磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

原子力 その不安と希望

2008年05月26日 | 読書日記など
『原子力 その不安と希望』
  岸本康・著/講談社1986年

中立のつもりで書いておられると思います。ゴフマンが書いていたのが正しいと思う。

--それから、こんな記述がありました。下「」引用。

「レーザー濃縮の項で述べましたが、年寄りのプルトニウムには240、241、242と、不純物がある中で、レーザーを使うとプルトニウム239だけが比較的たやすく高純度で抽出できそうなのです。」
関連記事



上の引用文は、老人差別じゃないでしょうか?
--まあ、原爆にならないようになったということは、すぐれた老人力かもしれませんが……。

この記事を読まれて女性はどう思うのか? 下「」引用。

「私は、この挨拶を聞きながら、かつて大熊さんが日本国内のある原子力発電所を見学したとき、下着まで着替える規則があって、ついてはここに女性更衣室がないという理由で、管理区域入りを断られた。そこで、敢然と抗議したので、発電所側は大急ぎでカーテン張りの更衣空間を用意したというエピソードを思い出しました。誰よりも女性らしく、しかも主張は通すという点で大熊さんは作家の曾野綾子さんに共通するところがあります。」

昔、森田健作でドラマがあったけど。そこで、男子生徒のトイレを! というのがあった。
--逆の立場で男性がいったところで、当たり前、当然のこととしかボクには思えない。

トイレのないマンションであるといわれる原発……。
--それを指摘して欲しいものですね。

--「原電敦賀事件--プロローグ」というタイトル。
昭和56年、大阪で店員が、筆者に語ったという。下「」引用。

「難儀やろうな敦賀の人は。ここ(大阪)の魚市場でも、若狭の魚はだいぶ叩かれたのとちがうか。なァお客さん。原発ちゅうのは、けったいでんな。-略-」

テレビ出演。局から迎えの車が来たという。
FDとはフロアディレクターのことらしい。

テレビ局で流れる画面で報道陣の言葉を非難している著者。
しかし、隠蔽体質であり、時に捏造までしてしまう日本の原発関係なら、そのくらい仕方がないだろうとボクは思う。
卑劣で横暴なのは、原発関連の人たちである。

--もちろん、一般労働者も詳しいことは知らないだろうが……。

--「公害と原発のあるところに民主主義はない」というのをボクは信じます。
それに、お金と民主主義を交換するところには民主主義ではないでしょう。

--昭和22年、共同通信社に入社して1年足らずの著者。
部長から、原子爆弾の仕組みを解説にかけと言われたという。
当時、前年7月に共同通信社がAPから配信された「ビキニ原爆実験」の写真で初めて爆雲がキノコ型をしているとスクープされたという。
そこで、仁科博士に電話をした著者。

読売新聞社主、正力松太郎と、中曽根のことも書かれてありました。

質問も有料……。下「」引用。

「ある日、英国にGECを訪れたら『おまえの質問についての回答の資料が、ホラここにいっぱい入っているゾ』と、倉庫を指した。受注者に対する質問だから、われわれはその問答はすべて仕様書の金額に含まれていると思っていた。ところがあとで費用の金額を要求されましたね。驚いたな」
 回答代を含めて総額百億円に近い追加工事費の請求があり、結局その半額程度を支払わされることになりました。」

「なぜ日本の軽水炉はフランスの軽水炉に比べて高価なんですか?」という質問もありました……。納得できる答えではありませんでした。

--政治がかかわると、すべて高くなりますね。二倍、三倍と驚くべき高い軍事品などもありますね。

いつものことを思い出しました……。

三社の遠心分離器についても書かれてありました。下「」引用。

「そのころは東芝、三菱重工、日立製作所、川崎重工の四社が参加していました。各社のアイデアは尊重され、それぞれが技術を争ったのですが、それでも求める回転は実現せずも。昭和四十六年当時の技術はまだまだ未熟だったのでしょうか。
 動力炉・核燃料事業団は各社の技術を標準化した概念設計をメーカーに示しました。川崎重工は不参加となり、残る三社でそれぞれ試作機をつくり、東海村の動燃に五十一年六月、二百四十七台の遠心分離機が動き始めました。」


不安はいっぱいありましたが、どこに希望があったのか?
--ボクには理解できませんでした。








INDEX

目 次



エンタメ@BlogRanking


武谷三男著作集1 弁証法の諸問題

2008年05月26日 | 読書日記など
『武谷三男著作集1 弁証法の諸問題』
   武谷三男・著/勁草書房1968年、1974年10刷

かなり個性の強い物理学者です。あまり知られていないのではないでしょうか?



