磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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『原爆はこうして開発された』『増補 原爆はこうして開発された』

2008年01月23日 | 読書日記など
『原爆はこうして開発された』
   山崎正勝、日野川静枝(編著)/青木書店1990年


1939年3月18日、米海軍代表とフェルミら科学者との会議。下「」引用。

「フェルミは、「遅い中性子を利用すれば制御できる反応、速い中性子を用いれば爆発性の反応が得られる」という可能性についてのべたといわれる(『スマイス報告』)。」

速い中性子が原爆。
遅い中性子が原発。


デュポンとグローブス関係もまた発表だけではないようだ。
はじめ「テネシー渓谷の地区に原子炉のパイロットプラント建設」は、S&W社に決まっていたが、突然デュポン社になったという。

--デュポン社の手数料一ドル契約。
特許権をもたないというが、それにより強力な国が認めた独占権を得たという。
特許権を得るためには技術を公表しないといけないが、特許権を得ないので公表することはない。
そして、お金のことも、実態がどうであったかには疑いが残るそうだ。下「」引用。

「しかも、この契約は、経過からあきらかなように、公開の入札によるものではなく、発注側が、特定の企業をそれまでのキャリアを基準に選定して、結ばれたものであった。したがって、一部の企業にたいする将来にわたる技術の独占権が保証されたにも等しかった。プルトニウム分離プラントにかかわるデュポン社の受注承諾(一○月三日)からプルトニウム生産炉にかかわる一二月の本契約までの期間は、デュポン社にたいするこの有利な条件の保証を得るために費やされたとみるべきであろう。」

爆縮型(長崎型)について、わりと詳しく書かれてあった。
ネッダーマイヤーが、爆縮(インプロージュン。内側への爆発という意味の造語)方式を、ロスアラモス研究所の開設のセミナーのときに思いついたという。

そして、開発可能となったとき、キスチャコフスキーに責任者の地位に。

トリニティ実験は、爆縮装置の実験だったという。



『増補 原爆はこうして開発された』
   山崎正勝、日野川静枝(編著)/青木書店1997年

「増補にあたって」で1995年のスミソニアンのことが書かれてありました。学者の間では『原爆神話』が否定されていたという。下「」引用。

「米軍の指導者たちは日本上陸戦で生じると考えていた死傷者の数は、原爆投下によるそれを大幅に下回っていたこと、トルーマン大統領が、ソ連参戦との関係で原爆投下を決断したことなどは、日米の歴史家の中ですでに通説化されていた。さらに「原爆投下が日米双方の相当数の死者を救った」という伝統的な原爆投下正当化論それ自身も、原爆投下に対する批判に対抗して、戦後につくられた神話であることがアメリカの歴史家バーンスタインらによって明らかにされた。しかし、結果的にこれらの実証的な研究成果は、アメリカ一般の民衆、とりわけ原爆作戦に従事した人たちの経験的な歴史観を変えるには至らなかった。」

増補版は目次でみれば、『第7章 核と科学者たち 5原子力の国際管理案と科学者たち』と、『資料4 トルーマン日記』が書き加えられています。

核開発競争を案じたボーア。
しかし、ボーアの提案は英米首脳のハイドパークの会談で拒否。
ボーアはソビエトに情報をもらしかねない要注意人物とされ、対策が練られたという。

1960年5月、「平和のための原子」賞をうけるシラード。

トルーマン日記、1945年7月18日(ポツダム)。下「」引用。

「スターリンは、和平依頼をしてきた日本の天皇からの電報を、首相(※チャーチル)にすでに話していた。」










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