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総統国家-ナチスの支配1933-1945年-

2010年04月10日 | 読書日記など
『総統国家-ナチスの支配1933-1945年-』
   ノルベルト・フライ(著)/芝健介(訳)/岩波書店1994年

カトリックとナチスの関係がちょくちょく書かれてありました。
現場の司祭や修道士や信者さんたちはナチスから敵視されているのに、ヴァチカン(ローマ教皇)はナチスよりだったようにボクには思えました……。



カトリック農村はナチス農政に拒否反応をしめした。下「」引用。

「ドイツ北部プロテスタント系農業労働者のかなりを除けば、ナチ党に対して政権掌握前の相当期間冷淡であった農村たちは、政権獲得後ひどく幻滅した。全国食糧身分団によって収益増加のための措置として編み出された新たな生産物市場統制は、農村ではなかり不穏な動きを惹き起こした。自給自足化と「血と土」のイデオロギーのいり混じったナチスの農業政策は、南部ドイツのカトリック農村地帯では、きわめて具体的で明白な拒否反応にぶつかった。「卵、バター、ラードは仕入センターに引き渡さねばならない。しかし仕入センターは現在機能していない。業務精通者がほとんどいない。……郡の卵出荷場のあるバイエルン東部のカームでは、最近の猛暑で貨車一両分まるごと卵が悪臭を放ち始め使い物にならなくなった。出荷場長は、卵が一杯になったところでようやく貨車を送りだそうとしたのだ。農民たちがこれを知ったら、無能なこのボスが怒り狂うであろう。-略-」

「カトリック行動」指導者殺害。下「」引用。

「運輸省高官で「カトリック行動」の指導者を務め、副首相官房府グループとゆるやかながらコンタクトのあったエーリヒ・クラウゼーナも、フォン・ボーゼ同様、自分の勤務していた運輸省の建物の中で親衛隊コマンドによって殺害された。プリンツ・アルブレヒト通りのゲシュタポ本部ではハイドリヒの手先が地下房からエトガー・ユングを引っぱり出して殺害した。のちに遺体はオラーニエンブルク近くの森の中で発見された。-略-」

「経済界の独裁者」フーゲンベルク。下「」引用。

「「経済界の独裁者」と当時いわれた経済相フーゲンベルクは農業のために若干策を講ずることができた。しかし、大蔵大臣が、まさにナチのグループでは反ユダヤ措置としてポピュラーになっていた百貨店税導入案の検討に入ると発表すると、選挙闘争中は「経済綱領についての厳密な細目は全て避けるべきである」として、ヒトラーは蔵相案を撤回させた。-略-」

スローガンはスローガンでしかない……。下「」引用。

「ヒトラーは、将来の被雇用者政策についての具体的検討を不必要と見なした。この日の標語は「労働に誉れを! 労働者に敬意を!」というものであった。ヒトラーはこの標語を労働者の共感獲得の宣伝レベルにとどめた。他の全ての人はラジオを通じて伝えられるこの大衆的催事から、なごやかで気持ちのよい雰囲気を受け取っている、ということがヒトラーにはわかっていたからである。」

カトリック政党禁止させたローマ教皇。ヒトラーに賛同した教皇。下「」引用。

「事実このカトリック政党も、元中央指導者で高位聖職者カースがローマで準備にかかわった帝国政教条約調印前の段階で、聖職者に今後はどんな政党政治活動も禁じてもらいたいというヒトラーの要求にローマ教皇が同意したことから、諦めの結論を導き出すことになった。教会組織の存続保証(これは決して明確に定義されていなかった)ためにヴァティカンは政治的カトリシズムを放棄した。けだし中央党でもバイエルン人民党でも、聖職者のメンバーが伝統的に指導的地位の重要なポストを保持していた。-略-」

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神政、次元を異にしていると勘違いさせたナチス。下「」引用。

「際だった自己演出への性向が、第三帝国に特有の神政的性格を帯びさせた。すでにヴァイマル共和国期に、褐色のシャツとハーケンクロイツ[鍵十字]が紛れもない外見上の目印をなした行進・連隊旗点呼・松明行列は、ナチズム「運動」に独特のアイデンティティを与えていた。このように様式化された運動の外観に照応していたのは、ナチの自己了解によれば(無論それだとは限らない)、ナチ党を他の「凡庸な」政党からはっきり区別させていた特別の意識であった。すなわち、我がナチ党は、世界観の共同体たらんとし、かつ闘争の共同体たらんと欲しており、その意味で政治的な利益団体といった次元をはるかに超越しているのだ、という意識であった。こうした自負の意識から、宗教とほとんどかわらないその後の党の儀式形成の試みも説明できよう。」

よく、こんなものに騙されたと思うが、今の日本もこんな人物に騙されている人たちがいますね……。

ナチ国民福祉……。下「」引用。

「総じて、健康政策を通じたライの野心的計画は、彼の年金保険改革提案に比べ成功をみたとはいいがたかった。というのも、ナチ国民福祉事業団指導者エーリヒ・ヒルゲンフェルトというライバルが、この健康政策の領域ではさまざまな権限を要求したからである。一九三四年すでにヒルゲンフェルトは、ヒトラーの眼にも住民政策上重要で効果があると映った社会プログラムを発展させており、ライもコンティもこれに匹敵するものを当時持ち合わせていなかった。-略-」

世界恐慌と精神病施設と作業療法……。そしてT4、ホロコースト。下「」引用。

「世界恐慌期の引き締め政策が、まさにこの時期はじめてなされた精神病施設改善に重大な打撃を与え、回復の見込みのない患者と治癒の可能性のある患者とを区別する傾向を強めた。近代的優生保護(「手当のかわりに予防を!」)、精神病薬物療法強化(「拘禁のかわりに矯正を!」)の主唱者の多くの間に、一九三三年以前の段階ですでに、「空薬莢」「荷厄介」と見なせる人間を片付ける、という考え方が少なくとも暗黙のうちに一緒に含まれていたとすれば、そのことは第三帝国においては、作業療法的行動主義、著しい優生学に傾いた認識、極端にまで亢進した冷酷な能率・生産性優先思想と一つになって、精神医学の新しい危険な職務遂行基盤になった。道徳意識に拘束されることもますますなくなって、学者たちは致命的な首尾一貫さでもって自らの思想の道をまっしぐらに進んでいった。この道は、一九三四年以降医学的判断に支配された優生保護裁判所の命じた約三六万の矯正断種に始まり、安楽死計画をどんどん広げて大量虐殺にいたるという道であった。この計画を背景にして、「社会問題の最終的解決」のグロテスクな輪郭があらわになり始めていたのである。」







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