あかねさんシリーズ002 男が女de女が男 180 バカの専売特許は男! 「あのなあー、茜。おまえ、今日の昼も、バカなことを言っていたんだってなあー。但馬先生泣いていたぞ」 「泣けばいいのかしら、まるで男の腐ったみたいじゃないの」 「こら、何をいっとる! 但馬先生の涙はなあー、但馬先生の涙はなあー、女の涙なんだあー、男の男々しい涙じゃないんだぞ。わかるかあー、茜!」 「わからないわ」 男性って、わたしの生まれて育った世界の男性は、こんなバカと付き合っていかねばならかったのかしら……。 --そのとおりという人がいたら、理性ある人ですね! 「わからないっていうのか! 男の涙じゃないんぞ」 「そうやったかなあー、こういう歌あったね。♪飾りじゃないのよ、涙は……」 やはり、この世界では男の涙だった……。 「女の涙はいいわけ!」 「いいに決まっているだろう!」 女である一同はこたえる……。 こんな無茶苦茶の論理がとおるなんて、そしてこんな論理を通していたら、そのうちひどいことになるわ。 「男の涙も、女の涙も、おんなじよ! そして人によってはウソ泣きだってあるわ!」 「きさま! 茜! 但馬先生の涙がウソとでもいうのか!」 平手で叩こうとしたが、茜はスポーツ万能。 さっとよけた……。 「まあ、先輩、茜も飲み足りないんですよ」 「そうだ、そうだ」 「イッキ! イッキ!」 と手拍子して、騒いでいる。 「まったく困ったものだわ」 タバコはもくもく、バカが臭い息を吐いて、バカな論理をいって、バカづくしのコンパね。 それも、同性の女がこうも男みたいにバカなのが、むかついてくる……。 バカの専売特許は男だ! と思っていたのに……。 もちろん、私のパパのように例外もいるけど……。
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『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち
第十三師団山田支隊兵士の陣中日記』
小野賢二・藤原彰・本多勝一(編)/
大月書店1996年
--ドイツでは体験主義より、歴史主義という。
地道な研究によって、歴史的資料を残そうとされた結果の一つがこの本であろう……。
--体験主義で物事をいっている人たちもいるが、それは事実ではなく、あくまでも推測でしかないことも、しっかり把握しないといけないとボクは思う。
--大衆を熱狂させて、権力をかすめとろうとするニセ政治家!
これらは、体験主義でしかない、推測をまるで事実のように誤認させ、熱狂させる……。
--日本の歴史では、この体験主義のイデオロギー団体がある……。
丸山正男はオウム真理教と変わらないと表現していたと思う……。
■目 次■
序文 本多勝一 i
解説 藤原彰 ix
注解 藤原彰 xix
1 [斎藤次郎]陣中日記 3
2 [堀越文男]陣中日記 57
3 [遠藤重太郎]陣中日記 87
4 [伊藤喜八]陣中日記 97
5 [中野政夫]陣中日記 113
6 [宮本省吾]陣中日記 123
7 [杉内俊雄]陣中日記 141
8 [柳沼和也]陣中日記 153
9 [新妻富雄]陣中日記 177
10 大寺隆陣中日記 183
11 [遠藤高明]陣中日記 211
12 [本間正勝]陣中日記 231
13 天野三郎軍事郵便 245
14 [大内利己]陣中日記 259
15 [高橋光夫]陣中日記 281
16 [菅野嘉雄]陣中日記 297
17 [近藤栄四郎]陣中日記 311
18 [黒須忠信]陣中日記 335
19 [目黒福治]陣中日記 359
あとがき 小野賢二 375
本多勝一は、専門家ではない小野賢二の仕事を賞讃する。下「」引用。
「小野賢二氏に初めてお会いしたのは、今から七年前になる一九八九年の一二月、歴史学者・洞富雄先生のご自宅を訪ねたときでした。南京大虐殺(あるいは南京大暴虐事件)についてもっとも早い時期から注目し、独自に研究してこられた洞先生は、中国や日本の近代史研究所やジャーナリストなどによる「南京事件調査研究会」の代表をつとめ、その会合に私もしばしば出席していた縁もあって、小野氏を私に紹介されたのです。小野氏はそれ以前から、南京大虐殺にかかわった日本兵の陣中日記を掘りおこす仕事を地元の福島県で始めていました。
そのようにして知りあった小野賢二氏が苦労として発掘した幾篇もの陣中日記に読むうちに、これは大変な仕事であることを思い知るようになります。日本の現代史のなかで、国際大事件をめぐってこれほど重大な一次資料(史料)が掘りだされた例は稀有なことでしょう。」