■目次・大タイトルのみ■
弁証法の諸問題  1
続 弁証法の諸問題  183

「はしがき」に書かれてあります。下「」引用。

「私が京都帝大に入るとまもなく日本の満州への帝国主義的侵略が始まり、自由を求めてほうはいと起った我杭瀬運動もちく次弾圧され、学内では軍教や満蒙研究会、その他どう見ても高く評価されない御用学者たちが次第に勢力を得て来ました。貧窮と孤独と、このような憂うつな情勢のために私はひたすら内心の自由を求める事になりました。私はロランの自由なる魂やベートーヴェンの空中の王国や、偉大なるゲーテに酔い、カントの理性、そして何よりも美しい数学的な自然科学の壮大なる調和、これらは私をしてすべての困難や悲哀や憤激を忘れしめるのに十分でした。」

ロマン・ロランを好きな著者。下「」引用。

「私は私の愛するロマン・ロランを離れる事にある淋しさをいだいたのでした。そして若い者は過去をふみこえて進まねばならないと考えたのでした。しかし後で私は、この七十をすぎた老人がわれわれ若いものをはるかにひき離して前進している事を知って自らを恥じたのでした。」

物理学の歴史も書かれてありました。

京大で滝川事件があり逮捕されたという。

10 嵐 吹きすさぶとも

この事件のことを、対談で語られている……。下「」引用。

「星野 国内的には京大事件で、国際的には、やはりフランスの人民戦線ということになりますね。
武谷 そういうことですね。たとえば、ぼくなんかジョリオ=キュリーの紹介をしたりするということになるのですね。」


月報の記事がおもしろかったです。
「労働組合運動と科学技術者」太田 薫・著が掲載されいます。下「」引用。

「私はだいたい武谷先生の本を、理論物理学の先生というよりは、平和運動・技術者運動という立場から関心をもって読んでいました。直接お会いするようになったのは、三池の爆発のかなで、一酸化炭素の中毒患者がたくさんでた時に、事故直後に総評で「三池災害視察団」として、武谷先生を団長とする幾人かの技術者・医師に大牟田に行っていただせた時からです。-略-」

原潜のことについても、われわれのことを考えてくれたという。下「」引用。

「武谷先生はすでに、原子力潜水艦による放射能汚染にしても、もっとこちら側の学者がしっかりしていたら、あんな問題にならなかったに違いありません。武谷先生はすでに、原子力潜水艦の寄港を拒否するかしないかの問題が起きたとき、アメリカの安全委員会では軍港以外には入れないということを、はっきり学者グループが言っているのに、拒否していないと述べています。こういうこと一つみても、少なくともそれを拒否した場合は、日本では、政府の研究費はもちろん出ないだろうし、官立のというか国立の大学に居れば、普通に考えられる出世とかそういうものは全然度外視されるだけでなく、自分が研究する一つの研究室、研究費すら、やはり奪われる状態にあるんだと思います。
 そのなかで、国民というか人民の立場に立って科学を研究し、それをアッピールし、大衆運動のなかに持ち込むというのは、大変な犠牲がいります。」

水俣病のことも書かれてあります。下「」引用。

「日本窒素の水俣病のことが出ているのですが、あれも企業組合であり、いまは第一組合と第二組合に別れてましたけど、はじめは第一組合の幹部ですら、漁民に対して会社側についた形をとっていました。しかし、そうしていながら、いよいよ賃上げするときになると、今度は第二組合を作られてたたかれたのです。資本というものは、利潤のために、労働者に対して、公害問題を含めて、労働者の一切の犠牲を強いて居るのだという考え方が、やはり企業組合の場合にはわかっていなかったのです。そこをわからせないといけないのではないかと思います。」

