酒田でももうすぐ桜が満開になるようですが、古伊万里の文様としては桜はメジャーとは言えません
柴コレで見ても、梅の1/4程度しか出て来ません。
これは桜の主力品種であるソメイヨシノが全国に広まったのが幕末に近い時代だったことに関係があるのは確かでしょうか。
という訳でウチにあるたった2枚の桜が描かれた品の桜の部分だけを紹介したいと思います
まずは中期の桜花散らし文の六寸皿です
桜の花の文様自体は大雑把ですが、散らし方に魅力のある品です
続いては平戸で、恐らくは明治時代の品で、「桜川の図」七寸皿です
平戸らしい白い土に明るい染付の発色が美しい品ですが、桜の花が流れに散る姿はまさに日本人の美学みたいなものでしょうか。
中期の桜花散し文六寸皿、秀逸ですね。同じ模様で器を埋めるのは非常に難しいです。以前、メダカがたくさん描かれた小染付の煎茶碗をブログにのせましたが、散らばらせ具合がもろに美的感覚に関係してきます。同じパターンの繰り返しではツマラないし、微妙なバラツキ具合がなかなか出せません。その点、この皿は良く出来ていると思います。
それに対して、梅は、松竹梅文と関係しますから、多いですよね。
昨日、「桜川」に行ってきましたが、そこは、絵で見るようなイメージの川ではありませんでした。普通にある、田舎の川にすぎません。
昔の人は、実際の川を見たのではなく、イメージで作り上げた川なのでしょうね。
このあたりははっきりしませんが、ドクターさんのコメントのように
松竹梅文様も梅として捉えることができますので
そういった面では梅が有利なのは確かかも知れません。
とは言え、柿右衛門の優品に槍梅の品があるように、梅の方が絵になるんでありましょうか。
やはり絶対数は少ないのかも知れません。
「桜川」とえいば中期の変形皿の優品が思い出されますが
やはりイメージとして美化して作られたものなんですね。
とは言え、日本人には「桜川」というのは春の美を感じる言葉なのは間違いないですよね。
皆様おっしゃる通り梅ばっかりですよねー(^_^;)
桜の文様と言えば鍋島の桜川の皿が有名だなあと思い浮かびます。
あとは竜田川とか桜川などは浮かぶのは柿右衛門の優品が思い浮かびました(^^)
梅は描いて良いけど桜はうちの窯だけしか描いちゃダメだとかあったんでしょうかね??笑
享保年間に「暴れん坊将軍」が数千本の桜を植えてから、花見が一般的になったようで
やはり江戸前期に桜文様が登場しないのは、そのあたりが理由のようです。
とは言え、江戸後期でも桜文様は多くありませんので
現在のように桜だけが特別扱いという流れになるのは
たぶん明治以降なんだと思います。