全否定派である文藝春秋関連のことも書かれてありました。
それ(全否定)を否定するのは、歴史的事実であり、体験主義ではない。
この本の関係者はあくまでも、歴史的事実としてそれを研究している……。
これに関する人々は全国にいるそうだ。しかし、歴史的事実として地道に資料集めをしているのは京都と、小野賢二ぐらいだという。
小野賢二は戦後責任を問う。下「」引用。
「最後にもう一つ言わせてもらえば、南京攻略戦に参加した連隊(あるいは海軍)は日本全国各地に散らばる。ぜひとも地元の一市民、一労働者の立場として調査をやっていただきたいのである。
当事者の高齢化は進み、亡くなれば俺の調査経験からいっても資料の消滅は防ぎようがない。そういう意味では時間との闘いでもある。外国の文献はほぼ紹介されつくしたと思われる。南京事件のなかで、一番解明が遅れているのはこの部分なのだ。
祖父や父、隣りのおじいちゃんの行なってきたことすら解明できないとしたら、戦後世代にも責任が残らないだろうか。
一九九六年二月五日」
やはり、このことでも、いつものことの壁を感じる……。
この壁を崩すのは地道な活動なのだろう……。
しかし、どうしたらいいのか?……。
小野の活動はやはり賞讃されて当然だろうと思う。
われわれ今の人間しか、このことの戦後責任を持つことはできないのだが……。
もくじ
index
第十三師団山田支隊兵士の陣中日記』
小野賢二・藤原彰・本多勝一(編)/
大月書店1996年
--ドイツでは体験主義より、歴史主義という。
地道な研究によって、歴史的資料を残そうとされた結果の一つがこの本であろう……。
--体験主義で物事をいっている人たちもいるが、それは事実ではなく、あくまでも推測でしかないことも、しっかり把握しないといけないとボクは思う。
--大衆を熱狂させて、権力をかすめとろうとするニセ政治家!
これらは、体験主義でしかない、推測をまるで事実のように誤認させ、熱狂させる……。
--日本の歴史では、この体験主義のイデオロギー団体がある……。
丸山正男はオウム真理教と変わらないと表現していたと思う……。
■目 次■
序文 本多勝一 i
解説 藤原彰 ix
注解 藤原彰 xix
1 [斎藤次郎]陣中日記 3
2 [堀越文男]陣中日記 57
3 [遠藤重太郎]陣中日記 87
4 [伊藤喜八]陣中日記 97
5 [中野政夫]陣中日記 113
6 [宮本省吾]陣中日記 123
7 [杉内俊雄]陣中日記 141
8 [柳沼和也]陣中日記 153
9 [新妻富雄]陣中日記 177
10 大寺隆陣中日記 183
11 [遠藤高明]陣中日記 211
12 [本間正勝]陣中日記 231
13 天野三郎軍事郵便 245
14 [大内利己]陣中日記 259
15 [高橋光夫]陣中日記 281
16 [菅野嘉雄]陣中日記 297
17 [近藤栄四郎]陣中日記 311
18 [黒須忠信]陣中日記 335
19 [目黒福治]陣中日記 359
あとがき 小野賢二 375
本多勝一は、専門家ではない小野賢二の仕事を賞讃する。下「」引用。
「小野賢二氏に初めてお会いしたのは、今から七年前になる一九八九年の一二月、歴史学者・洞富雄先生のご自宅を訪ねたときでした。南京大虐殺(あるいは南京大暴虐事件)についてもっとも早い時期から注目し、独自に研究してこられた洞先生は、中国や日本の近代史研究所やジャーナリストなどによる「南京事件調査研究会」の代表をつとめ、その会合に私もしばしば出席していた縁もあって、小野氏を私に紹介されたのです。小野氏はそれ以前から、南京大虐殺にかかわった日本兵の陣中日記を掘りおこす仕事を地元の福島県で始めていました。
そのようにして知りあった小野賢二氏が苦労として発掘した幾篇もの陣中日記に読むうちに、これは大変な仕事であることを思い知るようになります。日本の現代史のなかで、国際大事件をめぐってこれほど重大な一次資料(史料)が掘りだされた例は稀有なことでしょう。」
全否定派である文藝春秋関連のことも書かれてありました。
それ(全否定)を否定するのは、歴史的事実であり、体験主義ではない。
この本の関係者はあくまでも、歴史的事実としてそれを研究している……。
これに関する人々は全国にいるそうだ。しかし、歴史的事実として地道に資料集めをしているのは京都と、小野賢二ぐらいだという。