ナチス・ドイツのマルチン・ニーメラーの言葉を思い出しました。


index









index

index






エンタメ@BlogRanking

君は明日生きるか

2008年05月26日 | 読書日記など
『君は明日生きるか』
   全国被爆者青年同盟・編/破防法研究会1972年

ボクはどんなイデオロギーだろうが、煽動されたくないし、煽動したいとも思わない。
--戦後の日本は体験主義であり、ドイツは歴史主義であったという。
この差が平和においても政治においても、大きな違いとなっていると思う。
--この差は環境問題において、大差が生じているとも思う……。



歴史を軽視して、あるいは無きものとして、自らの論理だけで社会をつくっていくなどというのは、あまりにも独善的な思想だと思う。そして、危険だとさえ思う。

--環境でいえばチェルノブイリをなきものしているマスコミ。

目 次


広島の中国新聞の人が書いている。『核権力 ヒロシマからの告発』より下「」引用。

「核の「人質」たる自国の人民を「一枚岩」の「敵性」から敵、味方、中立と入り乱れた「まだら」の人口に変革すること。これが世界中に起こったら、核戦争の攻撃目標は世界中からなくなる。若い世代がそのことを理論的に明確につかんで行動を起こしているとは、けっして私は思わない。それはむしろ「体制」を強める逆効果をもともなう情動的な「反体制」運動のさまざまな展開となっている場合が多い。しかし、若い世代の「反権力」思想と国際主義の貫徹といった手さぐりの試行錯誤の中に、「いかなる国家権力の人質にもなりたくない」との抗議が含まれ、やがて「いかなる核権力の人質にもなりたくない」との運動に国際的に連帯する芽ばえがあると見受けられる。」



この当時、中国では文化大革命が起きたころ、日本でもその影響があったのだろうか?
--あまりにも、独善的な人たち、論理などそこには存在していないようにさえ思える。

人道も人権も、この人たちは考えておられたのでしようか?
--もちろん、彼と彼の仲間たちのことは考えておられましたが、その他の人にはどうだったのでしょう……。

--社会主義や共産主義にも王室を認めていたり、資本主義とどうように広い範疇で考えられる人たちもいますが、この時代のこの本に関わる人たちはそうでなかったとボクは思います。


この人たちが書かれていることは、歴史的事実でないし、彼らの体験主義からうまれた、ご都合主義の論理が数々あるとボクは考えています。


「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」……。下「」引用。

「鎌田氏の提起では「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」というジャーナリズムの宣伝文句に勝つことはできない。彼の方向づけが間違っているとは思わない。鎌田氏に代表される長崎の証言運動が、「長崎の被爆者たちはいま急速に自己表現と連帯を求めて、長い潜伏から脱しつつある」というとき、被爆者としての自己とは何か、被爆者の連帯には何が問われているかという問いに答えねばならない。長崎の証言運動は、そしてまた広島のそれも、今日までそこにおいて被爆者の闘いを問いつめたことがない。」

目次

そして、永井隆にたいする中傷です。下「」引用。

「また牧師との話のなかで長崎の被爆にたいする考え方が、キリスト者の意識に大きく規定されていること、そして永井隆が、その「神」であったことを学んだ。「神は、天主は浦上の人を愛しているが故に、殉難の徒たれと原爆を落とされたのだ」という考えは、いまもなお信じられている。非キリシタンの側からより強く。われわれはこの問題を解明しなければならない。われわれは非キリシタンが「信じ」たようにそれを信じるわけにはいかないから。
 そして、牧師は広島と長崎の違いをつぎのように語った。
「広島は町の中心に落ちた。それは文字通り原爆のヒロシマとなった。軍都広島にたいする攻撃としてととらえられた。文学的にも記録的にもおおくの書物が出版された。投下後の市長が原爆を強調せねばならなかった。とりわけ〈浦上〉が民とキリシタンの町であったときこの意識はよりいっそう強化され、ついには「天罰」だというほどであった。軍需蔽三菱があったから被爆したのだという考えがない。永井隆の『髪」としての存在は祈りの長崎へ導いていた。長崎には文学的拠点がない。原爆をかくし、『観光ナガサキ国際都市』を強調する政治が圧倒的であった。長崎は西の端である。」

