターボはとても人気が高かったように思います。


明日はBSで「昭和の車といつまでも3」という番組が放送されますので、楽しみなワタシではあります。


2種類のタテハ

2020-03-08 20:49:55 | 
ウチの蝶の在庫も底をつきつつありますが、とりあえず南米に生息しているタテハを2種類紹介します


どとらも5cmそこらの小さな蝶で、前翅にオレンジっぽい黄色、後翅に輝きのある青という点では共通いていますが
左は「マエキアカネタテハ(Asterope markii davisii )で、右は「ムラサキウズマキタテハ(Callicore pastazza)です。
表だけ見ると前翅の斑紋が違う同じ種類のように見えますが、裏はかなり違っています


右のウズマキタテハはその和名が示すように、後翅の斑紋が渦を巻いたような形をしており
一見すると先日紹介したアミドン系のアグリアスの裏面を簡素化したような感じにも見えますが
それに対してアカネタテハは規則的に点の並んだようなデザインで、色合いもまったく違っています。
この手の南米の小さなタテハは集め始めると大変そうですが、思いのほか美麗な種類もいて、楽しめる蝶だと思います。

回想の古伊万里 49(染付蜘蛛の巣文五寸皿)

2020-03-06 21:50:17 | 古伊万里
江戸前期、寛文あたりの古伊万里には面白いデザインの品が多く、個人的に一番好きな時代なんですが
今回紹介する品もデザイン的には見るべきものがあるように思います。

「染付蜘蛛の巣文五寸皿」

放射状に八つの区画に分割し、そのうちの5つには桜花文を描き、さらに極めて狭い間隔で蜘蛛の巣のような線を
多数描いています。そして縁の部分には唐草文の原型のような連続文様が描かれています。
この品を扱っていた業者さんは「風車文」としていましたが、やはりこれは蜘蛛の巣文だと思われます。

↓は見込み中央部分の蜘蛛の巣状の圏線の拡大ですが、この部分は3.5cmほどしかないんですが
ざっと数えたころ27~8本の圏線が引いてありました。

正直なところワタシには絶対に描けません。(老眼ですし・・・)
あらためて江戸期の陶工の技量、根気強さに驚かされる品ではあります。


裏面は寛文~延宝期に見られるタイプの図柄です、この画像では判りにくいですが
この時代の特徴でもある薄く切り立った高台をしています。
この「手の切れるような」と表現される高台には、他の時代の品にはない魅力があるように思います。

石原莞爾と大川周明

2020-03-04 10:47:16 | 日記
ワタシの世代は石原莞爾を知っている人は極めて少ないような気がする。
かく言うワタシも名前しか知らなかったし、この人が酒田のお隣の鶴岡市の出身であることも知らなかった
この人は満州事変の首謀者の一人で勲一等まで授与されている陸軍中将なのだが、第二次大戦中は東條英機と対立していた点、さらに病気であったことを考慮され
極東軍事裁判では起訴されなかった人です。
さて↓の画像は昭和22年5月1日~2日にかけて酒田で行われた「極東軍事裁判酒田出張法廷」へリヤカーに乗って向かう石原莞爾なんですが
このリヤカーを引いている人物が、極真空手の創始者である大山倍達であると言われています。大山は大学時代に石原の主催する「東亜連盟」に参加していたようで
そういった点からも信憑性は高いように思います。


石原莞爾は鶴岡の出身ですが、酒田出身でA級戦犯に指定されながら処刑されなかった人物がいます。それが大川周明です。(生家はウチから近い)
この人についても、戦後生まれの世代は知らない人が多いのだが、極めて有名なエピソードとして
極東軍事裁判で前に座っている東條英機の頭を叩いたというのがあります。(ウチの亡くなった親父がこのエピソードをよく語っていました)
コチラの映像がその時のものですが、こういった法廷での奇行もあって、精神異常であると判断され、A級戦犯でありながら処刑を免れたという、なかなかな人物です。

戦争協力者を賛美する気はさらさらありませんが、郷土の歴史の中では、人間として興味のある人物であることは確かだとワタシは思います。