小野賢二は戦後責任を問う。下「」引用。
「最後にもう一つ言わせてもらえば、南京攻略戦に参加した連隊(あるいは海軍)は日本全国各地に散らばる。ぜひとも地元の一市民、一労働者の立場として調査をやっていただきたいのである。
当事者の高齢化は進み、亡くなれば俺の調査経験からいっても資料の消滅は防ぎようがない。そういう意味では時間との闘いでもある。外国の文献はほぼ紹介されつくしたと思われる。南京事件のなかで、一番解明が遅れているのはこの部分なのだ。
祖父や父、隣りのおじいちゃんの行なってきたことすら解明できないとしたら、戦後世代にも責任が残らないだろうか。
一九九六年二月五日」
やはり、このことでも、いつものことの壁を感じる……。
この壁を崩すのは地道な活動なのだろう……。
しかし、どうしたらいいのか?……。
小野の活動はやはり賞讃されて当然だろうと思う。
われわれ今の人間しか、このことの戦後責任を持つことはできないのだが……。
もくじ
index
『武谷三男著作集5 自然科学と社会科学』
武谷三男・著/勁草書房1968年、1976年
武谷三男がこんなことを言うのか? と思うことがあるけれど、対談なのだろうが、対談形式になっていないので、誤解してしまう個所もあった……。
■目次・大タイトルのみ■
『自然科学と社会科学の現代的交流』から 1
物理学は世界をどう変えたか 139
動物に社会はあるのか? の質問に。下「」引用。
「武谷 -略-動物は個体だけの存在かというとそうでなく、大体群棲という問題があるし、動物の本性として群棲ということがかなり重要な意味をもつわけです。しかし人間社会のとは質が違う。-略-」
戦争で科学は進むのか? 下「」引用。
「日本では軍事科学はなにものももたらさない 過去、戦争が科学を進めたという面は確かにある。しかし、それは社会が非常にら貧弱な社会だったから、戦争でもなければ科学を進めることに一生懸命にならなかったのである。戦争でないようなことにあまり一生懸命カネを出さなかったということだけのことであって、今やそういう社会ではどうにもならなくなった。」
体験主義では進むとなるだろうが、歴史主義ではもはや進まないとなるのでは?
こんなタイトルと書き出し。下「」引用。
「2 現代物理学と世界観
--羽仁五郎氏との対談
以上の私の文に対して、まず、歴史学者であり、政治家である羽仁五郎氏に世界観の問題についてきいてみた。(1960.2)」
天皇制について。羽仁五郎。下「」引用。
「やはり天皇制というものが学問の妨げになるのだね、だから物理学に本気でカネを出すという気にはならないのだろうと思う。それより立派な皇居でも建てるほうがいい。皇居ならタダでも請負うという人が出てくるわけですよ。とにかく、あれはいかに正しい意味の唯物史観がないかということですね」
資本主義では、「物が動くとき必ず心が動く」という。
--人の心を粗末にするのは、どうかとボクは思います……。
羽仁五郎は、ボクが今すんでいる所に住んでおられたようです。下「」引用。
「ぼくはいまの原水爆禁止運動なんかでも、そうとう唯物論的じゃない、精神的な、観念論的な傾向が出てきたという事実を認めるし、原子炉の問題では、ぼくの住んでいる近所の田無(東京都)の町民はみんなで反対した。」
羽仁さんも心を大切にされたようですね。
朝永さんと対立した大先生はこの人かもしれない……。
index
小此木真三郎はこう書く。下「」引用。
「「庶民」という考え方でよいのか」
どこが悪いのか、理解できなかった。
深川修吉語る。下「」引用。
「江崎さんなんか、エサキ・ダイオードを発明して、学問的な価値よりも実用的価値が大きい。IBMに引き抜かれて、日本はそれだけの給料を出してやれないのですね。」
中国に買われましたね、IBM。
羽仁五郎は、「おれの法律学は留置場で勉強した法律学だ」と語る。
星野芳郎も庶民を批判。下「」引用。
「星野 天皇制のムードとして、象徴として残っているからこそ庶民的な意識というものが残っているし、庶民的な意識がまた天皇制を象徴として支えている。」
庶民にもいろいろあるだろう……。
当時の天皇制と一体化して庶民とは言えないとボクは思う。
--それは大衆でしょう……。
京都の庶民の天皇制はいまだに、東京での天皇制よりも、京都での天皇制を重んじている歴史重視? もいるようなことを文献で読む……。
先の大戦は応仁の乱らしいでっせ!?
