『原爆と検閲-アメリカ人記者たちが見た広島・長崎- 中公新書 2060』
繁沢敦子・著/中央公論新社2010年
連合国軍側の記者たちが、どのような仕事をなしたか……。
--やはり、現実は単純ではありませんね……。
たくさんメモをとった本でした……。よく、研究されたのではないかとボクは思います。
「マンハッタン計画」報道関係者は熱烈に戦争を支持。下「」引用。
「特に原爆開発「マンハッタン計画」については徹底した情報統制が行われ、報道関係者に対しては情報の秘匿を要請し続け、ほとんどの報道機関がそれに応えた。というのも、彼らは熱烈に戦争を支持したからである。」
本書は……。下「」引用。
「本書は、連合国側ジャーナリストたちが被爆地に立ち、何を見て、何を記述しようとしたのかを検証する。さらに、被爆の惨状がなぜ伝わらなかったのか、報道と米国のメディアの役割を検証することを目的としている。また、原爆報道をめぐる関係者の対応を検証し、それがどのように現在までの米国における原爆観の形成に影響を与えてきたかの解明を試みる。-略-」
結局は、裏切った原爆……。そしてその裏切りは今も続く……。下「」引用。
「第二次世界大戦時、多くの米国市民は自国が民主主義のために戦っていると信じていた。そのために政府を支持し、協力した。民主主義のための戦争に勝つ手段も、民主的でなくてはならなかった。だからこそ、自主検閲が求められ、機能した。しかし、被爆地を最初に訪れたとき、自分たちが眼にした光景が、そうした価値観をまったく裏切るものであったことは、米国の報道陣が一番よく理解したはずだ。だが、それは大っぴらに語れる話ではなかったのである。」
バーチェットのことが書かれてあった……。
連合軍側ジャーナリストによる被爆地報道。下「」引用。
「ヨーロッパ各地の被災都市を目にしてきた航空特派員にも、被爆地広島の惨状は息を飲む凄まじさだった。
まずラジオ放送である。NBCのジャンセン、ABCのオッパー、MBSのブランビーの原稿は、九月三日(米国時間)のうちラジオを通して流れた。これは連合国側ジャーナリストによる被爆地報道としては世界でもっとも早いものだった。
九月四日つけでニューヨークのタブロイド紙のPM紙は「原爆は広島に何をしたのか、『世界でもっとも悲惨な破壊』という見出しの無署名記事で、以下のようにNBCのジャンセン報告を紹介している。-略-」
レスリー・ナカジマの記事。下「」引用。
「序章で取り上げられた日本の降伏直後の八月下旬にUP通信から配信されたレスリー・ナカシマの記事は、主要紙では八月三一日付のニューヨーク・タイムズ紙、ロサンゼルス・タイムズ紙、アトランタ・コンスティテューション紙に掲載されているほか、地方紙ではホノルル・スター・ブレティン紙など全米各地の一○紙に掲載されている。-略-」
ロサンゼルス・タイムズ紙とツーソン・デイリー・シチズン紙は見出しに“ジャップの記者”と書く。
検閲まだだった……。下「」引用。
「ナカシマが広島を訪れた頃には、日本の報道機関に対するGHQの検閲はまだはじまっていなかった。同盟から被爆地の惨状を世界に配信することも可能だったかもしれない。実際、同盟通信はポツダム宣言受諾後から配信を行っていたが、同盟通信におけるナカシマの仕事は日本語でかかれた記事の翻訳であり、原稿を書くことではなかった。原稿を書いて配信したところで、同盟通信からでは「日本によるプロパガンダ」として、連合国側の報道各社には相手にされなかったことだろう。」
長崎原爆……。下「」引用。
