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江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?

2011年06月27日 | 読書日記など
『江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?-落語でひもとくニッポンのしきたり- 小学館101新書 084』
   田中優子・著/小学館2010年

落語もむずかしいもんです……。
文化的にとらえたら……。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「「土手ェ歩ッてて、財布拾っちゃったンだョ」
「何だってそんなドジなことするンでィ」(『三方一両損』より)
金は貯めない。その日のうちに使い切る。ましてや落ちてる金を拾うなんて--金離れがよく、物事に執着しない「江戸っ子」の美学は、どのように育まれたのか?
落語に息づく人々の暮らしをひもとけば、現代人が忘れてしまった、まっとうな「しあわせ」が見えてくる。江戸の社会・文化を渉猟し、現代への明敏な批判としてよみがえらせてきた気鋭の江戸学者が世に問う、初めての本格的「落語論」。」

「江戸の暮らしは根なし草」 下「」引用。

「ところで引っ越しである。江戸時代の人ちは、それはもうよく引っ越しをした。
 確かに気軽だ。長屋住まいの夫婦ら、布団はふた組、枕屏風、数枚ずつの衣類、盆と茶碗と椀と箸と皿がふた組、すりこぎや柄杓(ひしゃく)や釜や鍋などの台所用品、箒と雑巾、それ以上思いつかない。長屋には押し入れがない。布団はたたんで隅に置き、枕屏風で隠している。着物も枚数は風呂敷に包み、その季節に着ているものは掛けておく。着物を入れる箪笥(たんす)を持っているのは、商家や裕福な家である。江戸時代は卓袱台のようなものもない。いわゆる「家具」がないのので、大八車があれば一回で、なくても数回運べば引っ越しは終わる。」

「丁稚は教わる身、給料はなし」

女房が強かった……。下「」引用。

「女房が強かったのは、職場をともにしていたから、というだけではない。江戸時代は婿取り婚が多かった。『抜け雀』の女房も旅籠の跡取り娘で、亭主は養子である。娘しか生まれなかった場合はもちろんだが、息子がいても、能力がない場合は息子を外に出し、娘に婿を取った。店の存続が第一だったので、血縁より能力が優先されたのである。」

「男性より収入が上回る人もいた」 下「」引用。

「「家」の事情ではなく、職種ゆえに夫と妻が別々の収入を得ている家庭もある。都市では女性の仕事がいろいろあったからだ。-略-」

「道具は何度も直して使う--『いかけ屋』」 下「」引用。

「江戸時代はほぼ完全な循環社会だった。とはいっても、これは江戸時代特有のことでなく、一九六○年代の高度成長時代まで、日本は基本的に循環社会であった。-略-
 修理して再び使うとなると、あまり物を買わなくなる。だからといって、経済が停滞するわけではない。回収や修理は重要な仕事の分野で、そこで金銭のやりとりがあるからだ。物を際限なく買えば、確かに金銭は動くが、生産と廃棄に大きなエネルギーが消費された。環境にその見返りがくる。回収、修理を含む循環的な経済システムは、私たちが今こそ取り戻すべき仕組みであろう。
 落語『いかけ屋』に登場する鋳掛(いかけ)屋は、鍋・釜の修理を請け負った。天秤棒に小さな炉とふいごを担いで町を歩き、頼まれたら道端で火をおこして金属を溶かし、鍋・釜のひびや穴を埋める。-略-」

「禁令の効果なく喫煙人口は拡大」

「人生に必要なことは、かるたで学んだ--『千早ふる』」

「江戸の「粋」は突然変異で生まれた--『青菜』」

江戸と上方の落語。下「」引用。

「落語には上方で作られて江戸で演じられるものが多い。『寝床』『豊竹屋』のような義太夫についての噺はむろん大阪起源で、義太夫浄瑠璃が日常生活の中にある(今はどうか知らないが)大阪の人だからこそ、笑える演目であろう。『時うどん』などは江戸に噺をもってきて『時そば』になったわけで、やはりこれがうどんだったら、江戸ではどうも実感がわかない気がする。落語は江戸と大阪の間で人や噺の行ったり来たりがあって、互いに影響を受けあってきた。本書はほとんど江戸落語の立場で書いているが、江戸落語は上方落語なしに存在できなかった、ということは言っておきたい。」

「花火は死者の追悼だった--『たがや』」
「流行病の危機迫る夏に祈る」それが花火だったのか……。知らなかった……。山下清大画伯が知ったら、どういう感想をもつか? 知りたいですね。

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