そもそも、生活に苦しい庶民は、庶民としてやっていくしかない。
天皇制は天皇は神じゃなくなったけれど、中国の『毛沢東神話』が大きな問題だろう!
--これを強く指摘しているのはフランス。毛沢東が共産主義を学んだ国……。
--月報に感想が書かれてあった。
武谷の『文化論』の「暴力について」を読んだという。下「」引用。
「最大の暴力それは戦争、その次の暴力は権力者の暴力、武谷さんはそう指摘している。治安維持法によって昭和3年から13年まで、10年のあいだ捕われの生活をしてきた私は、この指摘に驚きません。その通りだと思いました。」
最大の暴力という表現も妙なものです。
許容量をこえたら、どれもすごいとしか思えない。
「いじめ」もすごいものです……。
暴力についても、鈍感でありたくありません……。
index
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武谷三男・著/勁草書房1968年、1976年
武谷三男がこんなことを言うのか? と思うことがあるけれど、対談なのだろうが、対談形式になっていないので、誤解してしまう個所もあった……。
■目次・大タイトルのみ■
『自然科学と社会科学の現代的交流』から 1
物理学は世界をどう変えたか 139
動物に社会はあるのか? の質問に。下「」引用。
「武谷 -略-動物は個体だけの存在かというとそうでなく、大体群棲という問題があるし、動物の本性として群棲ということがかなり重要な意味をもつわけです。しかし人間社会のとは質が違う。-略-」
戦争で科学は進むのか? 下「」引用。
「日本では軍事科学はなにものももたらさない 過去、戦争が科学を進めたという面は確かにある。しかし、それは社会が非常にら貧弱な社会だったから、戦争でもなければ科学を進めることに一生懸命にならなかったのである。戦争でないようなことにあまり一生懸命カネを出さなかったということだけのことであって、今やそういう社会ではどうにもならなくなった。」
体験主義では進むとなるだろうが、歴史主義ではもはや進まないとなるのでは?
こんなタイトルと書き出し。下「」引用。
「2 現代物理学と世界観
--羽仁五郎氏との対談
以上の私の文に対して、まず、歴史学者であり、政治家である羽仁五郎氏に世界観の問題についてきいてみた。(1960.2)」
天皇制について。羽仁五郎。下「」引用。
「やはり天皇制というものが学問の妨げになるのだね、だから物理学に本気でカネを出すという気にはならないのだろうと思う。それより立派な皇居でも建てるほうがいい。皇居ならタダでも請負うという人が出てくるわけですよ。とにかく、あれはいかに正しい意味の唯物史観がないかということですね」
資本主義では、「物が動くとき必ず心が動く」という。
--人の心を粗末にするのは、どうかとボクは思います……。
羽仁五郎は、ボクが今すんでいる所に住んでおられたようです。下「」引用。
「ぼくはいまの原水爆禁止運動なんかでも、そうとう唯物論的じゃない、精神的な、観念論的な傾向が出てきたという事実を認めるし、原子炉の問題では、ぼくの住んでいる近所の田無(東京都)の町民はみんなで反対した。」
羽仁さんも心を大切にされたようですね。
朝永さんと対立した大先生はこの人かもしれない……。
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小此木真三郎はこう書く。下「」引用。
「「庶民」という考え方でよいのか」
どこが悪いのか、理解できなかった。
深川修吉語る。下「」引用。
「江崎さんなんか、エサキ・ダイオードを発明して、学問的な価値よりも実用的価値が大きい。IBMに引き抜かれて、日本はそれだけの給料を出してやれないのですね。」
中国に買われましたね、IBM。
羽仁五郎は、「おれの法律学は留置場で勉強した法律学だ」と語る。
星野芳郎も庶民を批判。下「」引用。
「星野 天皇制のムードとして、象徴として残っているからこそ庶民的な意識というものが残っているし、庶民的な意識がまた天皇制を象徴として支えている。」
庶民にもいろいろあるだろう……。
当時の天皇制と一体化して庶民とは言えないとボクは思う。
--それは大衆でしょう……。
京都の庶民の天皇制はいまだに、東京での天皇制よりも、京都での天皇制を重んじている歴史重視? もいるようなことを文献で読む……。
先の大戦は応仁の乱らしいでっせ!?
