『フォトドキュメント 原発-樋口健二写真集-』
樋口健二撮影・文/オリジン出版センター1979年
今となっては貴重な写真ではないでしょうか?
--一般の原発見学では見られない写真もあると思います。
■目 次■
原発内部 2
原発被曝者 10
原発下請け労働者 50
反原発のたたかい 70
崩されてゆく風土 102
《本文》
原子力発電の安全性について 野間宏 146
原子力発電を脅かす労働者被ばく 久米三四郎 151
「原発社会」の崩壊
-ミスが許されないことの非人間性- 高木仁三郎 163
ひろしま・長崎は世界にひろがる 丸木俊 169
核なき未来-核絶対否定への道- 森滝市郎 173
毒ガスと原発 佐々木基一 177
「原発と私」-あとがき- 樋口健二 182
写真構成・レイアウト・装幀 竹内敏信
はじめの方で書かれてあります。下「」引用。
「ここに登場していただいた原発被曝者は原発で働き病気となった人達ばかりである。原発被曝に起因する因果関係がいまだ立証されていないばかりか、労災すら認められていない。原発が運転開始されて十九年にもなるが、日本では被曝者ゼロという安全神話がまかり通っている。だが、被曝者や被曝総量は原発の増加や事故、故障の頻発と長期化する定期検査など年々、増加している。それでも障害者がいないというのは不思議という他あるまい。」
原発労働についての証言。下「」引用。
「わしが働いた頃は日当がいいということで原電さまさまだったんだ。日当はたしか五千円位でな、わしは、赤服着て入ったから、汚染区域だったと思う。敦賀では黄服と赤服にわけてあった。放射能除染作業とパイプに詰まったゴミを取り除く作業が主でな、地下室のような所におりていって、パイプの中にいっぱいつまったゴミを取り除く仕事をさせられたな。アラームメーターが鳴りっぱなしになった。それでもゴミをとってしまうまでは仕事をつづけたっけな。-略-」
右足につよい放射線をあび、わが国初の裁判へ。
↓どちらも写真のキャプション。下「」引用。
「放射線被曝を受けた右ひざ内側 被爆後一週間目ごろからヤケド症状を呈し やがて赤黒く水泡痕が残った(協力 大阪大学 田代医師)」
「わが国 初の原発被曝の因果関係を問う裁判に二人の弁護士と共に裁判所に向う」
また、違う患者さんですが、指定の重松医師は被曝なしと診断……。下「」引用。
「一九七四年(昭和四十九年)春、知り合いから被曝の恐ろしさを聞かされ会社に相談して大阪大学病院で田代医師に診てもらいたいとたのんだ所、田代医師はだめだ、放射線科の重松医師なら指定医だからといわれ、しぶしぶ診てもらった所、被曝なしの診断でした。納得できないので後日、田代医師を訪ねました。先生は染色体の追跡調査をしなければいけないと云ってくれました。それは被曝後に生れた子供がいるもので遺伝のことも心配だった。それから金で裁判がつぶされたことも残念です。」
この時代には、柏崎はまだ予定地。
海水浴を楽しもうと、道をわたる子供たちの写真。
そのキャプション。下「」引用。
「原発予定地は柏崎市民や周辺住民の憩の場所であった(1974年-昭和49年-7月27日)」
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目 次
樋口健二撮影・文/オリジン出版センター1979年
今となっては貴重な写真ではないでしょうか?
