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沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕-国内が戦場になったとき-

2010年05月30日 | 読書日記など
『沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕-国内が戦場になったとき- 集英社新書 0036』
   石原昌家・著/集英社2000年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「沖縄県本島南部にはガマとよばれる自然洞くつがいくつもある。半世紀前の戦争中にこのガマは避難壕として軍・民双方に使用されていた。本書に登場する「アブチラガマ」も「轟の壕」もそうした避難所のひとつだった。ガマでなにが起こっていたのか。人びとの忘却の彼方にあったこれらのガマの記憶をたどる石原教授たちの調査行は、取材開始から二十五年の歳月を要することになる。半世紀をへて、よみがえる真実とはなんだったのか?裁かれざる「犯罪」は放置されまま、闇のなかに眠るのか。「洞くつの惨劇」はいま姿を現そうとしている。」



アブチラガマの住民殺害事件。下「」引用。

「このアブチラガマでの住民殺害事件は、一九四五(昭和二十)年六月三日以降の出来事である。それ以前、アブチラガマは「ひめゆりの塔」でしられる南風原(はえばる)陸軍病院の糸数分室として使用され、重傷患者がひしめく中、「ひめゆりの乙女たち」がかいがいしく働いていた。さらにその前は日本軍の洞窟陣地壕として使われ、首里戦線への出撃基地となっていた。」

朝鮮人慰安婦。下「」引用。

「慰安婦に関しては渡嘉敷通徳(とかしきつうとく)さん(後述)も「朝鮮の慰安婦さんがうちらの所にきて、お喋りしました。日本語はぺらぺらでした。二十四、五歳以下でした」と証言している。」

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沖縄の人=総スパイ。下「」引用。

「沖縄の人ほとんどが方言を使用しており、しかも方言しか話せない人もいることを日本軍は熟知していた。方言を使用する者はスパイと見なして殺すというのは、沖縄県民を総スパイ視していたといっても過言ではない。真喜志さんの証言はそのことを裏付けているものとも言える。」

特攻艇。下「」引用。

「アブチラガマ洞窟陣地は、奥武島(おうじま)を基地として鈴木隊の特攻艇基地としても使用された。海上特攻艇はベニヤ板などで造った一人乗りの小舟艇(しゅうてい)で、一二○キロの爆雷を搭載して敵の艦の背後や正面から体当たりして損傷させるために考案された。空の特攻隊と同じ目的だったので、米軍は「自殺船」と称した。」

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米軍、ガス弾攻撃。下「」引用。

「米軍は、伊江島(いえじま)の戦闘で住民の避難壕に対しても致死性のガス弾攻撃を行い、多くの犠牲者がでた。この野戦病院に対しても米軍はガス弾攻撃を加えた。米軍がまだ近くまで攻めて来ていないときだったから、飛行機からガス弾を投下したのではないかと島袋淑子さんは判断している。-略-」

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ノコギリの歯の形……。下「」引用。

「二、三分くらいの時間だつたと思いますが、ノコギリの刃がたたなくて、途中で切断をやめてしまったようです。そのときのノコギリの刃がたたなくて、途中で切断をやめてしまったようです。そのときのノコギリの歯の形が骨に残っており、触れるといまでその痕が分ります(松田さんは一九九九年十月二十五日、名護市の職場で聞き取りしている私にもその傷痕を触れさせた)。-略-」

「アブチラガマ内でスパイ視され」
日本軍が敗けていること、捕虜のことを上妻(こうづま)伍長に伝えるとスパイにされたという。

死体置場に生きている日本兵を投げ込む……。下「」引用。

「衛生兵二人がヨイショと死体を死体置場に投げ込んでいました。
 何も言わない寝台に載せられ、治療室に運ばれていると思っていた重傷兵が、死体置場に運ばれているのに気がつかず、死体置場の間近になって気がつき、『僕はまだ生きているよー、まだ生きている、頼むから助けて、助けてくれー、僕は生きているよー』と言って泣き叫んでいるのに、ヨイショと言って投げ入れ、もう同情も何もない、ひとこともなく死体置場の戸を閉め、鍵を掛けて引き返すのです。手がない、足がない、半身やられてお腹がグチャグチャになったような重傷者でした」

「わが子の餓死」

「爆破された「轟の壕」」








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