「「広島で使われた原爆はもはや時代遅れになったとの話は本当だった」とは、グアムで八月一一日に行われた記者会見で、マンハッタン計画の副責任者トマス・ファーレル准将の発言に追随したものである。ファーレルは、「長崎に投下された二発目の原爆によって、広島で使われた原爆はもはや時代遅れになった」(ニューヨーク・タイムズ紙一九四五年八月三日付)と発言、長崎型原爆は製造もみ広島型より容易で、今後は長崎型に代わるだろうと述べていた。」
カトリックと捕虜。下「」引用。
「ホーグランドはまた、長崎のカトリック信者と連合軍捕虜について触れている。
長崎には推計三万人のローマ・カトリック信者がいたが、日本側によると、うち一万人が亡くなった。-略-
日本側は二○○人のオーストラリア人とオランダ人捕虜を近くの鉄工所に拘留していたが、うち八人が亡くなった。捕虜たちは日本軍が浦上天主堂に弾薬を所蔵していたと主張する。」
ヤブ軍医。下「」引用。
「また、ボストン・グローブ紙の記事に添えられていた九○語の短信には、捕虜となっていた連合軍の軍医の話として、日本人の被爆者も血球の減少や内出血、脱毛など、エックス線の過剰照射に似た症状を見せていることも記している。だが、「それは爆発時に生じたもので、日本人が主張するような原爆の残留放射能によるものではない」という同軍医の意見が付け加えられている。」
プロパガンダと否定するH・ローレンス。下「」引用。
「同じような変化は、ニューヨーク・タイムズ紙のH・ローレンスの長崎ルポでも見られる。まずは九月一○日付でニューヨーク・タイムズ一面に掲載された記事を見てみよう。H・ローレンスの記事は、被爆した捕虜たちの話と、捕虜収容所が国際法に反していたとする主張からはじまる。
-略-
長崎県警察の溝越源四郎課長は、戦争捕虜の死亡についての情報を報道陣に提供したが、それは明らかに、破壊力の強い兵器の使用について米国を辱めることを計算した日本側の見え透いたプロパガンダ作戦の一環である。」
Index
マックグリンシーとリーは逆に……。下「」引用。
「UP通信のマックグリンシーは、H・ローレンス同様に連合軍側捕虜のオランダ人軍医ヴィンク大尉を取り上げ、原爆症による死亡に焦点を当てた。しかし、H・ローレンスとは異なり日本側の主張を擁護する内容となっている。-略-
記事ではまず、「連合軍のオランダ人軍医は、長崎原爆で火傷を負った人びとが回復しているとして病院を退院した数日後に亡くなったとする日本側の報道は正しいことを認めた」という一文ではじまる。-略-
-略-「原爆症」のため再び入院し、平均五日後に亡くなったという。ヴィンク博士は何人かの科学者が単に日本のプロパガンダかもしれないと考えた原爆の後遺症についての報告を真実だと認めた最初の連合軍側情報筋である。」
「2 米陸軍の「残留放射能」否定」
ファーレル(マンハッタン計画の副責任者)。下「」引用。
「特派員が広島を訪れた数日後、原爆の影響を調査するために日本入りしていたマンハッタン計画の副責任者ファーレル准将は、九月七日(六日の説もある)東京の帝国ホテルで連合国特派員向けの記者会見を開催。「広島・長崎では死ぬべきものは死んでしまい、九月上旬現在、原爆放射能のために苦しんでいる者は皆無だ」とする声明を発表した。」
事実ではなくプロパガンダを撒いたファーレル准将、そして彼と反するバーチェットとのやりとりも書かれてあった……。
index
プロパガンダを垂れ流した多くの米記者たち。
愚かなKKKのメンバーであるトルーマン大統領は、癒着体制(原子力帝国)を絶賛!