そもそも、生活に苦しい庶民は、庶民としてやっていくしかない。
天皇制は天皇は神じゃなくなったけれど、中国の『毛沢東神話』が大きな問題だろう!
--これを強く指摘しているのはフランス。毛沢東が共産主義を学んだ国……。
--月報に感想が書かれてあった。
武谷の『文化論』の「暴力について」を読んだという。下「」引用。
「最大の暴力それは戦争、その次の暴力は権力者の暴力、武谷さんはそう指摘している。治安維持法によって昭和3年から13年まで、10年のあいだ捕われの生活をしてきた私は、この指摘に驚きません。その通りだと思いました。」
最大の暴力という表現も妙なものです。
許容量をこえたら、どれもすごいとしか思えない。
「いじめ」もすごいものです……。
暴力についても、鈍感でありたくありません……。
index
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『核時代 THE WORLD SCIENCE』
F.バーナビー(著)/金野正(訳)/
ティビーエス・ブリタニカ1976年
この本が出版された当時では、スリーマイル島事故やチェルノブイリ原発事故もまだ起きていなかった……。明るい部分をさまざまな分野で伝えている……。今では、遺伝子操作もほかの方法でされている……。
人類はいまや……。下「」引用。
「人類はいまや、原子核時代を迎えようとしている。この時代には、原子核のエネルギーがいろいろなところで利用され、なかでも、急増する世界のエネルギー需要にこたえるのに最も劇的に用いられよう。」
月に立ったときも、人類という言葉が使われていた。
--しかし、人類全体のことを考えていたのだろうか?
そんな疑問がうかびあがってくる……。
あれも、スターウォーズ計画につながる軍事技術だったという人もいる……。
エネルギーは国家の血……。下「」引用。
「エネルギーは国家の血である、と言われてきた。エネルギーがなければ、車は走らず熱もなくなり、人間の活動の大部分は停止する。」
戦中のスローガンのようだ。
--今では、ほかにもエネルギー代替は考え出されている……。
この本は、いろいろな写真が掲載されています。
唯一の写真だという。下「」引用。
「世界最初の原子炉であるシカゴ大学の《パイル》。わかっている限り唯一の写真で、19層目の黒鉛を積んでいる間に撮影したものである。」
しかし、シカゴ大学の原子炉の説明。下「」引用。
「しかし、シカゴ大学のパイルそのものは、プルトニウムの生産に適していなかった。なぜなら、プルトニウムを取り出すためには、パイルを解体する必要があったからである。いずれにしても、パイルには冷却システムが付いていなかったため、安全な作業度は低く抑えなければならず、プルトニウムはほんのわずかしか生産されなかった。」
2万2000トンの原子力船(NS)サバンナ号(貨客船)や、氷の調査のため航海中のソ連の原子力砕氷船レーニン号などの写真もありました。
また、南部カリフォルニア海岸沖に建設予定の人工島の模型があった……。
--実現されたのか? ボクは知らない。
index
目 次
F.バーナビー(著)/金野正(訳)/
ティビーエス・ブリタニカ1976年
この本が出版された当時では、スリーマイル島事故やチェルノブイリ原発事故もまだ起きていなかった……。明るい部分をさまざまな分野で伝えている……。今では、遺伝子操作もほかの方法でされている……。
人類はいまや……。下「」引用。
「人類はいまや、原子核時代を迎えようとしている。この時代には、原子核のエネルギーがいろいろなところで利用され、なかでも、急増する世界のエネルギー需要にこたえるのに最も劇的に用いられよう。」
月に立ったときも、人類という言葉が使われていた。
--しかし、人類全体のことを考えていたのだろうか?
