『ナガサキの郵便配達』
ピーター・タウンゼンド(著)/
間庭恭人(訳)/早川書房s60年
長崎の語り部としてビデオやテレビに、
また外国でも被爆者としてのメッセージを
伝えられている谷口稜曄さんを主人公にした小説です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/54/4536edba4d0146f23c55edcb59c4c02d.jpg)
帯に書かれてあります。下「」引用。
「《被爆少年からのメッセージ!》
悲痛な原爆体験にうちかち、幸せな家庭をきずいた一日本人の半生を、イギリス人の著者が平和への祈りをこめて描く!」
著者はビルマ生まれなので、東洋に愛着があるという。
この著者は「世界じゅうを旅行してみて、あんなにすばらしい子供たちを見たのは日本だけである。」と語られています。今の日本の子供のことではありませんね。今の子供と昔の日本の子供ではだいぶ違うように思えます。
稜曄のことが生まれたときのころから書かれてあります。
戦争にいたるところ、原爆や天皇、閣僚などについても書かれてあります。
1942年2月17にシンガポール占領のとき、
国民各戸に小豆ひと袋、ビール日本、酒三合の特別配給。
子供には、キャラメル一箱とお菓子。
郵便配達を業務にされていた谷口稜曄。
仕事中に被曝されます。
無感覚だったという。下「」引用。
「彼は無感覚だった。どんな苦痛も感じなかった。ふだんなら鋭い痛みを感じたはずの、あの小石が当たったところでさえも苦痛を感じなかった。精神的にも肉体的にも虚脱状態に陥っていた。」
ペニシリンが投与されたことが書かれてありました。
1948年に、松尾医師は移植手術。稜曄の右の尻の皮膚をとって移植。
しかし、腕は動かなかった。
東ドイツに招待されたが、手術をうける体力がなかったという。
1982年、平和平和のメッセージを広めるため外国へ。
ヨーロッパ、アメリカをまわった。
1982年夏、著者は谷口夫妻から長い時間インタビューしたそうです。
また、この翻訳本がでるときにも、指摘してくださったことを、訳者は感謝の言葉としておられました。
Index
目 次
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ピーター・タウンゼンド(著)/
間庭恭人(訳)/早川書房s60年
長崎の語り部としてビデオやテレビに、
また外国でも被爆者としてのメッセージを
伝えられている谷口稜曄さんを主人公にした小説です。
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帯に書かれてあります。下「」引用。
「《被爆少年からのメッセージ!》
悲痛な原爆体験にうちかち、幸せな家庭をきずいた一日本人の半生を、イギリス人の著者が平和への祈りをこめて描く!」
著者はビルマ生まれなので、東洋に愛着があるという。
この著者は「世界じゅうを旅行してみて、あんなにすばらしい子供たちを見たのは日本だけである。」と語られています。今の日本の子供のことではありませんね。今の子供と昔の日本の子供ではだいぶ違うように思えます。
稜曄のことが生まれたときのころから書かれてあります。
戦争にいたるところ、原爆や天皇、閣僚などについても書かれてあります。
1942年2月17にシンガポール占領のとき、
国民各戸に小豆ひと袋、ビール日本、酒三合の特別配給。
子供には、キャラメル一箱とお菓子。
郵便配達を業務にされていた谷口稜曄。
仕事中に被曝されます。
無感覚だったという。下「」引用。
「彼は無感覚だった。どんな苦痛も感じなかった。ふだんなら鋭い痛みを感じたはずの、あの小石が当たったところでさえも苦痛を感じなかった。精神的にも肉体的にも虚脱状態に陥っていた。」
ペニシリンが投与されたことが書かれてありました。
1948年に、松尾医師は移植手術。稜曄の右の尻の皮膚をとって移植。
しかし、腕は動かなかった。
東ドイツに招待されたが、手術をうける体力がなかったという。
1982年、平和平和のメッセージを広めるため外国へ。
ヨーロッパ、アメリカをまわった。
1982年夏、著者は谷口夫妻から長い時間インタビューしたそうです。
また、この翻訳本がでるときにも、指摘してくださったことを、訳者は感謝の言葉としておられました。
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