「福音」=自主検閲規定。下「」引用。
「新聞部はまた、全国・地域の出版社協会の代表者から作る諮問委員会を立ち上げたほか、各州から編集者を一人選び出し、全国の新聞社、出版社に自主検閲への理解を広めるよう求めた。検閲局長プライスはこうした編集者を「宣教師(missionarty)」と呼び、自主検閲規定を「福音(gospel)」と呼んだ。」
「特派員である前にアメリカ人です」イタリアでの戦争神経症を書かず。下「」引用。
「アイゼンハワーが否定せず、その話を安全を脅かすものではないため、検閲の対象外だと述べた。それに対して、記者の一人は「私たちは特派員である前にアメリカ人です。〔本土にいる兵士の〕母親たちは、次〔に戦争神経症になるの〕は自分の息子の番だと考えるでしょう」(BY Quentin Reynolds)と述べ、記者団は自主的にその話を報道しないことにすると答えた。そして、ほかの特派員がそのニュースを報道したときには事実を否定することも約束した。」
Index
ウェラーの「幻」の長崎ルポ。
掲載されていたという……。
「日本政府の抗議」 下「」引用。
「日本政府は、広島・長崎原爆投下直後の八月一○日、スイス政府を通じて米国政府に「米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文」を発し、原爆投下を批判した。-略-日本政府のなかにはヨーロッパの公館を通じて、原爆投下を国際法違反の非人道犯罪として海外に喧伝し、少しでも有利な占領政策を引き出すカードにしようとする動きあった。」
キリストの首……。下「」引用。
「ライフ誌は広島・長崎の写真ルポの一ヵ月後に、ホフマンの写真を掲載した。それは、浦上天主堂の瓦礫のなかで爆風で飛ばされたキリスト像の首が写ったものである。これは「今週の写真」として紹介されたのだが、次のような文が添えれている。「キリスト像の頭部は、その教えに従うと公言する人びとに突きつけられた道徳上の問題--戦争だからとって原爆が犯したほどの人命に対する侵害が許されていいものかどうか--を象徴するかのように、無言で瓦礫のなかに転がっている」(ライフ誌一九四五年一○月一五日号)」
本書は広島市立大学に提出した論文が元になっているという。
もくじ
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INDEX
繁沢敦子・著/中央公論新社2010年
連合国軍側の記者たちが、どのような仕事をなしたか……。
--やはり、現実は単純ではありませんね……。
たくさんメモをとった本でした……。よく、研究されたのではないかとボクは思います。
「マンハッタン計画」報道関係者は熱烈に戦争を支持。下「」引用。
「特に原爆開発「マンハッタン計画」については徹底した情報統制が行われ、報道関係者に対しては情報の秘匿を要請し続け、ほとんどの報道機関がそれに応えた。というのも、彼らは熱烈に戦争を支持したからである。」
本書は……。下「」引用。
「本書は、連合国側ジャーナリストたちが被爆地に立ち、何を見て、何を記述しようとしたのかを検証する。さらに、被爆の惨状がなぜ伝わらなかったのか、報道と米国のメディアの役割を検証することを目的としている。また、原爆報道をめぐる関係者の対応を検証し、それがどのように現在までの米国における原爆観の形成に影響を与えてきたかの解明を試みる。-略-」
結局は、裏切った原爆……。そしてその裏切りは今も続く……。下「」引用。
「第二次世界大戦時、多くの米国市民は自国が民主主義のために戦っていると信じていた。そのために政府を支持し、協力した。民主主義のための戦争に勝つ手段も、民主的でなくてはならなかった。だからこそ、自主検閲が求められ、機能した。しかし、被爆地を最初に訪れたとき、自分たちが眼にした光景が、そうした価値観をまったく裏切るものであったことは、米国の報道陣が一番よく理解したはずだ。だが、それは大っぴらに語れる話ではなかったのである。」
バーチェットのことが書かれてあった……。
連合軍側ジャーナリストによる被爆地報道。下「」引用。
「ヨーロッパ各地の被災都市を目にしてきた航空特派員にも、被爆地広島の惨状は息を飲む凄まじさだった。
まずラジオ放送である。NBCのジャンセン、ABCのオッパー、MBSのブランビーの原稿は、九月三日(米国時間)のうちラジオを通して流れた。これは連合国側ジャーナリストによる被爆地報道としては世界でもっとも早いものだった。
九月四日つけでニューヨークのタブロイド紙のPM紙は「原爆は広島に何をしたのか、『世界でもっとも悲惨な破壊』という見出しの無署名記事で、以下のようにNBCのジャンセン報告を紹介している。-略-」
