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日本科学技術史大系 第1巻 通史 1

2010年11月11日 | 読書日記など
『日本科学技術史大系 第1巻 通史 1』
   日本科学史学会・編/第一法規1970年

どうやって、科学技術をとりいれていったか……。
広範囲にわたり、いろいろな資料が掲載されていた。



勝海舟と海軍伝習。下「」引用。

「最初の海軍伝習に使われた練習船は、オランダ国王から幕府に贈呈されたスームビング号で、観光丸と改められた。長さ29間、幅5間、砲6門、排水量400トンのこの練習船は、日本の近代海軍の第1艦となった。乗組んできたオランダ海軍大尉ペルスレイケンを教師首長とし、その下に士官・準士官・下士官など合計21名がついて、海軍術の伝習が始まった。日本側は永井玄番頭を諸取締、勝麟太郎を伝習生監とし、伝習生としては、幕臣の中から約70名が選抜されたほか、鹿児島藩16名、熊本藩5名、佐賀藩48名、福岡藩28名、萩藩15名、津藩12名、その他の諸藩からもいくらか加わった。これは、日本人が西洋の近代技術について組織的な教授をうけた、最初の経験である。-略-」

日本ではじめて洋算を教えたのも、こことか……。NHKテレビでやってましたね。

目次

長州5の写真が掲載されていた。

ポンペのことも書かれてあった。下「」引用。

「-略-第2期海軍伝習共感とともに安政四年(1857)八月五日出島に上陸、九月末から伝習所で物理・化学・生理・解剖学の初歩からいわる「七科」を教え、安政六年(1859)八月十三日には罪囚の屍体解剖を45人の医師とシーボルトの遺児の女医の面前で行なった。-略-」

「西国事物紀原」西村茂樹。下「」引用。

「-略-西洋起原もののはしりともいうべき糟川潤三の『西洋今昔袖鑒』(明治五、1冊)が出たころに西村が書いた旧稿を増補訂正し、出版したものが本書で、4巻4冊より成り、序文は那珂通高の筆である。明治12年刊。
 ここには目録お呼び当時興味の中心となっていた第36機器のうち、蒸気機器と軽気球をあげておく。
 西村茂樹(1828~1902)は倫理学者、文学博士。幼少より儒学を学び、佐久間象山に入門砲術を、のち洋学を学んだ。-略-」

「電信寮御雇外国人心得」

「岩倉大使一行のみたヨーロッパ鉱業」



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