そんな疑問がうかびあがってくる……。
あれも、スターウォーズ計画につながる軍事技術だったという人もいる……。
エネルギーは国家の血……。下「」引用。
「エネルギーは国家の血である、と言われてきた。エネルギーがなければ、車は走らず熱もなくなり、人間の活動の大部分は停止する。」
戦中のスローガンのようだ。
--今では、ほかにもエネルギー代替は考え出されている……。
この本は、いろいろな写真が掲載されています。
唯一の写真だという。下「」引用。
「世界最初の原子炉であるシカゴ大学の《パイル》。わかっている限り唯一の写真で、19層目の黒鉛を積んでいる間に撮影したものである。」
しかし、シカゴ大学の原子炉の説明。下「」引用。
「しかし、シカゴ大学のパイルそのものは、プルトニウムの生産に適していなかった。なぜなら、プルトニウムを取り出すためには、パイルを解体する必要があったからである。いずれにしても、パイルには冷却システムが付いていなかったため、安全な作業度は低く抑えなければならず、プルトニウムはほんのわずかしか生産されなかった。」
2万2000トンの原子力船(NS)サバンナ号(貨客船)や、氷の調査のため航海中のソ連の原子力砕氷船レーニン号などの写真もありました。
また、南部カリフォルニア海岸沖に建設予定の人工島の模型があった……。
--実現されたのか? ボクは知らない。
index
目 次
NHK 2008年5月15日&16日
原子力空母住民投票否決
横須賀市
4万8000人の署名を受けて、去年につづいて再び提出されたという。
--市民5人が意見を述べたという。
予想を上回る署名が寄せられたという。
多くの市民が原子力空母に不安をもっている現われだという。
市議会の総務委委員会で採決がおこなわれ、2対8の反対で否決。
NHK 2008年5月16日
条例案に賛成8、反対33。
--反対多数で否決。
【市議会】
福田首相にあてた“空母の安全性確保求める意見書”全会一致で採決。
【市長】
「より多くの市民に安全安心感を持っていただけるよう努力を続けたい」
住民が賛否を決めることもなく、8月配備へとなったという。
市長は原子力というものを御存知ないのでしょうか?
不可能なことを公約にしては無責任ではないでしょうか?
--それとも努力をしたら、何でもいいのでしようか?
そんな精神主義では困ります。
それにしても、住民の代表は住民の意見を大切にしない江戸時代に似てきましたね……。
原子力空母で火災
「日米秘密協定」発覚
横須賀・原子力空母 初の日米合同演習
【追加】2008年5月31日
市長がいう民意はやはり正しくはない。
選挙で、このことを問うたのか?
もし、問うたとしても、総合的に決めたものだろう。
だったら、民意は住民の署名にこそあるし、民意を直接きける住民投票こそが正しいと思う。
index
index
横須賀市
4万8000人の署名を受けて、去年につづいて再び提出されたという。
--市民5人が意見を述べたという。
予想を上回る署名が寄せられたという。
多くの市民が原子力空母に不安をもっている現われだという。
市議会の総務委委員会で採決がおこなわれ、2対8の反対で否決。
NHK 2008年5月16日
条例案に賛成8、反対33。
--反対多数で否決。
【市議会】
福田首相にあてた“空母の安全性確保求める意見書”全会一致で採決。
【市長】
「より多くの市民に安全安心感を持っていただけるよう努力を続けたい」
住民が賛否を決めることもなく、8月配備へとなったという。
市長は原子力というものを御存知ないのでしょうか?
不可能なことを公約にしては無責任ではないでしょうか?
--それとも努力をしたら、何でもいいのでしようか?
そんな精神主義では困ります。
それにしても、住民の代表は住民の意見を大切にしない江戸時代に似てきましたね……。
原子力空母で火災
「日米秘密協定」発覚
横須賀・原子力空母 初の日米合同演習
【追加】2008年5月31日
市長がいう民意はやはり正しくはない。
選挙で、このことを問うたのか?
もし、問うたとしても、総合的に決めたものだろう。
だったら、民意は住民の署名にこそあるし、民意を直接きける住民投票こそが正しいと思う。
index
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