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ヒバクシャ・シネマ  日本映画における広島・長崎と核のイメージ

2008年02月09日 | 読書日記など
『ヒバクシャ・シネマ
   日本映画における広島・長崎と核のイメージ』
      ミック・プロデリック(編著)/
         柴崎昭則、和波雅子(訳)/現代書館1999年

書いているのは、ほとんどが外国人です。どうも映画が主で、ヒロシマは従という感じ……。芸術至上主義などというのは下劣なものだとボクは思う。悪いものに酔っている人たちはそうは思わないだろうけど……。



気になる文章がいくつかありました。下「」引用。

「ヒロシマとナガサキに関する映画は、永遠に、一次体験の確かさとか説明義務といったこととは関わりのない第三者によって説明されることになるのだろう。」

被害者に説明義務があるというのだろうか?
そして、儲けは映画会社……。どこの国のマスコミもえげつない!?

映画はお金がかかるので、アップが遅れています。

YouTubeでもやっていますが……。

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日本のはあるのか? これから探します……。

きちんと見るにはテレビなどの方がいいと思うのですが……。

影響力が強いと思うので早くあげたいと思うのですが、なかなかです……。

名前だけでも挙げておこうと思います。下「」引用。


『人魚伝説』(池田敏春監督 一九八四年)
『ブルークリスマス』(岡本喜八監督 一九七八年)
『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』(本多猪四郎監督 一九六五年)
『長崎の鐘』
『長崎の歌は忘れじ』(田坂具隆監督 一九五二年)
『原爆の子』
『ひろしま」(関川秀雄監督 一九五三年)
『生きものの記録』(黒澤明監督 一九五五年)
『二十四時間の情事』(一九五九年 原題は『ヒロシマ私の恋人(モナムール)』)
『AKIRA』(大友克洋監督 一九八八年)
『夢』(黒澤明監督)「赤富士」と「鬼哭」。
『原爆の長崎』(一九五二年)
『原爆の図』(今井正監督 一九五二年)
『生きていてよかった』(一九五六年)
『世界は恐怖する』(亀井監督 一九五七年)
『ヒロシマの声』(亀井監督 一九五九年)
『純愛物語』(今井正監督 一九五七年)
『長崎の子』
『千羽鶴』(木村監督 一九五八年作品)
『忘れ得ぬ慕情』
『ゴジラ』『モスラ対ゴジラ』
『八月の狂詩曲ラプソディー』etc.

ロシアが原水爆をつくってから、大気汚染の恐怖を扱う映画は作られなくなったという。

『第五福竜丸』ではウソがあったという。
--見せ場をつくるために、実際よりもかなり水爆実験場に近い場所に漁船を配置。下「」引用。

「漁師たちは、何度もこの区域の進入禁止勧告を受け、その理由の説明も受けていたのに、そこへ行くと言ってきかなかったのである。この事実を知れば、この映画の衝撃度や意味そのものが弱まってしまうだろう。だから、新藤はそれを無視することにしたのだ。」

これを、メールで質問したら、本の方がウソだと答えてもらいました……。

見せ場になっていたのでしょうか? もっと離れているとしたら、余計に怖いのではないでしょうか?

それで、あの被害なのですから……。

違った意見の本もあります。

アメリカから見た3・1ビキニ事件


--『ゴジラ』はアメリカでは改題され『怪獣王ゴジラ』となり、内容も変えられたという。

映画の検閲についても書かれてありました。下「」引用。

「似たような事例は、『蜂の巣の子供たち』(清水宏監督 一九四八年)を検閲した際の取り扱いでも示されている。最初の脚本会議で検閲官は、原爆と広島についての会話を物語の中に含める必要はない、と強く主張していた。」

『長崎の鐘』も検閲を受けていたという。下「」引用。

「一方CIEは、『長崎の鐘』についてはシノプシスを二回書き直させることで製作を許可している。この映画の監督は大庭秀雄、脚本は新藤兼人、-略-である。一九四九年四月二日にCIEが審査した最初のシノプシスでは、カトリック信者である永井隆博士は具体化された「人間愛の美しさ」を描く、というねらいが強調されていた。」

もくじ

これも、永井隆博士が悪いと批判するのでしょうか?

--長崎にもいろいろな人がいますね。

ボクは永井隆博士の責任ではないと思います。









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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『ヒバクシャ・シネマ』について (カヤ子)
2008-02-10 18:51:08
初めまして。カヤ子と申します。
原爆映画に興味があり、磯野様のブログを時々拝見しておりました。

私も「ヒバクシャ・シネマ」を拝見致しましたが、やはり釈然としない点が幾つか残りました。被爆者には説明義務はありませんよね。被爆者の方の中には、つらい体験を胸の奥に閉まっておきたい、或いは一刻も早く忘れてしまいたいと思われる方も当然いらっしゃるはずです。そういう方々に無理矢理被爆体験を語らせるのは酷いと思います。

高い意識を持った方なら、どの立場に属していても、素晴らしい原爆映画を生み出せるはずですよね。新藤兼人の『原爆の子』とアラン・レネの『二十四時間の情事』は、それぞれ傑作だと思います。

もう一つ気になったのは、「日本人は、原爆を『もののあわれ』と捉えがちだ、被害はつらいけど諦めようと、原爆を天災のように考えている」という記述がなされている点です。どうしようもない怒りが込み上げました。外国人の日本人理解など、どうせこのようなものなのか・・・と。
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かきこみありがとうございます。 (磯野鱧男)
2008-02-10 22:05:08
この世の中にはいろいろな人がいますね。

いろいろな考え方もありますね。

被爆者でさえ被爆者を差別されている人もいます。

http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/1c1d1219a3c0f602ca55b0d4efd47c41

おっしゃることは理解できます。

「原爆の子」も多くの人が絶賛されているので、ボクの場合は期待しずぎでした。

アラン・レネは本で読みましたが、まだ拝見できていません。
まあ、妄想がふくらんで、夢で見るかもしれません……。

自分が苦難にあえいでいるのに、「もののあわれ」など感じません、ボクの場合は……。

そして苦難が去ったら、静かに体を休ませたいと思います。

原爆は被害状況をみるだけで、人道を大切にされているのなら、別に何を言わなくても理解できるとボクは思うのですが……。

ジュノーさんたちは、実にそれでしたね……。

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