軍需三菱が、戦後は原発三菱があるわけですね……。

永井は一企業は書かなかったかもしれないが、神国日本の聖戦である軍国主義批判は書いている。

永井隆の犯罪とまで書いている。下「」引用。

「永井隆は、みずから被爆し、医者として、キリスト教徒として、浦上の被爆者に接し、原爆症によって生命をうばわれてるのであるが、彼は「浦上の被爆者の神」とまではいわれている。だが、彼の主体的な立場は、医者=自然科学者としての優越意識に明確に貫かれている。彼は日本人が自然科学を軽視し、自然科学者を冷遇したからアメリカに先に原爆を作られ落とされたのだという。さらに原爆によって、日本人はそのことに目ざめるべきだとさえいっている。
 永井は自分で書いた「救護報告」の結辞のなかで、「原子物理学の勝利に喜び、祖国の敗北に泣くのである」といいきり、原爆を「核エネルギーの解放」=「自然科学の勝利」として喜びをもって確認しているのである。これが、あの炎によって焼かれ、放射能に射ぬかれ、放射能のゆえに生き苦しみ、殺されていく人びとの目の前にしてきた人間のいうことばだろうか。
 しかし彼はそこにとどまらない。彼はキリスト教徒としてキリシタン(信徒)にむかっていう、
「神は、天主は浦上の人を愛しているがゆえに浦上に原爆を落とし」たのだと。彼はその苦しみにただひたすら耐えよ、といったのだ。彼は科学者として原爆を誉え、浦上のキリシタンとしての浦上の民・キリシタンの闘いを圧殺した。
 ここに、長崎の「祈り」のなかにたたきこんできた歴史の構造の一端をみると同時に、永井を美化し長崎を「祈り」のなかにおしこめんとするいっさいの攻撃と闘うことを確認した。」

これは、名誉棄損でしょう?
--ボクが関係者なら訴えていたと思います。

今でも、このような資料をとって、批判しているつもりの人たちがいますね。

カトリック教では神は父なる神と、イエズスのみですね。
--永井隆自身もカトリックも永井が神などとは書いていないとボクは思う。

「神の摂理」を「天罰」として……。
--そして、永井隆博士が、神国日本の聖戦に対して書いたのを、原爆讃美のように書いている。神風と原爆の戦いは終戦末期の現状だったのではないのか?

神風が吹くなどというものがなかったら、当然もう戦争は終結していたのではないか?

そこには、信仰などというものはなく、無責任体制のみがある。
--それはいつものことで、今も続いています。


長崎くんち」のお祭りにしても、それが復活したからといって、キリシタン弾圧が復活するわけがないとボクは思う……。

--チベットでも、ダライ・ラマがチベットにもどったら、農奴制にもどるというのに似ている……。

index

扇情的な文章が多々ありました。
--これは運動にはマイナスというのは、おそらく正しいでしょう。

しかし、文学の表現にまで、それがみれなくなったのは困ったことです。
--人間の感情を大切にしたいとボクは思います。

マンガですが「はだしのゲン」は、がらが悪いのではなく、きちんと表現してあるのです。
--ああいって当然です。


共産主義者だけの世の中は、そうでない者から見れば、差別社会ですし、平和な世の中ではありません!