レスリー・ナカジマの記事。下「」引用。
「序章で取り上げられた日本の降伏直後の八月下旬にUP通信から配信されたレスリー・ナカシマの記事は、主要紙では八月三一日付のニューヨーク・タイムズ紙、ロサンゼルス・タイムズ紙、アトランタ・コンスティテューション紙に掲載されているほか、地方紙ではホノルル・スター・ブレティン紙など全米各地の一○紙に掲載されている。-略-」
ロサンゼルス・タイムズ紙とツーソン・デイリー・シチズン紙は見出しに“ジャップの記者”と書く。
検閲まだだった……。下「」引用。
「ナカシマが広島を訪れた頃には、日本の報道機関に対するGHQの検閲はまだはじまっていなかった。同盟から被爆地の惨状を世界に配信することも可能だったかもしれない。実際、同盟通信はポツダム宣言受諾後から配信を行っていたが、同盟通信におけるナカシマの仕事は日本語でかかれた記事の翻訳であり、原稿を書くことではなかった。原稿を書いて配信したところで、同盟通信からでは「日本によるプロパガンダ」として、連合国側の報道各社には相手にされなかったことだろう。」
長崎原爆……。下「」引用。
「「広島で使われた原爆はもはや時代遅れになったとの話は本当だった」とは、グアムで八月一一日に行われた記者会見で、マンハッタン計画の副責任者トマス・ファーレル准将の発言に追随したものである。ファーレルは、「長崎に投下された二発目の原爆によって、広島で使われた原爆はもはや時代遅れになった」(ニューヨーク・タイムズ紙一九四五年八月三日付)と発言、長崎型原爆は製造もみ広島型より容易で、今後は長崎型に代わるだろうと述べていた。」
カトリックと捕虜。下「」引用。
「ホーグランドはまた、長崎のカトリック信者と連合軍捕虜について触れている。
長崎には推計三万人のローマ・カトリック信者がいたが、日本側によると、うち一万人が亡くなった。-略-
日本側は二○○人のオーストラリア人とオランダ人捕虜を近くの鉄工所に拘留していたが、うち八人が亡くなった。捕虜たちは日本軍が浦上天主堂に弾薬を所蔵していたと主張する。」
ヤブ軍医。下「」引用。
「また、ボストン・グローブ紙の記事に添えられていた九○語の短信には、捕虜となっていた連合軍の軍医の話として、日本人の被爆者も血球の減少や内出血、脱毛など、エックス線の過剰照射に似た症状を見せていることも記している。だが、「それは爆発時に生じたもので、日本人が主張するような原爆の残留放射能によるものではない」という同軍医の意見が付け加えられている。」
プロパガンダと否定するH・ローレンス。下「」引用。
「同じような変化は、ニューヨーク・タイムズ紙のH・ローレンスの長崎ルポでも見られる。まずは九月一○日付でニューヨーク・タイムズ一面に掲載された記事を見てみよう。H・ローレンスの記事は、被爆した捕虜たちの話と、捕虜収容所が国際法に反していたとする主張からはじまる。
-略-
長崎県警察の溝越源四郎課長は、戦争捕虜の死亡についての情報を報道陣に提供したが、それは明らかに、破壊力の強い兵器の使用について米国を辱めることを計算した日本側の見え透いたプロパガンダ作戦の一環である。」
Index
マックグリンシーとリーは逆に……。下「」引用。
「UP通信のマックグリンシーは、H・ローレンス同様に連合軍側捕虜のオランダ人軍医ヴィンク大尉を取り上げ、原爆症による死亡に焦点を当てた。しかし、H・ローレンスとは異なり日本側の主張を擁護する内容となっている。-略-
記事ではまず、「連合軍のオランダ人軍医は、長崎原爆で火傷を負った人びとが回復しているとして病院を退院した数日後に亡くなったとする日本側の報道は正しいことを認めた」という一文ではじまる。-略-
-略-「原爆症」のため再び入院し、平均五日後に亡くなったという。ヴィンク博士は何人かの科学者が単に日本のプロパガンダかもしれないと考えた原爆の後遺症についての報告を真実だと認めた最初の連合軍側情報筋である。」
「2 米陸軍の「残留放射能」否定」
ファーレル(マンハッタン計画の副責任者)。下「」引用。
「特派員が広島を訪れた数日後、原爆の影響を調査するために日本入りしていたマンハッタン計画の副責任者ファーレル准将は、九月七日(六日の説もある)東京の帝国ホテルで連合国特派員向けの記者会見を開催。「広島・長崎では死ぬべきものは死んでしまい、九月上旬現在、原爆放射能のために苦しんでいる者は皆無だ」とする声明を発表した。」
事実ではなくプロパガンダを撒いたファーレル准将、そして彼と反するバーチェットとのやりとりも書かれてあった……。
index
プロパガンダを垂れ流した多くの米記者たち。
愚かなKKKのメンバーであるトルーマン大統領は、癒着体制(原子力帝国)を絶賛!