--一般の原発見学では見られない写真もあると思います。
■目 次■
原発内部 2
原発被曝者 10
原発下請け労働者 50
反原発のたたかい 70
崩されてゆく風土 102
《本文》
原子力発電の安全性について 野間宏 146
原子力発電を脅かす労働者被ばく 久米三四郎 151
「原発社会」の崩壊
-ミスが許されないことの非人間性- 高木仁三郎 163
ひろしま・長崎は世界にひろがる 丸木俊 169
核なき未来-核絶対否定への道- 森滝市郎 173
毒ガスと原発 佐々木基一 177
「原発と私」-あとがき- 樋口健二 182
写真構成・レイアウト・装幀 竹内敏信
はじめの方で書かれてあります。下「」引用。
「ここに登場していただいた原発被曝者は原発で働き病気となった人達ばかりである。原発被曝に起因する因果関係がいまだ立証されていないばかりか、労災すら認められていない。原発が運転開始されて十九年にもなるが、日本では被曝者ゼロという安全神話がまかり通っている。だが、被曝者や被曝総量は原発の増加や事故、故障の頻発と長期化する定期検査など年々、増加している。それでも障害者がいないというのは不思議という他あるまい。」
原発労働についての証言。下「」引用。
「わしが働いた頃は日当がいいということで原電さまさまだったんだ。日当はたしか五千円位でな、わしは、赤服着て入ったから、汚染区域だったと思う。敦賀では黄服と赤服にわけてあった。放射能除染作業とパイプに詰まったゴミを取り除く作業が主でな、地下室のような所におりていって、パイプの中にいっぱいつまったゴミを取り除く仕事をさせられたな。アラームメーターが鳴りっぱなしになった。それでもゴミをとってしまうまでは仕事をつづけたっけな。-略-」
右足につよい放射線をあび、わが国初の裁判へ。
↓どちらも写真のキャプション。下「」引用。
「放射線被曝を受けた右ひざ内側 被爆後一週間目ごろからヤケド症状を呈し やがて赤黒く水泡痕が残った(協力 大阪大学 田代医師)」
「わが国 初の原発被曝の因果関係を問う裁判に二人の弁護士と共に裁判所に向う」
また、違う患者さんですが、指定の重松医師は被曝なしと診断……。下「」引用。
「一九七四年(昭和四十九年)春、知り合いから被曝の恐ろしさを聞かされ会社に相談して大阪大学病院で田代医師に診てもらいたいとたのんだ所、田代医師はだめだ、放射線科の重松医師なら指定医だからといわれ、しぶしぶ診てもらった所、被曝なしの診断でした。納得できないので後日、田代医師を訪ねました。先生は染色体の追跡調査をしなければいけないと云ってくれました。それは被曝後に生れた子供がいるもので遺伝のことも心配だった。それから金で裁判がつぶされたことも残念です。」
この時代には、柏崎はまだ予定地。
海水浴を楽しもうと、道をわたる子供たちの写真。
そのキャプション。下「」引用。
「原発予定地は柏崎市民や周辺住民の憩の場所であった(1974年-昭和49年-7月27日)」
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目 次
ブログ「樋口健二の世界」を担当している者です。
これからもよろしくお願いします。
チラッとだけですが、ボクの目指したいのと同じではないか?
そんなことを思いました。
でも、ネットではきついんじゃないかと思って、変化球をほっています。
路地裏っていう感じの話、ボクも書いているんですよ。
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/790bf81b0d217cbc4cde53f1c6adb03b
よかったら、読んでください。よろしくお願いします。
同じく志を持つ者ですね。
というか私は勉強不足ですが・・・。
これからもよろしくお願い致します。
いくら安い部品からでも、大事故は起きるし、老朽化だってする……。
何重にも安全網をはったところで、小さな事故は防げても、安全網があるからと、より大きな事故が一度に起きる確率もある……。
現場でしか事故は起きないから、現場に落ち度があったと、ペテン師の政治家や学者は卑劣にももっていくだろう……。
詳しく調べれば、いつも無茶なことをやっている……。
チェルノブイリ事故はあれでもラッキーだったのだ。
今も、人がまともに住めない地域になっているが……。
そうしたら、嘘を通せてもかなりの負担だ。
日本では移住する代替地もない。
もっと逃げないで、真剣に考えるべきこととボクは思う。
本日だけでも、また2件もトラブル……。
これで、安全がはかれているとはボクは思えないし……。
利権を守る癒着システムがなければ、グリーン・エネルギーで日本はまかなえるという学者もいる。
【東北地方太平洋沖地震】は大変な天災です。
それに伴う原発の事故は大変な人災というべきかもしれません。
利便性を追い求めすぎて樋口健二先生が告発し警鐘を鳴らしてきたことがまさに日本人の災いとして降りかかっています。
これをどう乗り切るのか見当がつきません。
私にできることといえば節電と募金くらいのものです。
日本人全体が一致団結するときだと思います。
http://www.janjanblog.com/archives/42869