磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ゆるす思想ゆるされぬ思想

2007年07月05日 | 読書日記など
『ゆるす思想ゆるされぬ思想』
   本島等、山口仙二(著)/こうち書房1992年、1992年2刷

対談や、講演や他の本からの文章を集めた本といっていいかと思います。庶民として大活躍された山口仙二(長崎原爆青年乙女の会)が対談などされています。



この本は哲学書ではありませんし、タイトルはさほど意識されているものではないと思います。

しかし、長崎という地はカトリックの方が多い。

その一人である本島市長。
本島の洗礼名は、イグナチオ・ロヨラ本島等。

しかし、この地も、日本の軍国主義の嵐に無関係でなかった。
本島等の見習士官時代の写真がありました。

1991年8月9日の平和式典司会に中学生を起用したのは本島の案だという。

また、山口仙二さんの家は饅頭屋さんだという。下「」引用。

「鎖国時代に砂糖を輸入していた長崎は、昔からよそよりも製菓業が発達していた。仏事や年中行事によくお菓子を作る。そのための和菓子、駄菓子のほか、当地でコーサコとよぶ独特の落雁やカステラまで手がけたのは、父の研究の賜物である。店の名は月美堂(つきみどう)といった。」

工場で小指の爪をとばした山口仙二。

工場の上司。下「」引用。

「たとえ少年でも成人並みに扱うのが工場の決まりだから、仕事は目いっぱいにやらされた。だが、班長はやさしい人で、いちども叱られたことがない。カトリックの信者だった。」

像について山口さん。下「」引用。

「八月八日。長崎平和記念像除幕式。
 風貌がどことなく力道山に似ているこの巨像の作者は、日露戦争のさい遼陽の大会戦で戦死し、軍神とされた橘周太中佐の銅像をつくった人だ。このひとの内側で、戦争と平和とはいったいどう関わるのか。私や多くの日本人が、東洋平和のための「聖戦」を信じた。この彫刻家もそう信じて疑わなかったろう。みずからの苦い過去が、しかし、平和像制作のいかなるモメントに生きているのか。」

大学病院で知り合った青年たちで「青年の会」をつくったという。

西ドイツとの比較。下「」引用。

「当時のと西ドイツも、戦争の死者がたくさん出ている。しかし、経済的にも非常に苦しい状況の中で、一般被災者を含めて国家がお金をだし、手厚い補償をした。ところが、被爆者が戦後ずっと家もなくて、親もいなくて、食べるもの、はたらく体力も職場もないというのに日本政府はなんにもしかなった。そんな時期がずいぶん長かった。それで、鉄道自殺した女性の被爆者もいるんです。」

昭和36年2月、スウェーデンへ。
核兵器保持の議論。しかし、持つべきでないと議会で決まる。

サルトルとカミュのことも話題に。下「」引用。

「本島 みなさんが将来読んでくださるかどうか分かりませんが、ボーヴォワールの『レ・マンダラン』の中で、サルトルのカミュの対話を書いた文章がありますね。サルトルは実存主義の哲学者であり、文学者でもある。カミュも有名な文学者であ、われわれ若いときに「ペスト」とか「異邦人」をよく読みましたけどね。その対話というのは広島と長崎への原爆投下のまんなかあたりの時期に行われたんですが、広島の惨状を伝える新聞を前にして二人が話し合う。原爆がドイツに落とされなかったのはよかった、といったヨーロッパ人たちの会話から、サルトルとカミュは黄色人種への差別を問題にしている。」

しかし、京都の人たちも、京都に原爆が落とされずによかったと語った方もいますね。

もう少しで落とされたようですが……。

そのことは公文書にも残っているそうです。

覚え書きというのは、「公文書」であって、メモではありません。








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