index

Index

目 次





エンタメ@BlogRanking






index 永井隆・批判

2008年05月26日 | TOP【もくじ】
index 永井隆・批判


ボクは体験主義ではなく歴史主義でみていきたいと思う。

--元軍医では平和主義にはならないというのは、差別だと思う……。

--ほとんどの永井隆・批判は。
「神の摂理」を、「人の摂理」や「天罰」にして、因縁をつけているようにしかボクは思えない……。

--ちなみに、ボクはカトリックでもなければ、共産党員でもない、ただの本好きである……。

また、「一億国民総懺悔」のような手法のために、「神の摂理」を「人の摂理」にする輩もいるようだ……。

■アメリカが悪用■

浦上天主堂が保存されなかった謎

【長崎新聞】

「原爆は神の摂理」か

批判のタブー化進む

信徒への励ましが目的

絶望の中で信仰の自由

評価共通する点も

もくじ

【山田かん】

長崎・詩と詩人たち ●反原爆表現の系譜

沈黙の壁をやぶって

「中国文化」原子爆弾特集号・復刻

ふるさと文学抄

鎌田定一

核 貧困 抑圧-'83アジア文学者ヒロシマ会議報告-

新版ナガサキ-1945年8月9日

【鎌田定夫】

広島・長崎30の証言(下)

【栗原貞子】

どきゅめんとヒロシマ24年 現代の救済

核時代に生きる

秋月辰一郎

雑誌 記録

【小田切秀雄】

原子力と文学

【吉川清】

「原爆一号」といわれて


【高橋眞司】

長崎にあって哲学する-核時代の死と生-

続・長崎にあって哲学する

【なかの・しげはる】

青木文庫48 原爆詩集

【長岡弘芳】

原爆関係文献案内

【武谷三男】

科学者の社会的責任-核兵器に関して-

【奥田博子】

原爆の記憶-ヒロシマ/ナガサキの思想-

【土山秀夫】

核廃絶へのメッセージ-被爆地の一角から-

【福間良明】

焦土の記憶-沖縄・広島・長崎に映る戦後-

■雑誌■

原爆文学研究1

原爆文学研究3

世界SEKAI 2001 第692号

■左翼・以外■

核アレルギー -つくられた偏見-

■その他■

君は明日生きるか

-特集 私とヒロシマ-133号

国文学解釈と鑑賞 第50巻9号

核時代に生きる私たち-広島・長崎から50年-

*さまざま*

〈マスコミ市民双書〉核とマスコミ








目次


index




Index






175 大酒のみは女らしさ!

2008年05月26日 | ライト小説
あかねさんシリーズ002
男が女de女が男


八、浮気は女の甲斐性よ!




175 大酒のみは女らしさ!


どちらの世界でも、学生にはかわりがないみたいだわ。

でも、違うのは男が女で、女は男なのよ。

こっちの女性の方が、いかに幸せかを茜は感じていた。

女性なのにという、冷たい視線を感じることなんてないのである。

--あるのは、男性の方なのだ。

茜が育ってきた社会では、男性が取り締まっている人のようであって、女性はそれに従うことが当たり前と思われているのである。

「あら、さっきは、ありがとう」

それは、小一郎だった和服をきて、頭にも布のつけて、とっても女っぽい、こっちの世界では、こういうのが男性らしいんだけど。

「ここで、アルバイトしているの」

「ええ」

恥じらいを見せる小一郎。うっ! 気持ち悪い。

「あら、どうなさったの?」

「あっ、いやなに、ちょっと飲みすぎたかもしれないね」
と、茜はごまかす。

「あら、それはいけないですわね」

「いいよ、仕事があるだろう、がんばってくれたまえ」

「ありがとうございます」
と、品をつくって帰る小一郎。

「おい、茜があまり、飲んでないのに、もう酔っぱらったなんて言っているぞ」

「大酒飲みの茜がそんなことをいうなんて、考えられないぞ」

「そうだよ、このごろ、茜、何かおかしいぞ」

「そうだとも」

「何をいっているのよ、バカらしい」

「そうかー、茜らしくなってきたなあー」

「よしよし、飲んでやろう!」

コンパで無理をして、馬鹿騒ぎするのは、あまり楽しいものではない。

--しかし、野蛮な社会では、そんなことで命を落とす者さえいる。








閑話休題

ルワンダでは、

女性の国会議員が

半分以上とか。

憲法で30%以上と

規定されているという。

--構造的暴力を

なくした社会はよくなると

ボクは思っています。

--格差社会は、

格差をつくり、

競争をなくした

差別社会……。

--江戸時代の

バカ殿様のような

政治家がすすめた社会!









下、クリックお願いします。
人気blogランキングへ
ありがとうございます。