「福音」=自主検閲規定。下「」引用。
「新聞部はまた、全国・地域の出版社協会の代表者から作る諮問委員会を立ち上げたほか、各州から編集者を一人選び出し、全国の新聞社、出版社に自主検閲への理解を広めるよう求めた。検閲局長プライスはこうした編集者を「宣教師(missionarty)」と呼び、自主検閲規定を「福音(gospel)」と呼んだ。」
「特派員である前にアメリカ人です」イタリアでの戦争神経症を書かず。下「」引用。
「アイゼンハワーが否定せず、その話を安全を脅かすものではないため、検閲の対象外だと述べた。それに対して、記者の一人は「私たちは特派員である前にアメリカ人です。〔本土にいる兵士の〕母親たちは、次〔に戦争神経症になるの〕は自分の息子の番だと考えるでしょう」(BY Quentin Reynolds)と述べ、記者団は自主的にその話を報道しないことにすると答えた。そして、ほかの特派員がそのニュースを報道したときには事実を否定することも約束した。」
Index
ウェラーの「幻」の長崎ルポ。
掲載されていたという……。
「日本政府の抗議」 下「」引用。
「日本政府は、広島・長崎原爆投下直後の八月一○日、スイス政府を通じて米国政府に「米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文」を発し、原爆投下を批判した。-略-日本政府のなかにはヨーロッパの公館を通じて、原爆投下を国際法違反の非人道犯罪として海外に喧伝し、少しでも有利な占領政策を引き出すカードにしようとする動きあった。」
キリストの首……。下「」引用。
「ライフ誌は広島・長崎の写真ルポの一ヵ月後に、ホフマンの写真を掲載した。それは、浦上天主堂の瓦礫のなかで爆風で飛ばされたキリスト像の首が写ったものである。これは「今週の写真」として紹介されたのだが、次のような文が添えれている。「キリスト像の頭部は、その教えに従うと公言する人びとに突きつけられた道徳上の問題--戦争だからとって原爆が犯したほどの人命に対する侵害が許されていいものかどうか--を象徴するかのように、無言で瓦礫のなかに転がっている」(ライフ誌一九四五年一○月一五日号)」
本書は広島市立大学に提出した論文が元になっているという。
もくじ
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もくじ
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問題は難しいとはボクには思えません。
今も、原発のことで、大変なウソがばらまかれています。
それは問題が難しいとは、まったく思えません。
福島の小学生でさえ理解しています。
立場は大きいかと思いますが……。
それに打ち勝とうという人がアメリカにはいました。
日本では、立場を追われます。
私は高校の夏休みの日本史の課題があり、レポートを書く際にこの本を読みました。
原爆に対する他国の認識というものが詳細に書かれていて、ふむふむと最後まで一気に読んでしまいました・・・!
なかなか難しい問題ですよね・・・・それぞれの立場もありますから・・・・・。